起業資金1000万円を集める
退職届が受理されたことで、私は早速引き継ぎ業務に入りました。まだ2年目だったこともあり、引き継ぐお客様の数も少なく、特に困るということはありませんでした。
そんな私にとって、目下最大の課題となっていたのは「起業資金をどうするか」ということでした。
残念ながら私には貯蓄がありませんでした。私が大学生の頃、父の勤めていた会社が倒産してしまったこともあり、両親からお金を貸してもらうこともできませんでした。それでも、1ヵ月後に迫った会社設立日までに1000万円を用意しようと考えていたのです。
当時、私は1000万円、金子さんは500万円、高木さんは400万円、飯野さんは200万円、景山さんは50万円を出資することになっていました。
やはり、社長である私が筆頭株主であるべきであると考えていましたので「1000万円を出資します」と公言していました。その口にしたことを実現し、仲間の信頼を得られるかどうか、これが社長としての最初の関門だといえました。
社長として一番強大な力を手にしたいと考えていれば、100%出資で会社を創るべきでしょう。当時、それを実践するためには1000万円を一人で用意する必要がありました。ところが、もともとベンチャーキャピタル等から出資を受け、早期の株式公開を目指していたこともあり、100%の出資比率にはこだわっていませんでした。むしろ、優秀な仲間に命懸けでコミットして欲しかったため、より多くのシェアを仲間に持ってもらうという方針をとることにしたのです。
「でも、やっぱり社長だから1000万円くらいは出資しておかないとカッコつかないよな」
「一人でも会社を創れたんだよ」というところは見せておくべきだと私は考えていました。
自分の手元にはお金がなく、両親にもお金がない・・・では、どうすればよいのか。私は、大和証券の先輩方からお金を集めることにしました。
「先輩の名義で全額出資になってしまうと自分の名義にならない。だから借金しよう」
私は、1000万円をすべて借金でまかなうことに決めたのです。
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1000万円の借金をするに当たって、工夫したことがあります。それは借金をするのに「投資信託」のような発想を取り入れたことです。
投資信託というのは、多数の投資家が資産運用会社に資金を預け(信託)、資産運用会社がその信託された資金を株式や債券、金融派生商品、あるいは不動産等に投資し、その運用で得た利益を投資家に分配する金融商品です。
一時期、「一兆円ファンド」というものが話題になったこともありますが、これは投資信託で、多数の投資家から小口で資金を募り、その集めたお金が1兆円にも達するというものでした。当然、一兆円もあれば、市場に対して大きな影響力を発揮することが出来ます。
この一兆円という額に達するためには、一人や二人から大口(1兆円とか5000億円とか)でお金を集めるのではなく、多数の投資家から小口(10万円やら100万円やら1億円やら)で集めたからこそできるわけですが、各投資家のリスクを低めに抑えながらも、ファンドとして市場に対してより大きな影響力を持つようにするうえでとても有効な手段といえるでしょう。
私は証券営業マンだったこともあり、この投資信託の考え方の一部である「投資家一人当たりのリスクを抑えて、合計では大きなお金にする」という発想の部分に着目しました。
おそらく、一人に対して「1000万円貸してください」といっても断られていたのではないでしょうか。1000万円を私にぽんと貸してくれる人を見つけようと思うとなかなか大変です。やはり一人で1000万円もの額を私に貸すのは大きなリスクがあるからです。
ところが、小口に分けて一人100万円にすればどうでしょうか。一人当たりのリスクはぐっと下がります。これならば貸してくれる人は増えるはずです。
このアイデアを思いついたとき「100%の確率、つまり確実に1000万円を集めることができる」と私は確信したのです。
まず、100万円で10人に声をかけ、10人が了承してくれれば1000万円です。もし、「100万円は大きすぎる」という人がいれば、「いくらまでなら貸せますか?」と質問します。そして、相手が「50万円までなら」というのならば、50万円借りればよいのです。
単純に考えて、一人当たりが100万円ならば10名で、一人当たりが50万円ならば20名から借りればよいのです。
