株は後悔のゲーム
大和証券には「多摩研修センター」という施設があります。この施設は1993年に竣工したもので、私の入社した頃には「バブルの遺産」と呼ばれていました。山一證券が自主廃業した後だったこともあり「売却されるのではないか」という噂がまことしやかにささやかれていました。
普段の研修では、120名の新入社員たちが30名単位の4つの班に分けられ、別々の支店に配属されていました。私の所属していたA班は池袋支店を利用していました。
ところが、研修内容によっては全員集合したほうが効率の良いものもあります。そういうときには、多摩センター(東京都多摩市)にある「大和証券多摩研修センター」(以下、多摩研:多摩研修センターの略称)に集められたのでした。
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「今日は多摩研かぁ」
多摩研で研修がある場合は、直接現地集合になります。入社前に一度訪れたことがあり、清瀬寮から池袋支店に向かうのと比べ、乗換えがとても不便なことを経験していたこともあり、あまり気分が乗りません。
「しかも、駅からバスだし・・・」
生活のリズムが狂う多摩研での研修は、個人的には決してうれしいものではありませんでした。
「それにしても豪華だな」
ここはいつ訪れても驚くほど立派な研修施設です。当時の私は「本社ビルもこれくらい立派だったらかっこいいのに」と思っていました。
多摩研は宿泊施設も完備し、体育館までついている地上13階・地下1階建てのビルです。新人研修はもちろん、まとまった人数の社員を研修する際にも利用されています。さらに、聞くところによると施設内にある巨大な扇状のセミナールームでは、支店長会議や役員会議も行われているようでした。
「はじめに、ビデオを見てもらいます」
前述の巨大なセミナールームに集められた120名の新人たちは、「てんびんの詩(うた)」というタイトルのビデオを見せられました。以下は、そのあらすじになります(「goo映画」より転載)。
国際的にも名の知られた経営者・近藤大作は、あるときテレビ局の取材を受けて自分の少年時代を語った。近江商人の家に生まれた彼は小学校を卒業した日に父から呼ばれ、祝いの言葉と共に鍋蓋の包みをもらった。大作にはその意味がよくわからなかったが、「明日からこの鍋蓋(なべぶた)を行商し、もし売れなかったら商家の跡継ぎにはできない」ということだった。大作はまず家に出入りをする大工や植木屋のところを訪ねた。初めのうちは世話になっている商家の息子ということで大事にされるが、鍋蓋の行商とわかると冷たくあしらわれた。親の威光をカサにきた押し売りのような商いがうまく行くはずもなかった。知り合いの大人たちは行商が修行であることを知っているのでなおさら義理で買うようなこともしない。大作は今度は見知らぬ人の家を回ってみたが、ほとんど口さえ聞いてもらえない。彼はやがて親を恨み、買わない人々を憎んだ。父や母が彼以上に辛い思いで、見守っているのが大作にはわからないのだ。時には甲賀売薬の行商に習ってもみ手の卑屈な演技をしたり、乞食娘の真似をして農家の老夫婦を泣き落としにかかったりもしたが、嘘はすぐにばれてしまう。心ない商いは人々の反感を買うだけだった。何日経っても一つの鍋蓋も売れない大作の目にはいつしか涙がたまっていた。ある日大作は農家の井戸の洗場に鍋蓋を見つけ、「この鍋蓋がなくなったら人は困って買ってくれるかもしれない」と思ったが、すぐに考えを改めた。そしてこの鍋蓋も自分のように苦労して人が売った物と思うと、無心に洗い始めた。その鍋蓋の持ち主である農家の女は初め怪訝そうな顔をしていたが、大作の気持ちを知って鍋蓋を一つ買ってくれた。さらにまた近所の人たちにも声をかけてくれたのである。おかげで大作の鍋蓋は売り切れ、彼は「売る者と買う者の心が通わなければ物は売れない」という商いの神髄を知るのだった。大作は父もしたようにてんびん捧に“大正13年6月某日"と鍋蓋の売れた日付を書き込み、父や母の待つ家へと帰った。(以上)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17935/story.html
