起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
| 第93話 2007年10月5日 |
ヘッドハンティング
「親孝行をしたいから」
涼子さん(当時、4年半付き合っていた彼女)との別れの電話で、それを口にすることは出来ませんでした。なぜなら、それを口にするべきではないと思っていたからです。
「自分で決めたことだ」
もう後には引けません。前進あるのみでした。
翌日、渋谷支店に私宛の封筒が届きました。それはヘッドハンティング会社からのものでした。
「私たちは、世界で最も信頼されているエグゼクティブサーチファームです。増永寛之様に興味を持っているクライアント様がいらっしゃいます。一度お会いする機会をいただけないでしょうか」
それを見た私は「なんて大胆なんだ」と思いました。私の勤務先へ、直接このような手紙を送ってきたのです。
既に起業する決意をし、そのために最愛の涼子さんとも別れていたのです。今更、どのような条件を提示されようとも別の会社に移る気は毛頭ありませんでした。
ところが、私は先方に連絡したのです。ぜひお会いしたいと。
大和証券で勤め続けるつもりであれば、ヘッドハンティング会社の人とこうして会うこと自体に問題があるのかもしれません。しかし、私は大和証券も辞める予定でしたし、なにより「これもよい経験になる」と思ったのです。起業して創業社長になってしまうと、まずこのようなお声がかかることもないわけですから。
同社のコンサルタントの方とは、2日後の午前中に会うことになりました。場所は、大和証券渋谷支店の近くにある「渋谷東武ホテル」のカフェでした。
ちなみに、大和証券(おそらく大手証券はどこでも)に勤めていると、ヘッドハンティングやスカウトの話はいくらでもあります。私の周りの先輩たちのほとんどが声をかけられていました。特にこの頃は、外資系保険会社による日本市場への攻勢が激しく、保険会社に転職する証券マンが続出していました。
ここで、証券会社を去るタイプを分類してみましょう。多くの証券マンが「厳しい営業に耐えられずに辞める」というタイプを筆頭に、「外資系証券会社への転職」「外資系保険会社やコンサルティングファームなどの他業界への転職」等に分かれます。「起業するために辞める」というタイプはほとんどいませんでした。
おそらく、日本の証券会社に勤めている人には、「外資系証券会社への転職」というのがもっとも人気が高いのではないでしょうか。給料は大幅に上がりますし、金融界でのステータスもあがるからです。もともと実力主義的な気質を持つ証券マンにはそれが一番性に合っていると思います。
そんなわけで、私に声がかかるのもあながち不思議な話ではありません。ところが、実際には、そんな周りの証券マンたちへのスカウトとは違う、異例のスカウト話だったようです。
★ ★ ★ ★ ★
2000年3月24日金曜日。
私は営業場のホワイトボードに「外交」とだけ書いて支店を出ました。
大和証券渋谷支店の目の前には、西武デパートのA館とB館があります。私は横断歩道を渡ってB館の前を通り過ぎ、「公園通り」の緩やかな坂道をのり始めました。
午前中ということで渋谷であるにもかかわらず人通りはまばらです。また、澄み切った青空が広がっていたこともあり、支店内で仕事をしているときよりも幾分気持ちが軽くなった気がしました。
私はNHKに続いている「公園通り」をのぼり切ることなく、途中にある渋谷東武ホテルに足を踏み入れました。
「おはようございます」
指定されたカフェには、背の高い紳士ときれいな女性が既に来ていて、私を迎えてくれました。
「大和証券の増永です。どうぞよろしくお願いします」
私はその二人と名刺交換をして席に着き、カプチーノを注文しました。
「どうして私にお声をかけてくださったのでしょうか?」
あまり私用で支店を離れるのも悪いと思い、私はさっそく本題に入りました。
真正面に座っていた男性のヘッドハンターの話によると、私がビットバレー関係で多くの人脈を持っており、出版の手伝いまでしているということは、割と知られているとの事でした。
「増永さんに興味をお持ちのクライアントは、シリコンバレーのディビジョン(部門)を任せたいとおっしゃっています」
私はそれを聞いて驚きました。
「私がシリコンバレーに?」
これからIT関連で起業しようとしていた私にとって、シリコンバレーとはまさに聖地といっても過言ではない場所です。また、5ヶ月ほど前に行ったばかりでしたので、なじみがないわけでもありません。とはいえ、私は既に起業すると決めていました。
「なるほど、とても光栄なお話です。ありがとうございます。ですが、私は起業しようと思っていましたので、今回のお話はお断りさせていただきたいと思います」
社会勉強だと思ってお会いしたことを申し訳なく感じました。
「それでは、仕事がありますので失礼いたします」
私はそそくさと席を立ち、急いで支店に戻ったのでした。
★ ★ ★ ★ ★
1980年代後半のバブル経済がはじけ、日本の雇用環境は一変しました。企業は相次いでリストラを敢行したのです。そして、従業員のリストラを終えた企業は、即戦力を求めてヘッドハンティングや中途採用を積極的に行うようになりました。
こうして、日本でもようやく人材の流動化が始まったのです。比較的専門色が強い金融業界は、いち早くその波に飲み込まれていました。
後に「失われた10年」と呼ばれるようになる1990年代、それはお金や時間が失われただけでなく、企業と従業員の間にあった信頼関係や絆も失われてしまった10年でした。