また、小口にすればするほど借りる相手は多くなりますが、一人当たりのリスクは小さくなるので、借りられる確率は上がります。とにかく、できるだけ多くの人に貸していただける範囲の額で小口に集めていけば、いつか必ず合計で1000万円に到達すると考えました。
「とにかく、1000万円に到達するまで、小口化していって声をかけ続ければいいんだ。まず、100万円を貸してくれる人から探そう」
こうして、私の起業資金集めがスタートしました。
「高島さん※、お願いがあります」
※(仮名:6年目の代でトップ営業。渋谷支店営業第三課に所属し、デスクが私の隣だった)
私は、当時隣の席だった先輩の高島さんに声をかけました。
「大和証券を辞めて起業するに当たり、お願いがあります。ぜひ、私に100万円を貸してください!」
高島さんは「おいおいおい」といった感じで驚いた顔をしていました。
「おめぇ、いきなり100万円かよ」
「はい、100万円貸してください。もちろん、利子をつけて返します。年率1%の利子をつけて3年で返しますから」
「いや〜、俺はよぅ、愛車のホイールを買おうと思っていたのによぅ」
高島さんは大のクルマ好きでした。そして、6月にもらったボーナスで愛車をチューンしようとしていたことも知っていました。
「でも、高島さんは300万円もボーナスもらったじゃないですか(笑)」
私は、高島さんがもらったボーナスの額を覚えていました。
「そんな、使い切れないお金を持っていても仕方がないでしょう。だから、かわいい後輩に投資しましょうよ♪」
「うーん」
私が先輩たちにお金を借りようと思った理由がいくつかあります。
まず、先輩たちはお金持ちでした。一回のボーナスで300万円以上はもらっていました。6月に出たばかりでしたので、まだ使っていないだろうという読みもありました。
二つ目の理由は、性根が「投資家(ギャンブラー)」だということです。そうでなければ、証券営業マンなんてやっていないはずです。リスクマネーの意味をよく理解している方々でした。
そして、最大の理由は私のことを一番よく知っているはずだからです。もし、お金を貸してくれないとすれば、それはそれまでの私の大和証券内での行いが悪かったということです。先輩たちから信用されていないとすれば、私がそれまで先輩たちのお役に立っていなかったということでしょう。
逆に、先輩たちが私の日頃の行いに感謝の念を抱いてくれていたのであれば、信用して私にお金を貸してくれるはずなのです。まさに、私が信用に値する人間であったかどうかが試されるときでした。
「仕方ねぇなぁ。じゃ、100万円貸してやるよ」
「高島先輩、ありがとうございます!!」
「あのさ、お金を返してくれることは期待してねぇからな。わかったな(笑)」
「はい!必ずお返しします!!」
このような感じで、すぐに支店内の7名から100万円ずつお金を借りることが出来たのです。
「700万円集まったぞ・・・」
恐らく、私が渋谷支店の先輩たちからこれほどまでに短期間でお金を借りることが出来たのは、3つの理由が挙げられると思います。
一つ目の理由は、IT関連の情報を提供したことです。当時、「ビットバレー」のお膝元といわれた渋谷支店の人間といえども、IT関連の情報に精通していたのは私だけでした。ですから、先輩たちがお客様にIT関連の銘柄を薦める際には私にアドバイスを求めることが多かったのです。私は、知りうる限りの情報を先輩たちに提供しました。
二つ目の理由は、株式公開の関連業務をお手伝いしたことです。先輩たちは基本的に株式や投資信託の販売には長けていても、株式公開の実務には詳しくありませんでした。私は、先輩たちのお客様が株式公開について知りたいとなると一緒についていって、先輩たちのかわりに説明したのです。
そして、恐らくこちらの三つ目の理由が大きかったと思うのですが、当時ノートパソコンを支店に持ち込んだのは私がはじめてで、それを便利に使いこなしていました。すると、時々先輩たちが私の席にやってきて、「何やってるの?」「便利なの?」と興味を示しました。
当時の支店にはパソコンがほとんどなかったため、先輩たちはパソコンを触ったことすらありませんでした。
「俺もパソコンやってみたいんだけど」
そんな相談を受けると私は「だったら、今から近所で買ってきましょうか?」と口にしていました。先輩たちはお金持ちでしたので「じゃ、これで買ってきて」といって30万円ほどの札束を私に渡してくれたのです。