友人に聞いたのですが、野村證券でも新人研修でこのビデオを見せられたとのこと。もしかしたら、セールスを中心とする大企業の研修ではよく使われているビデオなのかもしれません。
「感動した・・・」
営業をやったことのなかった私でも、その辛さはなんとなく想像できます。その辛さに打ち勝つために必要な心構えをこのビデオで学んでほしいということなのでしょう。未来の自分が苦労し、その末にお客様に喜んでいただいている姿を想像すると涙が出そうになりました。セミナールームの照明が落ちていたため確認することはできませんでしたが、このビデオを見ている最中に涙を流した人もいるようでした。
証券会社が扱う商品のメインは、なんと言っても「株式」です。その株式の売買を仲介するのが証券会社の営業マンです。
「株式」の売買は、基本的にどの証券会社でも同じです。昔は手数料も自由化されていませんでしたので、どこで買っても同じ手数料でした。
商品が同じで、手数料も同じ。それにもかかわらず、「大和証券」で「株式」を買っていただかなくてはなりません。
おそらく、昔の商人が扱う商品はほとんどが差別化などされていなかったでしょう。今のように同じジャンルの商品で多種多様なバリエーション(カラーや形状など)があるなどといったことはなかったと思います。
そんな似たような商品でも「自分」から買っていただかなくてはならないのです。
私はビデオを見ている間、「鍋蓋」を「株式」に見立てていました。
「どうすれば、どこで買っても同じ株式を私から買ってもらえるのか」
このビデオには、「新人セールスマンの境遇と心境」「手掛ける商品への愛」「差別化のポイント」「付加価値とは何か」「なぜお客様が商品を買ってくれないのか」「なぜお客様が商品を買ってくれるのか」「口コミの重要性」「人間性の大切さ」などたくさんの意味合いが込められていると感じました。
「きっと、営業を始めるとたくさんの人に断られるんだろうな」
一抹の不安を覚えながらも、あきらめずに取り組まなければならないと心を引き締めました。ちなみに、配属された営業の現場では想像以上に断られることになります。しかし、まだこのときには、そんなことになるなど思いもよりませんでした。
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ビデオを見終わった私たちは、昼食をとるために食堂に向かいました。また、この食堂が豪華でした・・・。
昼食をとってから再びセミナールームへ。私は朝の5時半起き、みんなも6時には起きていたでしょう。昼食をとると眠たくなるのも仕方がありません。そんなところへインストラクターから次の研修内容を口にしました。
「今から、営業担当の役員が1時間講演するのでしっかり聞くように」
私たちはあらかじめ伝えられていたように、役員が登場すると起立して深々と一礼して着席しました。私たちの振る舞いを見た役員は満足そうに微笑みました。そして、その小柄な体には不釣合いな威圧感のあるオーラを放ちながら語りだしました。
「お前ら!俺は叩き上げでここまでのぼってきた!」
何かと思えば、彼の武勇伝が始まったのです。
「俺はな、何年間も店(支店のこと)のノルマを一人で達成し続けたんだ」
私はこれを聞いて「おおっ!」と身を乗り出しました。まさか、こんなところで「伝説的な営業成績を残した」という人物の話を聞けるとは思っていなかったからです。
入社式の日、私は「大和証券の社長になりたければ伝説的な成績をあげなければならない」と教わっていました。では、どのようにして伝説をつくるのか、そういったことに興味を持っていました。
「なぜ、俺がそんなことができたのかをお前たちに教えてやろう!」
もともと張っていた胸を、さらにのけぞらせて話を続けました。
「俺は、あきらめなかった・・・」
そういって、天井を見上げ、遠くを見つめました。
「あれは、中学校の頃だ・・・」
なんと、中学校の出来事からストーリーが始まってしまいました。
