起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
| 第92話 2007年9月18日 |
別れ
2000年3月21日。
新幹線が東京駅に着くと、既にあたりはすっかり暗くなっていました。私は東京駅で新幹線を降りると、大和証券の鶴見寮に向かいました。
奈良に帰省するまで、私は起業するかどうかで悩んでいました。理由は、当時付き合っていた涼子さん(仮名)のことがあったからです。共に過ごした4年間はとても素晴らしく、幸せな日々でした。私は彼女を愛していました。
起業しても一年で廃業するのは半分ともいわれる中で、私自身が成功するかどうかは定かではありません。彼女と結婚しているわけでもないのに、私のこの挑戦に彼女を巻き込んでもよいのかわかりませんでした。
当然、起業するには資金が必要です。ですから、起業前や起業直後に彼女との結婚式を開くといったゆとりはないでしょう。また、お金のゆとりが出るのが何年後になるのかもわからないのです。結婚式を挙げることを前提に考えると、起業するならばもう涼子さんとは付き合えないと思いました。
「私は結婚式なんて挙げなくてもいい」
涼子さんはそういってくれる人です。しかし、やはり涼子さんの一生に一度の結婚には、結婚式をどうしても挙げさせてあげたい、挙げて欲しいと思いました。
ブライダルフラワーを始めたいと涼子さんから相談を受けたとき、私はこういいました。
「それに、夢があるなら追いかけたほうがいいよ。涼子さんみたいに優しい人にはぴったりの夢じゃないか」
「僕は、その夢を応援したいな」
せっかく彼女が追いかけ始めた夢を私がくじいてしまうわけにはいきません。そして、ブライダルフラワーを手がけている涼子さんが自分の結婚式を挙げられないなんて、そんな悲しいことはないでしょう。ところが、起業する私と一緒にいては、それが現実となる恐れがありました。
ですから、起業することを前提に考えれば、やはり涼子さんとは別れなければならないのです。
「苦労させること、結婚式を挙げられないかもしれないことを前提に涼子さんと付き合い続けるか。それともここで別れて、涼子さんにはもっと幸せにしてくれる人と結婚してもらうか」
奈良に帰り、両親と会うことでその問いに答えを出しました。
「涼子さんと別れる。大和証券を辞める。起業する。そして、親孝行をする」
こう決断した以上、別れるならばその日のうちのほうがいいと私は考えました。それが誠意ある行動ではないかと。
★ ★ ★ ★ ★
鶴見寮の私の部屋に入ると、窓の外から鶴見つばさ橋のイルミネーションが目に飛び込んできます。寮が高台の上にあり、昼間には海も見えるという立地でした。
私は、その窓際に立つと携帯から涼子さんの携帯に電話しました。
「ひろくん、お帰り!」
いつもと変わらぬ涼子さんの元気な声に戸惑いつつも、私は意を決して別れを告げました。
「涼子さん、ごめん。起業することにしたんだ。世界最強の企業を創りたい。だけど、君まで苦労させるわけにはいかない」
電話の向こうで涙を流しているのがわかりました。
「どうして?こんな電話だけで、もう一生会えなくなってもひろくんは平気なの!」
目を閉じて、深呼吸してから私は口を開きました。
「涼子さん、ごめん。もう涼子さんをこれ以上待たせるわけにはいかない。起業すると結婚式を挙げるまでに何年もかかってしまうから」
そして、私は電話を切りました。
それは、とても短い電話でした。
今なら、それが間違いだったことがわかります。
実際、起業してからは苦労の連続で、とても結婚式を挙げられるような状況ではありませんでした。私は、事業資金が尽きかけ、中延という住宅街にあるオフィスで3年間も寝泊りしていたほどでした。まさか自分がそのような生活(風呂なし生活・銭湯通い)を3年間も続けるようになるとは想像だにしていませんでした。
結果だけ見れば、別れたことは正解だったのかもしれません。しかし、本来ならば、両親への親孝行もしながら、彼女とも付き合い続けながら、そして結婚して豊かな家庭を築きながら成功し続けなければなりませんでした。
経営者としての自信、決意、そして実力が足りなかったことと、人間としての未熟さが、このような誤った判断につながってしまったのです。
どんな場面でも、私の心の支えになってくれたはずの大切な人を失ってしまいました。
私がいつも涼子さんのことを思い出すたびに、心が痛くなることがあります。それは、彼女と付き合っていた頃に交わしたある約束です。
「もし、涼子さんがたとえ歩けなくなったとしても、僕がその足の代わりとなってどこへでも連れて行ってあげるからね」
一時期、腰を痛めていた彼女に私はそういったのです。
彼女はその約束を覚えていて、まだ付き合っている間にもらった手紙に、「とってもうれしかった」と書いてくれていました。
ですから、私はその約束を果たせなかったことを今でも悔やんでいます。
★ ★ ★ ★ ★
涼子さんと別れてから約一年後の2001年3月7日のことです。
その日は、春らしい穏やかな日差しで、美しい青空が広がっていました。
ちょうど新規事業を立ち上げようとしていた時期で、気分転換がてらにオフィスから出て、近所を散歩していました。
その散歩の途中、急な坂道に差し掛かったため、私は青空を見上げながらゆっくりとのぼっていました。すると、ふと涼子さんの澄んだ笑顔を思い出したのです。
「涼子さんは、元気にしているだろうか」
私は、オフィスに戻ると久しぶりに涼子さんにあててメールを書いて送りました。すると、すぐに返事が戻ってきたのです。
「増永君、メールありがとう。ちょうど今、新婚旅行から帰ってきたところです。夫に悪いので、このメールアドレスも使えなくする予定です。これまでありがとう」
私もすぐに「おめでとう」というメールを書いて送りました。
涼子さんはとても美人で優しい人でしたから、このような短い期間でも素敵な結婚相手が見つかるのもうなずけます。
そのメールのやり取りからは一度も連絡を取ったこともありませんし、誰からも涼子さんについての話をきいたことはありません。きっとその後も幸せに暮らしていることでしょう。
涼子さん、ありがとう。
起業家として、経営者として、会社やその社員を守ることは使命であり、どんなことがあっても逃げ出すようなことがあってはなりません。これは、家庭や家族をもつ夫においても同じことが言えるはずです。
当時、もっともっと自分がしっかりしていたとしたら・・・私が彼女を幸せにしてあげたかった。
だから私は、いずれ出会うであろう大切な人を、今度はどんなことがあろうとも守り抜こうと誓っています。



