辞表
起業準備をしながら迎えた2000年6月。ついに、「辞表」の提出を意識しなければならない時期となりました。8月8日に会社を設立すると決めていた以上、7月末には退職しなければなりません。そうすると、辞表の提出は必然的に6月末となります。
私の大和証券での年次は「3年目」の扱いでした。大学院を終了していたからです。従いまして、給料も3年目のテーブルからスタートしていました。2000年4月からは社会人2年目にもかかわらず、給料は4年目の額をもらっていました。とはいえ、1年目はやはり見習い扱いということで、まともなボーナスをもらえませんでした。
ところが、大和証券のボーナスシーズン(当時)が6月ということもあり、私は最初で最後の「まともなボーナス」をいただけることになったのです。その額を見て私は驚きました。
「額面で80万円ももらえるのか!」
2年目(給与の扱いは4年目)で、まだまだ活躍しているとは言い難い私のボーナスが80万円もあったのです。
「哲(私の弟。大手ゼネコンに勤務)なんて、入社した年よりもボーナスの額が毎年減っているといっていたのに、証券会社ではこんなにももらえるのか!」
確かに高給だとはきいていましたが、自分の働きと比べてみると、もらいすぎだと思いました。
「先輩!!先輩だったら、いくら位ボーナスをもらったんですか?」
私は率直に隣に座っていた高島さん(仮名)※にもらったボーナスの額を尋ねました。
※(当時6年目、私の二つ上の代でトップ営業。渋谷支店営業第三課に所属し、デスクが私の隣だった)
「俺かぁ?300万円だよ」
「えーーーーーーつ!」
6年目の社員で夏のボーナスが300万円というのですから、これまた驚きでした。
「そんなの次長(一般的な会社では課長)だったら500〜600万円くらいはもらっているだろう」
高島さんは涼しい顔でそういっていました。
「一回のボーナスでそんなにもらえるんだったら、あれだけ毎晩飲んだり、タクシーで帰ったりしても大丈夫なわけだ・・・」
自分も大和証券に勤め続けていれば、そういう給料がもらえたかもしれないとおもうと、ちょっぴり寂しいものがありました(笑)。やはり、証券会社は凄いんだなと改めて感じました。
ちなみに、私の同期(1974年生まれの人たち)がそのまま大和証券に残り、トップクラスの営業成績をあげていたとしたら、一体どのくらいの年収になるのでしょうか?私は聞いてみました。
「3,000万円だよ」
これが帰ってきた答えでした。流石!日本を代表する証券会社の一つです(笑)。
もちろん、その分大変な仕事であることは間違いありません。それでも、33歳の若さでこれだけの収入が得られる会社はそうそうないでしょう。かつてご結婚されている大和証券の女性と話をしていたところ、「他の会社の男性とは結婚できませんよ。だって、自分の給料より安いんだもん」といっていたのもうなずけます。
それが現実なのですから仕方がありません。お金がすべてではないにせよ、彼女たちがお金もブランド(大和証券という大企業)も持つ(そして人柄もよければ)、同社の男性社員と結婚するのは当然といえば、当然でしょう。
私は、まさにこれからその大和証券社員としての地位や待遇を捨てようとしていたのでした。
★ ★ ★ ★ ★
一週間後、大和証券鶴見寮の自分の部屋で辞表をしたためていました。
「明日はとうとう辞表を出すのか・・・」
私は、6月末日ではなく、その3日前に辞表を出すことにしていました。必ず引き止められるからです(証券会社では、引止めがあることが前提になっている・・・かも)。その引き止めを考慮すると早めに提出しなければなりませんでした。
窓の外は真っ暗でしたが、遠くのほうまで目をやると、緑色の光を放つ鶴見つばさ橋が見えました。
「そういえば、大和証券に入ったことで、人生が大きく変わったな」
もし大和証券に入社していなければ、営業の仕事をすることはなかったかもしれません。同様に、インターネットビジネスと出会うことも、シリコンバレーにいくことも、本を書くこともなかったでしょう。起業することだってなかったと思います。
「いろんな人たちと出会い、そして別れもあった・・・」
多くの起業家と知り合えました。しかし、起業さえしなければ、涼子さんと別れることもなかったはずです。
「すべては自分で決めたことだ。どれを選択するかではなく、選択したものをどう成功に導くかを考えなければならない」
涼子さんと別れた時点で、もう後には引けない状況となっていました。
「明日、辞表を提出しよう」
したためた辞表をカバンに入れ、部屋の明かりを落としました。
★ ★ ★ ★ ★
「佐野さん、おはようございます」
私は出社した佐野さん(現在、某支店の支店長を務める。私のチューター)に挨拶して、すぐに用件を切り出しました。
「今日、支店長に辞表を提出しようと思います」
「・・・」
「大変申し訳ございません。お世話になったにもかかわらず起業を・・・」
「わかった。じゃあ、今から一緒に支店長の部屋へ行こうか」
怒られることを覚悟していましたが、佐野さんは私を咎めるようなことはありませんでした。きっと私が起業してしまうことを薄々気付いていたのだと思います。
「支店長、失礼します」
佐野さんはそういって、私よりも先に支店長室に入りました。
「増永君が退職するそうです」
沢田支店長(仮名)が驚きの声を上げました。
「増永!どうしたんだ!」
私は深く一礼し、落ち着いて退職を申し出ました。
「私は、来月末で退職し自分で会社を興すことにしました。大変申し訳ございませんが退職させていただきます。支店長、これまで大変お世話になりました」
私はそういってもう一度深く頭を下げました。
「佐野、増永、とりあえずそこに座りなさい」
支店長室の立派な応接セットに腰掛けました。
「増永、お前がどれだけ上から期待をかけられているのかわかっているのか。大学院を出ているにもかかわらず『営業をしたい』というからNo.1である渋谷支店に配属され、更に佐野という支店のトップ営業マンをチューターにつけてもらえたんだぞ。私なんか、お前が日々取り組んでいた公開引き受け業務をもっとやらせてやりたいと思って、大和証券SBCM(現・大和証券SMBC。大和証券のグループカンパニーで、ホールセール(法人部門)を担当する証券会社)に移れるよう手配するつもりだったんだ。それなのに・・・」
沢田支店長は悔しさをにじませていました。
「ところで、君は起業してどんな事業をするつもりなんだい?」
隣に座っていた佐野さんから質問されました。
「はい、私はEC(電子商取引)のサイトを構築してビジネスを始めようと思っています。簡単に言えば、アマゾンと楽天をあわせたようなショッピングサイトですね」
それをきいた沢田支店長は「あきれた」といった表情をしていました。
「増永、アメリカのアマゾンが大赤字なのは知っているだろう?インターネットバブルはもう終わったんだ。儲からないんだよ。そんな夢みたいなことをいってないで、大和証券で上を目指したほうがよっぽどいいぞ」
支店長の話を素直に聞き入れるような私ではありません。起業することは既に決まっていることなのですから。
「支店長、でも私は挑戦してみたいんです。インターネットには可能性があります。今はアマゾンもまだ赤字かもしれませんが、いつか必ず黒字化するはずです。なぜなら、コストとリターンを計算すれば、理論的にはそれが可能だからです。私が興した会社が成功するかどうかは別として、インターネットでモノを販売して利益を上げることは可能だと思います」
「どうしても考え直す気はないのか?」
「はい」
「わかった。では、もうすぐ場(証券市場)が開くからこの話の続きは明日だ。また、この時間に来てくれ。今日のところは、辞表は受け取れない。いいな」
「かしこまりました」
明日、もう一度この話をするという約束をして、私と佐野さんは支店長室を後にしました。
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