「俺は体が小さい。しかし、柔道でナンバーワンになることを決意した。朝から晩まで時間があれば、裏庭の木にロープを結びつけ、背負い投げの練習を続けた。そしてついに、俺はその木を背負い投げで倒したんだ・・・」
ちょうど眠かったところに、おじさんの昔話が始まってしまったので、周りの同期たちは次々と睡魔にやられ、落ちていきました。
そのセミナールームの天井には監視カメラがあります。そして、役員が立っているステージのすぐ右脇には音響やカメラを操作するためのブースがありました。
インストラクターたちは、モニターが設置されているブースからスタンド席の真上に設置されている監視カメラで、落ちている人間を見つけだし、片っ端から個別に起こしていました。しかし、次から次へと同期たちは落ちてしまいます。なので、頻繁にブースとスタンド席の間を往復していました。
「やば過ぎる・・・ようやく中学校の話が終わったのに・・・」
役員の昔話は更に続いていました。いつになったら支店時代の話になるのか見当もつきません。ところが、寝るわけにもいかず、私の脳は、もう、思考停止状態になりました。そして、似顔絵を書いたり、手のひらにボールペンの先を刺したりして、なんとか眠気と戦い続けました。
「将来、大和証券の社長になるためには、この場で眠るわけにはいかない・・・」
一時間と言われていた講演は、すでに二時間にも及んでいます。
「ト、トイレに行きたい・・・」
それは叶わぬ願いです。
役員の武勇伝が終わったとき、みんなはトイレに殺到したのでした。
なお、その役員が舞台裏に去ったとき、インストラクターたちもその後を追ってセミナールームを出て行きました。自分の武勇伝を語っている際、新人たちがあまりにも寝ていたことに腹を立てたその役員は、インストラクターたちをその場で「激詰め」したそうです。なんと恐ろしや・・・。
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研修は夜まで続きました。役員の話の次は、外部講師による「社会人のマナー」という研修。「いかにも」といった丁寧な感じの女性が「名刺の渡し方」から「正しいお辞儀の仕方」までみっちり教えてくれました。これは学生時代には学べなかったこともあり、とても楽しい研修となりました。
夕食も昼食と同様に豪華な食堂で食事を済ませ、10時(22時)の消灯まで自由時間が与えられました。
「多摩研のそばには女子大があるんだって!ナンパしにいこうぜ」
これが同期の男性たちの楽しみの一つとなっていました。近所に女子大があるからといって何か交流があるわけでもありません。しかし、そんなたわいもないことが、楽しみの少ない多摩研でのビールのツマミになっていました。
「10時(22時)に消灯で、6時に起床だ」
私は宿泊棟に向かいました。多摩研は複合ビルになっていて、研修棟と宿泊棟は中空の連絡通路で結ばれていました。
「俺はみんなと飲んでくるよ」
同じ部屋になった同期が22時を過ぎているにもかかわらず、部屋を抜け出しました。どうやらインストラクター主導の飲み会に参加するようでした。私はもともと飲めなかったこともあり、そのまま眠ってしまいましたが、心あるインストラクターは内緒で夜更かししながら新人たちと語り合っていたようです。その点は「規則・規則」していなくて、人間味があるなとうれしく感じました。
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6時に起床。翌日も朝から研修です。
当然、夜更かししていた連中は、研修中に落ちています。それをインストラクターたちが相変わらず起こしていました。ただでさえ眠たい研修に、本当の睡眠不足まで加わっているのですから眠ってしまっても仕方がありません。
「今から資産管理ソフトの研修を行います」
当時の大和証券には「ポエット」という個人の資産管理ソフトがありました。
「これからは提案営業の時代だ!」
