証券外務員資格試験
私たちが入社した代(99年入社)の研修は、4月から7月の4ヶ月間となっていました。
大和証券の研修は毎年期間が異なるらしく、2ヶ月の場合もあれば4ヶ月よりも長い場合もあるようです。おそらく経営の状況や現場の受け入れの状況等によって左右されていたのでしょう。
いずれにせよ、研修期間の長短に関わらず、証券マンを目指す者が必ず研修中に勉強しなければならないことがあります。それは、「証券外務員資格」という資格に関する勉強です。
証券会社の人(出身者)でなければ、「証券外務員資格」と聞いても、あまりぴんと来ないかもしれません。これは、証券会社など(証券業務を行っている銀行などを含む)で、有価証券の売買、勧誘等を行う場合において必要とされる資格です。証券業務を行う者は、「証券外務員」と呼ばれ、証券外務員になるためには、証券外務員の資格試験に合格すること、
そして証券会社などに入った後、その氏名等を行政(金融庁)に登録することが、証券取引法により義務付けられています。
この登録手続きが終了しなければ、「証券外務員」として活動することはできません。つまり、現場の営業活動に携わることができないということです。
また、この証券外務員資格には「一種」と「二種」があります。「一種」は「二種」の上位資格と位置づけられており、「二種」を取得していなければ「一種」は受験資格すらありません。そのため、証券会社の新入社員であれば、必ずはじめに「二種」の資格取得を目指すことになります。
1999年当時は、5月の最終日曜日に二種外務員資格試験が行われることになっていました。ちなみに一種外務員資格試験は11月。
先ほども述べたように、証券外務員として登録されていなければ、営業活動に携わることができません。ですから、支店に配属されて現場の営業活動を行うためには、5月の二種外務員資格試験の合格が必須条件となっていました。万一、ここで不合格にでもなると8月からの配属先で仕事に携われないわけで、いきなり「お荷物社員」となってしまいます。当然、出世競争の点では致命傷となるでしょう。簡単か難しいかに関わらず、新入社員にとってはプレッシャーのかかる試験でした。
私は、入社前に大和証券から3冊のテキストを渡されました。それらのテキストには『証券外務員必携』と書かれていました。証券外務員資格の試験に合格するためには、これらのテキストをしっかり読み込み、きちんと理解しなければなりません。
「落ちたら恥だ」
例年、一人くらいは落ちるということで、その一人に自分がなるわけにはいきません。私は、テキストを渡されてからすぐに勉強に取り組み始めました。
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研修の前半、つまり二種外務員資格試験が行われる5月の最終日曜日までは、毎日のように『証券外務員必携』の勉強がメインになります。インストラクターも不合格者(落第者)が出たのではインストラクター自身の人事考課にも響く(と思われる)とあって必死です。日中のほとんどを講義と自習の勉強にあて、週に一度は必ず模擬試験を実施していました。
私は、退社時間が来るとまっすぐ寮に帰って『証券外務員必携』をコツコツ勉強していました。その勉強はたいてい深夜の1時まで及び、連日5時30分に起床、平均睡眠時間は4時間半となっていました。筆記試験は得意なものの、金融分野の内容は我を忘れて楽しめるようなものでもなかったため、勉強中は眠くて仕方がありませんでした。
大学院を卒業していると、周りの同期から、「彼は、勉強なら出来るに違いない」というように見られがちです。ある意味、「勉強は出来て当たり前」というところでしょうか。
それは、プラスの面もあれば、マイナスの面もあります。もし、模擬試験で悪い点数を取ってしまえば「大学院生なのに」となってしまうでしょう。大学院生のプライドにかけて、筆記試験くらいは完璧にこなさなくてはなりません。
同期には、私以外に文系の大学院生が二人いました。東京大学大学院と横浜国立大学大学院の卒業者です。個人的には彼らをライバルとして意識せずにはいられませんでした。
模擬試験の結果は毎週発表されていました。同期は120名で、私は常に上位10名を目指して勉強していました。これはそんなに難しいことではなく、簡単にクリアできました。取り立てて難しい問題が出るわけでもなかったため、一問でも間違えれば順位が簡単に変動します。それでも、上位10名に関して言えば、その顔ぶれが変わることはほとんどありませんでした。
