【増永】 浜野社長がどのような経緯で社長になられたのか、教えてください。
浜野製作所は、私の父親が創業した会社なので、必然的に私が2代目として受け継いだ形になります。
この会社のある墨田区は、東京23区内では大田区についで2番目に工場が密集している地域なんですね。約3,000軒もの町工場が集まっているんです。そして墨田区の町工場には特徴があって、3,000軒のうち約8割が従業員5人以下の小規模零細の事務所。さらに住まいと工場が一体となっているところが多いのです。
私の父が創業した頃も従業員は3人で、父と母を入れて5人の小さな町工場。もちろん自宅兼工場という環境で育ちました。
小学生の頃には親から、「今日は何人か友だちを呼んできなさい」と言われて、友だちを連れて家に帰ると、友だちも巻き込んで仕事の手伝いをさせられたこともありました(笑)。小さいときから自然と家の仕事に携わっていたんですね。
こうした子ども時代を経て、それなりに物心つくようになったとき、ふと思ったことがあったんです。
父親は5次、6次の下請けをずっとやっていました。当然ですが、お客さまの要望や納期は絶対に守り、そのためには休むこともなく朝から晩まで働く父と母・・・そんな二人の姿を見てきて、両親の楽しみや人生の喜びとは一体何なんだろう―と考えるようになったのです。
自宅も会社も同じですから、朝起きて食事を終えれば、もう仕事なわけですよ。夜になって晩御飯を食べて一杯飲んだ後、もしお客さまから急ぎの依頼がくれば、すぐにまた仕事。この繰り返しの日々に、どんな楽しみを見出せているのか・・・私から見たら、両親の仕事にはあまり魅力を感じなくなっていきました。
ちょうど私が大学を卒業する頃、バブル経済の真っ只中で、景気は最高に良い時代だったんです。私もそれなりの企業に就職しようと就職活動を行ない、上場企業から内々定をいただきました。その企業の説明会に参加するため、スーツを着て出かけようとしたある日。
母親にはある程度、自分の進路については話していましたが、一方で職人上がりの父親はそのあたりには無頓着でした。そんな父が、いつもラフな格好しかしない息子が、ここ最近はずっとスーツを着て出かけていることに気付き、「最近はいい格好をして出かけているが、どこに行っているんだ」と聞いてきたのです。
「大学を卒業するし、就職先を考える時期なんだよ。今日も企業に行かなければいけないんだ」と言って、私は家を出ました。
その日の夕方。帰宅すると父親から、「一杯、行かないか」と、飲みに誘われたのです。父親とのさしのみ・・・人生初でした(笑)。
父はもともと福井県の生まれで、品川の町工場で修行をしてからこの会社を創業したんです。技術をつけて創業した経営者で、どちらかというと口数も少なく、技術的なところにはうるさい― 職人気質の父です。そんな父とは家の中にいても、いろいろな話をすることがあるわけもなく・・・いや、正直にいえば話をする機会さえなかったですね。
そういう親子関係でしたが、突然の父からの誘い。朝の一件もあり、おおかた何を話したいのかは予想はついていました。だから私もある程度心構えはできていたのですが、実際にはまったく違う展開だったのです。
● どんな話をされたのですか。
中小企業であることやモノづくりについて、それは奥が深くて楽しい―そんな話をしてくれました。普段は口数の少ない父が、目をきらきら輝かせて私に話してくれたのです。私にとってはものすごく印象的な時間でした。
このときのことが大きなきっかけになり、内々定をいただいていた会社さんには失礼ながらお断り申し上げ、父に自分もこの工場で働きたいということを相談したんです。そうしたら、「うちのような小さい工場では、すぐに使い物にならなければ困る。だから、まずは他の工場に行って一から修行をしてこい」と言われました。
そこで、100人規模の製造会社に10年の予定で修行に行くことになったんです。ただ9年目くらいに父が病気で亡くなり、私は浜野製作所に戻り社長業がスタートしました。
【続く:1/5】