会社案内やパンフレットにも「ポエット」が売り文句として記載されていました。入社前の私は「こんな高度なソフトを開発し、それをノートPCで持っていって、お客様の前でプレゼンするなんてかっこいいな」と思っていました。単に「勘」や「経験」に頼った営業スタイルではなく、数字やポートフォリオ分析に基づいたコンサルタントのような営業スタイルにあこがれのようなものを抱いていました。
「この問題をポエットに入力して、正解を導き出せるまで、この部屋からは出ることはできません」
私は課題や問題解決で燃えるタイプです。与えられた情報からやすやすと正解を導き出してイチ抜けしました。睡魔と闘いながら悪戦苦闘している同期を手伝えないのが少しもどかしく感じました。
一点、大和を辞めてから、はたと気づいたことがあります。それは、配属された渋谷支店で「ポエット」を見たことがなかったことです。
驚くべきことに、1999年当時の大和証券渋谷支店の営業フロア(4F)にはパソコンが一台しかありませんでした。ですから、ノートパソコンなどというものは影も形もありません。
「一体、あの研修はなんだったのだろう?」
現場と本部とのギャップは大企業だから仕方がなかったのかもしれません。それに、結局「ポエット」が営業現場にあったとしても誰も使うことなどなかったでしょう。
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二日間の缶詰研修の中で私が最も楽しかったのは「日本株の神様」の話でした。
「今から、大和証券の中でも『日本株の神様』と呼ばれている田中さん(仮名)の話がある。しっかり聞くように」
インストラクターの紹介に続いて語り始めた田中さんは、ユーモアたっぷりに日本株について話し始めました。流石は「神様」と呼ばれるだけのことはあります。誰もが彼の話に魅了されずにはいられませんでした。
「確かに、この人の話を聴かされたら推奨銘柄を買ってしまうな」
全国の支店を行脚し、重要顧客を集めたセミナーで、今後の有望銘柄について語るのが田中さんの仕事でした。
そんな田中さんの話の中で、今でも心に焼き付いている話があります。これが、私の証券マンとしてのスタイルを決定したといっても過言ではありません。それはある意味で、大和証券で評価される営業マンの姿勢とは逆行するものでした。
「君たち。もしかしたら、よい株の銘柄とは、激しく株価が上下するボラティリティ(変動率)の高い銘柄のことだと思ってないですか?」
株式の売買をやったことのある人ならわかると思いますが、投資家が儲ける場合に最初に考えるのが「安く買って、高く売る」というやり方です。
株価が100万円の銘柄を購入し、その株価が300万円になったところで売却すれば、単純に考えて(税金や手数料を考えなければ)200万円の利益になります。
ですから、初心者レベルの投資家は、必死に新聞の株式欄を見て(当時は、ネットで株価を見るという人はほとんどいませんでした)、大幅に株価が下がった銘柄に赤鉛筆で下線を引いてチェックしていました。ちなみに、なぜ大幅に株価が下がった銘柄にチェックを入れるかというと、逆に大幅に上がる可能性があると感じるからです。
「君たちはこれから営業に配属されると毎日のように株価の端末の前に座って、値段が上がった・下がったで一喜一憂するようになるだろう。それはまるでパチプロ(パチンコを打つことで生計を立てている人)を自称する人間が、毎日パチンコの台の前で座っていることが幸せに感じるのと同じようなものだ。普通に働いている株好きの人間は株価ボードの前に一日中立っていることはできない。しかし、君たちは株価の端末の前で四六時中座って眺めていることが出来る。それで給料がもらえてしまうなんて、株が好きで入社したのならば、これほど幸せなことはあるまい。でもね、そんな人生でいいのかな」
まさか、日本株の神様からこのような話が飛び出すとは思ってもみませんでした。そして、続けて飛び出した一言に強いショックを受けました。
「株はね、『後悔のゲーム』なんだ」