学歴が高いことは基本的にプラスだと思います。なぜならば、学歴を告げただけで「こいつは出来るかもしれない」と期待されるからです。期待されないよりは期待されるほうがよいに決まっています。逆に学歴が高いことでマイナスになるとすれば、事前の相手からの期待に満たない場合、大変がっかりされることです。幸い、勉強に関して言えば、私はその期待を裏切ることはなかったわけです。
ところが、この期待を裏切ってしまう人物がいました。東京大学大学院を卒業していた川口(仮名)さんです。
川口さんは、決して勉強が出来ないわけではありません。当然ながら出来るほうです。しかし、上位10人以内をAクラスとすれば、彼は上位30人以内のBクラスに属していました。
見た目からして、ガリ勉タイプ。営業に向いているとは誰も思わなかったでしょう。川口さんはその後の配属で本部(本社)にいくことになるのですが、学歴からも外見からもそれが約束されていたかのような人材でした。
偶然にも川口さんとは同じ清瀬寮だったこともあり、また同じく大学院卒だったこともあり、いっしょに仲良くやっていました。彼の尊敬すべきところは、歩いていようがトイレに入っていようが、常に『証券外務員必携』に目を通していたところです。そこまで勉強に食い入っている人を私はそれまで見たことがありませんでした。
ところが、トイレでも『証券外務員必携』を読んでいる男がBクラスです。当然の如く次のように言われていました。
「あいつはあの程度か」
それが、周りの同期の評価でした。
「東京大学大学院を卒業していて、且つ、あれだけ勉強しているのに」
期待値が大きければ大きいほど、並のレベルでは満足してもらえません。「東大」といえば、常人では思いもよらないほどの頭の良さを発揮できなければ、逆に評価が落ちてしまうのかもしれません。
そして、彼は大学院を卒業しているわけですから、基本的に「勉強が好き」「勉強が出来る」と思われるのは当然で、この点は私や横浜国立大学大学院の卒業者も同格に見られていました。
「流石は大学院卒!」
この評判を守りきったのは私と横浜国立大学大学院の卒業者でした。
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1999年5月29日土曜日。
二種外務員資格試験を明日に控え、私は涼子さん(仮名:当時の私の彼女)と渋谷でデートをしていました。ちなみに、デートの場所を渋谷に選んだのは私です。試験会場である青山学院大学のそばのホテルに一拍する予定だったからです。朝に慌てて清瀬から会場に向かうよりも、そのほうがよいコンディションを保てると考えていました。
「今日で、ひろくんが社会人になってから2回目のデートだね」
試験勉強を理由に、平日はもとより週末も会っていませんでした。私の誕生日は4月でしたので、そのときに会ってお祝いしてもらって以来でした。
「試験の前日なのに大丈夫なの?」
涼子さんはいつも私のことを考えてくれていました。
「大丈夫だよ(笑)。前日に勉強しなければならないほど計画性がないタイプじゃないからね。あと、そんなに難しいわけじゃないし。あれだけ勉強すれば、もうあんまり変わらないよ」
私は余裕でした。
「ひろくん。毎朝、電話で起こしてくれてありがとう(笑)」
涼子さんは私よりも2歳年上で、3年早く社会人になっていました。横浜の自宅から銀座に通うOLで、毎朝6時30分に起きていました。
私は証券会社に勤める身分であったため、毎朝5時30分に起きて出社していました。そこで、6時30分になると携帯で涼子さんにモーニングコールをかけるのが習慣になっていました。私はそれを喜んでやっていました。実は、私が涼子さんの声を聴くことが出来たのは、このモーニングコールがほとんどすべてだったからです。これは、1年後に涼子さんと別れるその日まで毎日続けることになります。
まさかこの日の後も、仕事の忙しさを理由に、月に一度のペースでしか会えなくなるとは思ってもみませんでした。
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翌朝、ホテルで試験の2時間前に目を覚まし、早めに会場となっていた青山学院大学のキャンパスに足を踏み入れました。その日はとてもやわらかい日差しが緑の木々の合間からこぼれていました。
「おはようございます」
指定された教室に入ると見慣れた大和証券の同期たちに加え、インストラクターまでがそこにいました。また、この会場には大和証券の新入社員だけでなく、他の証券会社の新入社員もたくさん来ていました。
