【増永】 高見社長のご実家の売上げが落ちていった主な要因は、どのようなことだったと思われますか。
そもそも競争のない中で利益を得ていたように思います。しかしその地域に、資本力のある同業他社が狙い打ちで参入してきました。だから自然と売上げも落ちていった・・・資本力も営業力でも適わない状態だったのです。
競争のない中で利益を上げていたことに対して、「競争力がある」と過信してしまっていたのが大きな過ちだったと思います。
● その後、ご自身も経営者になられたわけですが、失敗などはありましたか。
もちろん、父親の失敗も参考に経営をしていたつもりですが、私自身大きな失敗を2度経験しました。
父親の会社を立て直そうとしたときの失敗と、現在のエポック・ジャパンでの1年目のつまずき・・・それぞれ状況は異なりますが、私にとって大きな失敗でしたね。
1回目の失敗は、父親の会社にて差別化を図った結果、それがこの業界では通用しなかったということ。外から大きな資本力が入ってきたとき、正面から勝負しても勝てないことは分かっていました。そこでソフト面の差別化を図ったのです。それは、もう少し心に残るような葬儀を行なえるような商品メニューの変更でした。
躊躇することなく、どんどんこの改革を進めていったのですが、一方で固定費も上昇。結果、お客さまを思って手がけた差別化も肝心のお客さまにはまったく伝わらず、売上げは減る一方だったのです。
父親の会社に入る前にMBA取得のため留学していたのですが、ソフト面の差別化などについてたくさん勉強したんですね。そこで学んだことを積極的に取り入れて実行したわけですが、葬儀という特殊なサービスにおいては、テキストで学んだことは一切通用しませんでした。大失敗でしたが、ある意味、貴重な経験にもなりました(笑)。
それ以降は、テキストどおりに進めることは極力しないようにしています。いろいろな前提条件を確認しながら進めています。
そして2度目の失敗は、エポック・ジャパン設立後、あまりあれこれ考えずにやっていたということ。
業界の先輩たちが用意してくれていたビジネスモデルだったので、個人的にもあまり深く考えず、「これなら大丈夫」と勝手に期待してしまった感がありました。
葬儀については、ある程度地域性が関連したりもするのですが、先ほども申したとおりお客さまは私たちの想定以上に葬儀について考えていないですし、知識もありません。そんな中でどう表現、アピールをしていくかということについて、あまり意識していなかったのです。
先輩方がやってきたことを同じようにやっているだけでは、お客さまとのコミュニケーションも思うように取れず・・・これがいちばんの失敗要因ではないかと分析しています。
● MBA取得のお話が出ましたが、どのようなことを学ばれたのですか。
学ぶというよりも、とにかく自分がこれまで経験したことのないボリュームの課題が、毎日毎日出されたので、それをこなすのに必死でした(笑)。真面目に一つひとつをこなしていると、なかなか終わりが見えません。常に100%全てに目を通せるわけでもないので、慣れてくるとそこは割り切って、優先順位をつけてこなすことにしたのです。
大量のタスクに優先順位をつけてこなしていく・・・常にそういう訓練をしたように思いますね。
かつ、授業には積極的に参加することが前提です。挙手して自らの意見を臆することなく述べなければなりません。プレゼンもあります。もちろん英語ですから、上手く伝えられないことも多々ありました。自分が発表していても、聞いていない人はたくさんいるんですよね。そういう人を見ると、切なくなってきます。でもそこで落ち込んではいられないので、惨めな思いをしつつも毎回体当たりでぶつかっていくわけです。
そういう経験を繰り返していると、不思議なことにだんだんと物怖じしなくなってくるんですよ。これも今となっては非常に貴重な経験になっています。
そのほかグループワークもありましたが、さまざまな人種が集まっていることで、コミュニケーションのとり方もそれぞれ違ったりします。いろんな人たちに合わせていくとか、順応性なども鍛えられましたね。
結局、知識とかテクニックよりも、私は環境によって得られたことが今役立っています。それは、積極性だったりコミュニケーション力。いろいろなタイプが集まっても、コミュニケーション力を鍛えれば同じ目標に向かって一緒に仕事ができる―そんな訓練をできたことが大きいですね。
● そこで学ばれたことは、すぐに実地で投入されたのですか。
そうですね、だけど先ほど申したとおり、まったくうまくいきませんでした(笑)。思いのほか業界自体が他の業界・・・たとえば前職だった金融業界に比べると、遅れていたせいもあったかもしれません。
留学時に学んだことは、もう少し先端をいった情報、効率性を前提とした内容でした。しかしながら、実地で戦ったマーケットは想定以上に非効率なマーケットで、試して失敗してみないと分からなかったのです。
それに金融機関で働いていたときは、当たり前と思っていた環境が、地元の中小企業である実家では当たり前ではありませんでした。社員は、何を言っても思うように働いてくれないとか、それでいて権利は主張する。そんな社員もいれば、こちらの目を盗んではパチンコに行ってしまうような社員さえいたんです。
しかもそれが身内だったりします。身内をうまく指導できないのに、他の社員をどうすれば変えられるんでしょう・・・とにかく、事業以前にそうしたストレスに苛まれていました。
だから、せっかく留学してまで学んだことも活かせるような状況ではなかったのです。学んだ知識を導入する機会を、なかなか得られませんでした。
金融機関で社会人として経験を積み、さらに留学してより幅広く学んで、いざやるぞ、と意気込んでみたものの、現実とのギャップが大きすぎました。
唯一、学びを活かせたことといえば・・・ベンチャーキャピタルからの出資を受けるためのプレゼンでしょうか。最終的には、実績がないからと出資を受けるまでには至らなかったのですが、それぐらいですね。やはり実際の経営と机上の経営との間にあった大きなギャップは、なかなか埋められませんでした。
【続く:2/5】