その場に居合わせた120名の新人の中には、この言葉に動揺した者もいたでしょう。私は、もともと株式の売買が好きで入ったわけではありませんでしたので、「株は後悔のゲームだ」と言われたとき、「そんなモノをこれから自分は手掛けるのか」と不安になりました。
「株というものはね、最高値では絶対に売れないし、最安値でも絶対に買えないんだよ。例えばね、40万円が最安値だと思って株を買ったとする。でも、買った瞬間に『もうちょっと待てば安く買えたかもしれない』という言葉が頭をよぎるし、3分後に38万円になったら『もうちょっと待っておけばよかった』と思うんだよ。売るときも同じで、売った瞬間に『もうちょっと待っていれば』となる。だから、株価を気にしている時点で必ず『後悔』の念が頭をよぎる。そんな人生は不幸だよ。もし、君たちが営業をしながら、一日中お客様の株式の売買で一喜一憂しているようだったら後悔ばかりの日々を送ることになるんだよ」
後に営業現場に配属された私は、田中さんの『株は後悔のゲームだ』という言葉が頭を離れませんでした。周りでお客様の株式を売買している先輩達の姿を見て、「株価に人生を翻弄されている」と感じずにはいられませんでした。
大和証券にいたときも、起業してお金に余裕が出てからも、私個人で株の売買をほとんどやらなかったのは「株は後悔のゲームだ」という言葉が頭をよぎるからです。そんなことで、一日の気分を左右されたり、株価のことが気になって仕事が手につかなかったりするのではパフォーマンスが著しく下がります。それよりも、自分が手掛ける大好きな仕事に集中したほうが楽しいですし、幸せなのです。
「では、どんな株式銘柄が理想なのか教えてあげよう。しかし、今から言う株式をお客様に提案している営業マンは、まずいないけどね。みんな、株価の変動が激しいほうが手数料も抜けて営業成績になるからね」
私はペンを握り締めて、ドキドキしながら「理想の株式銘柄」の話に耳を傾けました。
「ワン・ディシジョン・ストック(One Decision Stock)だ!」
初めて耳にする言葉でした。田中さんによると「ワン・ディシジョン・ストック」とは、一回だけ買うと決めるだけで儲かる株式のことだそうです。
「一度だけ買うと決めれば、あとはずっとほったらかしでも儲かる株式銘柄が理想だ。それを発掘して売ればお客様は幸せになれる」
もう少し説明を加えると、「ワン・ディシジョン・ストック」は、常に右肩上がりに上がっていく株式銘柄のことをいいます。当然ながら日々の株価を見ると細かく上下します。しかし、10年、20年単位でチャート(株価変動のグラフ)を眺めると、あたかも右肩上がりしかしていないような線を描く株式銘柄があるのです。
その代表格がマイクロソフトでしょう。1985年に10万円でも投資していれば今頃は億万長者になっています。もちろん、永遠に右肩上がりを続ける株などないでしょうし、マイクロソフトの株価も2000年がピークです。しかし、新しい企業というのはこれまでも、これからも生まれ続けるわけですし、そんな新しい会社の中から「ワン・ディシジョン・ストック」が出てくることは間違いありません。そんな株式銘柄を選ぶことができれば、20年後には億万長者になっている可能性があるのです。
おそらく、ここで言う「ワン・ディシジョン・ストック」を狙い撃ちで買うことは出来ません。その株式銘柄が「ワン・ディシジョン・ストック」なのかどうかは、10年後・20年後を見てみなければわからないわけですし。
私はこの話を聞いて、「株価だけを見てお客様に勧めるのではなくて、その会社の経営などについてもしっかり調べ、一度信じて買ってもらったら、回転売買みたいなことはやめなさいよ」というメッセージだと受け取りました。
回転売買をしない証券営業マンは、もしかしたら会社からは評価されないかもしれません。
しかし、田中さんの話を聞いてしまった私は、別の営業スタイルで邁進することになります。
さらに、この話は、私の起業と、私の経営と、私の後悔しないための生き方に対して、大きな影響を及ぼすことになるのでした。
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