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【増永】 薮本社長が東京で営業活動をされていたとき、大阪の事業所の方はどうされていたのですか。
東京の事務所とテレビ会議など常時接続した状態ではありました。このときはですね、大阪の事務所がものすごく楽しそうでね・・・それすら恨んだりもしていましたよ(笑)。「大阪は楽しくやれていていいな」って。もちろん楽しいだけではなくて、仕事もきっちりこなしてもらっていました。当時は、大阪だけで業績を伸ばしていたようなものですから。
東京でのいざこざがあっても、会社へのダメージを最小限に抑えることができたのは、大阪で頑張ってくれていた社員たちのおかげです。だから逆に、経営者として私自身が一からやり直さないとまずい―そんな危機感がありました。
そこで、稲盛さんの盛和塾に入り、経営者としての学びを請うことにしたのです。
入塾してすぐに、盛和塾の直弟子でもあり株式会社フェリシモ代表取締役社長の矢崎さんの前で、経営体験を発表する機会がありました。そこには、60名ほどの経営者の方が集まっていましたね。
衝撃だったのは、その場で45分間1度も目をそらさず矢崎さんに怒られまくったことでした。私が経営者であること自体、サムシングファンの社員全員にとって不幸だ。どれだけ近視眼になっているんだ。お前の仕事は何なんだ―そんなことを、言われました。
そしてどんな事業をしているのか聞かれたので、「映像制作です」と答えたところ、「本当に映像を売っているのか」ということを3回くらい聞かれました。もうとにかく、訳も分からず、ただひたすら怒られ続けたのです。
最後に言われたのが、「これから経営者として志を立ててやっていこうという思いがあるのであれば、それを映像にしてきなさい」と。リミットは1ヶ月でした。
それからの1ヶ月間は、新入社員にも手伝ってもらい2人で会社、いやむしろ私の経営者としての想いを映像化するという・・・なかなか難度の高い作業に取り組んだのです。
その間、先輩経営者にはかわるがわる来ていただいて、いろいろとフィードバックをしてくださったんです。叱咤激励いただき、どうにか映像化が完成。盛和塾始まって以来の、2回連続経営体験発表の場を設けていただき、発表したんです。
2回目は前回よりは多少優しくご指導いただくことができました(笑)。本来であればまだまだ突っ込みどころは満載だけれども、それでも可能な限り考えてきたということは褒めていただけたんです。そしてまたそこから新たにご指導いただいたことで、「経営者とは何か」をさらに深く追求していくようになりました。
● そうした経験を通じて会社として取組み、何かしら結果につながったというような実績はございますか。
まず経営理念を作りました。私たちが作っている「映像」は、あくまで手段にしかすぎません。日本中の経営を良くするために、映像をしっかり提供できるような技量とノウハウ、そしてコストメリットを提供できれば、このサムシングファンが社会にとっても必要不可欠な存在になれるのではないか。そう考えています。
そして従業員の幸せと事業自体の意義を確立していこう―と目的を明確にして、経営をするようになりました。そうしたら不思議なことに、自然と経常利益が増えていったのです。最初は3%ほどだった経常利益も20%と大幅な増益となりました。財務面でも、キャッシュフローが7,000万円から8,000万円まで改善されたんです。
それ以来現在に至るまで、経営的には財務的な危機にあうこともなく、おかげさまで安定した経営ができています。
● 盛和塾に通われて、さまざまな気付きを得られたということですが、薮本社長にとっていちばん影響の大きかった気付きはどのようなことですか。
そうですね、「何のために会社経営をやっているのか」ということに尽きます。実は、経営者を続けるか、それとも辞めるかでかなり悩んだ時期がありました。それはまさに、先ほどの東京での失敗がきっかけです。
そもそも、自分が好きな仕事だけをやって食べていけるような人生を送りたいという思いで会社を始めたようなものです。これって実は、経営者でなくても実現できそうなことでもあるじゃないですか。でもせっかく会社を経営する立場にいるので、それを極めてまっとうする人生を送ろう―こう思考を転換できたのが、転機でもあります。
だから、経営者とは何か、何をする人を経営者というのか・・・こういうことを考えるようになっていきました。
【続く:3/5】
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