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【増永】 磯輪社長が現在に至るまで、どのような人生を歩まれてきたのか教えてください。
このISOWAという会社は私の祖父が創業した会社であり、子ども時代は父親が社長でした。そこで、住まいも工場の敷地内にあり、子どもの頃から工場で働く人たちと一緒だったんです。
社長の息子ということもあり、小さな頃から「大きくなったら社長になるんだよ」と、みんなから言われていました(笑)。それを聞かされて育った私は、そういうものか―と思っていて、疑問どころか反発もしませんでしたね。
むしろ、大人になるにつれ「社長になるには、どういう道を歩むべきか・・・自分にとって何がベストなのか」を自ずと考えるようになっていきました。
そうして出した答えは、大学在学中に1年間休学して、当時ISOWAが技術提携をしていたアメリカの企業に勤務して経験を積むということだったんです。
予定どおり1年後には日本へ帰国して復学、就職活動時期を迎えました。すぐにISOWAに入社するのではなく、他社で営業経験を身につけたいという思いから商社への就職を決めました。そして5年間勤めて、30歳でISOWAに転職しました。
● ISOWAへの入社後は、すぐに社長就任というわけではないですよね。
はい、まずは一社員として入社しました。たとえば工場の実習や営業、管理、製造・・・さまざまな部署を経て2001年、45歳のときに4代目社長として就任したのです。
● それでは、御社の事業紹介をお願いいたします。
ダンボールに関わる機械製品を製造している、機械メーカーになります。ダンボールというのは、波型に成型された紙の上下それぞれに紙を貼り合わせた3層構造になっています。
こうした仕様の紙を、所定の寸法にカットしたり、ものによっては折り曲げたり切り込みを入れたり、印刷も必要になります。これらを可能とする一連の機械を製造しているのが、私たちです。
そして私たちのお客さまとなるダンボール会社さまは、トイレットペーパーを巨大化させたようなロール状の紙を製紙会社から購入して、それを私たちの機械でダンボール製品にしています。
● 競合他社さんもあるかと思いますが、業界内のポジションや御社の競争優位性などをぜひ教えてください。
国内では三菱重工さんがずっとこの業界を牽引されています。昭和40年代まではその他2社の専業メーカーが続き、その下にISOWAがいるという構図だったのです。
そんな中、父親が代表だった頃にいち早く海外メーカーと技術提携をしたり、機械の電子制御化―いわゆるメカトロ化を推し進めて、徐々に業界内でのポジションを上げていき、専業ではトップメーカーとなりました。今は、三菱重工さんの子会社が最大の競合社となっています。
では三菱重工さんと比較して、どういった点が当社の優位性になっているのか・・・その答えは、細かな技術での話となり、お互いそれぞれに得意分野があるというイメージです。いずれにしても、従来は同じ土俵に立って勝負を挑んできましたが、あるとき「何か違う切り口から、他社にはないものを実現できないだろうか」と考えるようになりました。
今では『スピードと対話』を行動指針として、チームISOWAで三菱重工さんを凌ぐようなアイデアを生み出そうと、まじめに気楽な話をするオフサイト・ミーティングを全社で展開しています。
良い意味でも悪い意味でも明確な差となるのは、大企業と中小企業であるという点でしょう。
たとえば大企業がさまざまな情報を発信しようとしても、大企業だからこその規制が働いてしまうこともあると思うんです。一方私たちの場合はほぼすべて社員の判断に委ねられていて、自由ですから、いろいろなものをオープンにすることで、社員間はもちろん、社外に向かっても、中身の見える化を図るようにしています。これは、中小企業ならではの強みですよね。
競合社が大手企業だからこそ、相手がやりづらい・できないところを、ISOWAは積極的にやっていこうというスタンスです。結局、大手企業と同じ土俵で競争しようとしても、超えることは難しいですからね。二番手のままでいるよりは、違う切り口で攻めていくほうが、面白いじゃないですか。
私たちの商品であるダンボール設備は、お客さまにとっては長期に渡って使っていただく製品です。だからこそ、「この機械は、こういう人たちによって作られているのか」と、理念を共有したISOWAビトを一人でも多く増やして、個人、個人の顔の見える会社づくりを目指しています。そうすることで、ISOWAという会社への信頼感も増してくると思います。
【続く:1/5】
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