「みんな、磯崎(仮名)を頼んだぞ」
インストラクターは、磯崎さんの前後左右に座っている同期たちにカンニングをさせるよう指示を出していました。
磯崎さんは、ある格闘技の全国大会で優勝した人物です。元気のよさとガタイのよさでは飛びぬけた人材でした。ところが、勉強のほうは全く出来ませんでした。模擬試験では「120人中最下位」をずっと続けていました。
証券会社の営業マンは、体育会系の根性だけでなく、いわゆるインテリ系の知性が必要です。磯崎さんには前者はあっても後者は皆無でした。
磯崎さんは同じ班に所属していたこともあり、今でも彼のことはよく覚えています。同期中、その格闘センスという意味での戦闘力は確実にNo.1。そのために出会った頃の彼からは溢れ出んばかりの自信がみなぎっていました。
ところが、1ヶ月も経たないうちに磯崎さんはちっちゃくなっていきました。あの自信は影も形もなくなり、ひどく怯えているようでした。彼は途中で「こいつらには勝てない」とあきらめてしまったのです。
学校でならともかく、職場では腕力など一切関係ありません。むしろ、知力のほうが問われます。彼が何度やっても翌日にはすべて忘れてしまうような金融用語も、周りの人間は簡単に覚えてしまう・・・。
結局、磯崎さんはカンニングのおかげで二種外務員資格試験に合格したものの、7月末の研修最終日を目前に、いきなり就業時間中に研修室を飛び出してしまいました。そして、インストラクターや同期たちがその後を追ったにもかかわらず、その日は行方不明になってしまいました。
翌・研修最終日、彼が研修室に姿を現すことはありませんでした。聞くところによると、彼は寮の階段の途中で目を見開き、立ったままマネキンのように固まってしまい、窓から差し込む光の中でたたずんでいたそうです。駆けつけた寮の管理人さんが腕や脚を折り曲げようとしても、まったく動じなかったとのこと。
研修中とはいえ、同期との激しい競争の強烈なプレッシャーに打ち勝てなかった人材の一人でした。
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二種外務員資格試験は300点満点の試験です。問題数は70問で、「○×方式」が50問(一問2点)、「五肢選択方式」が20問(一問10点)、300点満点中7割(210点)をとれば合格できます。
出題の範囲は、『証券外務員必携(第1巻〜第3巻)』を中心とした基礎的知識(信用取引、先物取引及びオプション取引については、二種外務員が行うことができる業務の対象外ですが、その基礎的知識については、「株式業務、債券業務」等各関連の科目に含めて出題) です。
具体的には、法令・諸規則(証券取引法及び関係法令、投資信託及び投資法人に関する法律並びに関係法令、証券業協会定款・規則等、証券取引所定款・規則等)、商品業務(株式業務、債券業務、投資信託及び投資法人に関する業務、付随業務)、その他関連科目(証券市場の基礎知識、株式会社法概論、経済・金融・財政の常識、財務諸表と企業分析、証券税制、セールス業務)となっていました。
私は席に着き、筆記用具をカバンから取り出しました。
「よし、大丈夫だ」
目を閉じれば、どんな金融用語もすらすらと思い出せます。
試験官の「それでは始めて下さい」という合図で、一斉にみんなが解答用紙に名前を書き入れ、試験がスタートしました。
[債権業務]
問23 パリティ価格とは、ワラント債(新株予約権付社債)の債権としての価値を表す理論価格のことである。
・・・・・
[株式業務]
問59 ある個人(居住者)が、現金取引により、X社株式5,000株を成行注文で買い委託したところ、同一日に2,000株を1株980円で、また3,000株を1株990円でそれぞれ約定が成立した。この場合の受渡代金として正しいものの番号を1つマークしなさい。なお、株式委託手数料は、売買代金に係わらず1件3,000円として計算すること。(注)株式委託手数料に関しては別に消費税が加算されるものとする。
1 4,923,700円
2 4,926,850円
3 4,933,150円
4 4,936,300円
5 5,087,500円
・・・・・
こういった問題が70問も出題されました。ところが、すらすら解くことができました。
「やばい。これだけわからないぞ・・・」
一問2点の「○×方式」の中に一つだけわからない問題がありました。