「はい、買ってきましたよ」
ところが、先輩たちはパソコンのセッティングが出来ません。
「お前が、使えるようにしてくれよ」
私はそう頼まれると、無償で初期設定やらメールの設定をしてあげました。
ちなみに、その頃の私はソニーのVAIOを使っていましたので、同様のVAIOを先輩たちにも買っていました。そのうち、あまりにも支店内にVAIOが増殖してしまいましたので、いつしか「ソニーの回し者だろう」と茶化される始末でした。
そんな先輩たちは、パソコンが止まってしまうといつも私を頼っていました。当時のパソコンはよくフリーズして固まってしまうのです。すると、フリーズするたびに「おーい、増永きてくれ」と呼ばれるわけです。
パソコンは、動かなければ単なる高価な箱に過ぎません。私はすぐにとんでいって動くようにしてあげました。
こういったことが、信用として積もりに積もっていったからでしょう。何の見返りもなしに、ただただお手伝いをしてきたことが、起業する際になって大いに我が身に帰ってきたのです。
「まず与えよ」
その精神は、この時に学びんだのです。
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私は、渋谷支店だけでなく、本店にも足を運びました。
「浦田次長、ご無沙汰しております」
私は、退職の挨拶も兼ねて、研修中にお世話になった浦田さんにも会いに行きました。浦田さんは当時の新人研修の責任者で4人いたインストラクターのまとめ役でした。
「おお、増永どうした?」
「はい、この度私は大和証券を退職し、起業することにいたしました」
一通り、退職することになった理由や起業することに対する情熱を浦田さんに伝えました。浦田さんは、新人研修時代の私を大変かわいがってくださった方の一人で、私の話をいつも丁寧に聴いてくださる方でした。大和証券にあってはとても珍しい温和な雰囲気を持っていました。
「浦田次長、お願いがあるのですが私に100万円を貸していただけないでしょうか」
正直、それまでの私は、浦田さんから与えられることはあっても、私から与えるようなことは何もありませんでした。そういう間柄の中で「お金を貸して欲しい」とお願いすることには抵抗感がありました。
すると、浦田さんは少し考えてからこういいました。
「わかった。お前に100万円やろう」
「ええ!?」
私は驚きの声を上げました。
「いえいえ、貸していただけるだけで結構ですよ」
いくらなんでも100万円をもらうなんてことは出来ません。
「いや、お前にやる。ただし、一つだけ条件がある」
「条件ですか?」
「俺も、お前くらい若かったら、そうやって起業でも何でも挑戦したいところだよ。でも、俺はそんなに若くない。だから、お前を通して夢を見させてもらいたい」
「夢・・・とおっしゃられてもどうやって・・・」
「俺はお前に100万円出すから、起業した後のお前の日々の出来事を俺に教えて欲しい。お前の毎日の活動を俺も一緒に楽しみたい。原稿料だと思ってくれればいい。条件はそれだけだ。」
「浦田次長、わかりました。では、私は起業したら毎日日記を書いて、その内容を浦田次長にメールします。その日にあったことを何もかも赤裸々に書きましょう。そうすれば、浦田次長にも起業の醍醐味や大変さを味わっていただけると思います」
私はこの日記を『起業家日記』と題して、浦田さんやその他のお金を貸してくださった皆様にもメールで送るようになります。それは、時と共に形を変えて、『プレジデントビジョン』や『プレジデントブログ』に発展してゆきます。今でも『起業家日記』を毎日つけ続けていますが、そちらは私の備忘録としてとどめ、もう誰にも送っていません。
ですから、浦田さんへの報告は主に『プレジデントビジョン』と『プレジデントブログ』で行っています。起業した私が日々の出来事を公開し続けている最大の理由は、この浦田さんとの約束があったからなのです。
その後、残りの200万円は「50万円貸してください」とお願いして4名の方から借りることが出来ました。
「合計1000万円だ」
こうして、6月末に退職届を受理されてから退職日である7月末までのわずか1ヶ月の間に、1000万円もの起業資金を集めることが出来たのでした。
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