おそらく、それまでの日本は人材の流動化が極端に少なすぎたのだと思います。これによる弊害もたくさんあったことでしょう。しかし、流動化し過ぎるのもやはり弊害があります。
ですから、人材の流動化はあくまで「ミスマッチの解消」のためにあるべきであって、「流動的な人材」を多く排出することを目的にするべきではないと思います。
私は後に起業し、経営者として数年間のキャリアを積んできたわけですが、その間に読んだ記事で「これはどうかな」と疑問を感じたものがありました。それは、ある日本のスカウト会社に関するものです。
「今や、お客(クライアント企業)にも困らないし、スカウトする人材にも困らない。どこの企業でも優秀な人材を欲しているし、優秀な人材は各社のホームページで紹介されているので、それらを名簿化して個別にアプローチしていけばよい」
このスカウト会社は、各企業が「優秀社員」としてホームページに掲載している人材をピックアップし、彼らへ個別にアプローチして、口説くのだそうです。
誰しも勤めている会社に不満の一つや二つはあるでしょうし、他にもっと魅力的な条件があると提示できれば、心も揺らぎます。このスカウト会社は、それらの点をついて優秀な社員をどんどん転職させ、それに伴う手数料をとって荒稼ぎしているようでした。
また、その記事には、このスカウト会社から口説かれて転職を決めたという人へのインタビュー記事も掲載されていました。一流企業を辞めて他の会社に移るのだそうです。私も、この人は次の企業で活躍するのだと思います。しかし、まさしくこのスカウト会社の術中にはまっていました。あの手この手を使ったそのスカウト会社によって、それまで自分を認めてくれていた企業から引き剥がされているのです。なんだか少しかわいそうに感じました。きっと、このスカウト会社に声をかけられなければ、その会社で楽しく仕事を続けていたに違いありません。
おそらく、多くの企業や経営者は、この手のスカウト会社のやり口には抵抗できないでしょう。水面下で、あらゆる口説き文句を駆使して心変わりをさせるのですから。もし抵抗できることがあるとすれば、優秀な社員ほど表に出さない、外部の人とは接触させないといったところでしょうか。
実際、上記のスカウト会社からではないですが、当社のメンバーにも引き抜きの話はあります。ひどいスカウト会社になると当社の「内定者」にまで引抜をかけてきます。ですから、私自身、メンバーや内定者を実名でホームページに載せることにためらいを感じたこともあります。しかし、これまでのところ、創業以来まだ一人も引き抜かれたことがないため、未だに実名で公表することを続けています。これは同時に、「当社のメンバーを引き抜けるものなら引き抜いて見なさい」という私の自信の表れでもあります。
このようなスカウト会社のやり方には憤りを感じますが、それとは別に、従来の経営者が終身雇用の下にあぐらをかいていたのも事実です。下手をすれば、そんな経営者たちのほうが、性質が悪かったのではないかと思います。
これからの時代、人材の流動化は避けて通れません。また、よりよいマッチングのための流動化はあってしかるべきだと思います。スカウト会社がどのような手段を講じようとも負けないだけの魅力的な会社を創ることが、これからの経営者の考慮すべき事項の一つといえるのかもしれません。
2000年3月24日に会ったこのヘッドハンティング会社については後日談があります。
私は起業してから一日も欠かさず『起業家日記』と題して日記を書き続けています。その中にはこのような記述がありました。
『起業家日記』(2003年6月13日)「5大ヘッドハンティング企業」
今日読んでいたビジネス誌の中に、世界の5大ヘッドハンティングについての記事が載っていた。
「世界の5大ヘッドハンティング企業は、スペンサー・スチュアート、コーン・フェリー、エゴン・ゼンダ、ハイドリックス・ストラグル、ラッセル・レイノルズ・・・」
これらはエグゼクティブすなわち経営幹部(CEOなど)をヘッドハンティングする会社なのだが、ここに書かれている企業の一つに目が留まった。
「うーん、やはり聞いたことがあるぞ」
この前、上場人材企業の役員である土屋さん(仮名)が「ここからヘッドハンティングの話がきたら凄いんだぞ、なんたって世界一権威のあるエグゼクティブサーチの会社だからね。自分もそこから声がかかるような人材になりたいよ」といっていた。
そのとき、私は何も知らなかったので「大和証券の一年のときに、そのヘッドハンティング会社から声がかかりましたよ」と口にした。すると、土屋さんの顔が「ハニワ」になっていた。
「そんな馬鹿な。それは何かの間違いだ」といわれた。
なので、私はその場で会社に電話をかけて、名刺フォルダから当時お会いした二人の名刺を探してもらった。すると、確かにその会社のものだった(笑)。
こうして、特集記事で紹介されているのを見ると、私が知らなかっただけで、当時は凄いヘッドハンティング会社の人たちと会っていたんだなとびっくりした。
同時に、「大和の一年生のときに既に声をかけてもらえていたんだ」と思うと誇らしく思えた。
渋谷東武ホテルで交わした彼らとの会話に、大和証券を非難するようなところは全くなく、むしろ彼らの話はグローバルで、とてもスマートなものでした。願わくば、一流のヘッドハンティング会社やスカウト会社は、皆そうであってほしいものです。そして、欲を言えば、転職をしたいと思わないくらい、素晴らし会社と素晴らしい人材がきちんと出会えるようになって欲しいと思います。