二種外務員資格試験というのは、世の中で言うところの自動車免許のようなものです。ここで出題される問題は実務でも使うわけですから100%理解しているのが望ましい・・・。自動車免許も、クルマの運転は自分の命がかかっているわけで、「9割解けたからよい」というものではありません。ですから、一問でも解けなかったことが悔やまれました。
後日、テストの結果が発表されました。私たちの代は、全員が通過していました。気になる300点満点をとったのは、大和証券で一人だけ。残念ながら、私は一問間違いの298点で2番でした。
「満点ではなかったことも悔やまれるが、2番だったことのほうが個人的にはかなり悔しい・・・」
ちなみに、同期で満点をとったのは横浜国立大学大学院の卒業者でした。よきライバルがいたことは楽しいものですが、大和証券内部は競争社会だけに「彼がいなければ、自分が一番だったのに」という考えが頭に浮かんだことも事実です。当時の私は、優秀な仲間がいることを素直に喜ぶことが出来ませんでした。
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試験を終えて青山学院大学のキャンパスを出たところで、東京大学大学院を卒業した同期の川口さんが駆け寄ってきました。
「増永さん、試験のほうはどうでしたか?」
私は、悔しさをあらわにしながら「一問 ”も” 間違えてしまいました」と答えました。
「そっか、僕なんて三つも間違えてしまったよ」
そう聴いて、少しほっとした自分がそこにいました。
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こうして、入社後の最初の関門である「二種外務員資格試験」が終わりました。結果には満足できなかったものの、無事に終わったことに安堵しました。万が一にでも落ちるようなことがあっては大和証券の社長になることはおろか、証券マンにさえなることが出来ませんでした。
「こういう資格試験って本当に大事だ」
改めて試験勉強を振り返ってみると、わずか2ヶ月での自分の成長を感じずにはいられませんでした。
はじめて『証券外務員必携』に目を通したとき、「コマーシャルペーパー」やら「引受シンジケート」などといった言葉の意味がさっぱりわかりませんでした。それが、2ヶ月の勉強でわかるようになったわけで、金融の基礎知識を身につけるという点で有意義でした。
証券業務は法律と絡むものが多く、また扱う金額も大きいということから間違いは許されません。そのような業務を何も知らない新人がセンスや勘に任せてやっていたのでは投資家(お客様)に多大なる迷惑をかけてしまいます。
世の中には「資格」を必要としない職業や業界がたくさんありますが、そういった分野で働く人材の「質」をどうやって担保するかは大きな課題だと思います。この点、証券業界は外務員資格試験のおかげで最低限の質を担保することができています(カンニングは問題ですが)。責任が大きい業界だけに、こういった資格制度に取り組んでいることを私は評価しています。
現在、私が創ったライブレボリューションで事業を展開する広告業界でも、そこで働く人材の「質」の担保は課題だと思っています。そのために資格制度が必要かどうかはともかく、社内だけでも「品質保証」の取り組みに手をつけなければならないと考えています。
それにしても、こういった外務員資格試験では学力的な面で明確に順位が出ます。もし現場に配属されれば、毎日のように売上や預かり資産での社内順位が専用端末に表示されると聞かされていました。しかしながら、研修中に限れば、オフィシャルな順位付けがなされるのは、模擬試験も含めて、この外務員資格試験に関するものだけでした。
「筆記試験では増永には勝てない」
試験の結果を見て、こう考えた同期が少なからずいました。
「どんなに努力しても自分の実力では勝つことが出来ない」
このように考えた競争好きで人を思いやる心に欠ける人間のやることといえば唯一つです。それは私の足をすくうことです。
私がライバルである同期の300点満点を心から喜べなかったように、私の成績を喜ぶことができなかった人たちがいることはわかります。しかし、それで私が同期の足をすくうようなことなどするはずがありません。私なら自分の実力を磨いてライバルに挑戦するのみです。これに対し、臆面も無く敵愾心(てきがいしん)を燃やして、私にちょっかいを出してくる人たちがいたのです。
これが、「競争」をベースにした経営のアキレス腱であることを、残りの2ヶ月の研修で、私ははっきりと理解することになります。
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