起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第90話 2007年9月3日 |
社名のつけ方
高木誠司(ライブレボリューション取締役。2000年当時は、既に野村證券を退職しており、アメリカで米国公認会計士(CPA)の資格を取得して帰国した直後だった)
「この人と一緒に事業を行えば、成功すると感じました。インターネットという大変革の時代が到来していて、1秒でも早くこの業界で土俵に上がりたいと、いてもたってもいられませんでした。そんな時期に、現れるべき人が現れたのですから運命的でしたね。社長は当時から強烈な自信に満ち溢れていて、『普通の人じゃないオーラ』が出ていました。直感で、きっとこの人は将来成功しそうだなという印象を受けました」
出版をお手伝いした『ビットバレーの躍動』(仮名)が出てからしばらくして、大和証券の同期である駒田(仮名)さんから内線電話がかかってきました。
「もしも?あのさ、増永に会いたいって奴がいるんだけど、時間ない?」
大学時代に彼と同じゼミに所属していた「高木誠司」(以下、高木)という男が『ビットバレーの躍動』を読んで、私と会えるようセッティングして欲しいと彼に頼んできました。ちなみに、同期の彼は私と同じ年だったものの1浪して大学に入り、1流して卒業していたため、社会人になるのは2年遅れでした。私も大学院を出ていたために4大生よりも2年遅れて就職していました。
「セイちゃん(高木誠司)は優秀な奴だから会って損はないと思うよ」
高木は1998年3月に慶応大学を卒業後、同年4月に野村證券に入社。熊本支店に営業として配属されたものの1年で退職(彼はミーハーなタイプだったので、きっと熊本では耐えられなかったのでしょう(笑))。その後、米国に渡ってCPA(米国公認会計士)の資格を取得して日本に戻ってきました。彼は帰国直後に読んだ『ビットバレーの躍動』に感銘を受け、同著の中で私が大和証券で働いていることを知ったため、ゼミの同期だった駒田さんを通じて私にアプローチしてきたのでした。
私は渋谷支店での仕事を終えると、高木の友人が住むという半蔵門のマンションの一室で彼と面会しました。実は、当時の高木には住む家がなかったのです。出身は岐阜で、帰国したばかりでアパートを借りていませんでした。そこで、彼は友人のマンションやアパートを転々としていました。
高木の第一印象は『野生児』です。まさに「アメリカ帰り」といわんばかりの砕けた口調で、フランクな感じでした。
そんな高木から、初対面にもかかわらず次のようなセリフが飛び出しました。
「僕の社長になるのは、あなたしかいません」
私はとても驚きました。初めて会ったばかりなのです。高木は、『ビットバレーの躍動』を読んだときから、私を社長にすると決めていたといいます。
起業したいと思っていたのは事実ですが、当時の私はまだそれを決めていたわけではありませんでした。
大和証券に対して嫌だとか辞めたいとかいったネガティブなことを感じていたわけではなく、むしろ楽しんで仕事をしていたからです。とはいえ、他にも辞めたくない理由はありました。
「高木さん、ありがとうございます。そういっていただけるとはうれしいですね(笑)」
まだ日本のネット事情、経済事情を知らない高木に、私はいろいろ伝えました。そうする中で、だんだんと「起業したい」という気持ちが高まっていきました。
「早速、社名を考えてみませんか」
既に野村證券を辞めており、次は就職か起業かという状況の高木は、早くも社名を決めたいと言い出しました。
お互いのことをいろいろ語り合っていたこともあり、時計の針はすでに午前4時をまわっていました。
「あれでもない、これでもない」
高木は、「SONYのようなアルファベットを組み合わせた短い社名がいい」と言っていました。しかし、私はそういった案には賛同できませんでした。なぜなら、私には社名に対する確固たる考え方があったからです。
「高木さん、私は特別な意味を持たない社名にはしたくないんですよ」
「でも社名は、アルファベットの『A』から始まったほうが、電話帳等での並びも前に来ますし、短いほうが覚えやすくていいと思いますが」
「確かに『A』とか『あ』とかから始まったほうが有利だと思いますが、それだけでお客様から選ばれるとは限りませんよ。そんなことを考えている人はたくさんいるので、つづりが『AA』とかならまだしも『AD』とかになった時点で、もう名簿の最初に出てくるとは限らないじゃないですか」
「SONYみたいなアルファベットの短い組み合わせはどうして駄目なんですか。SONYのブランドは、あのアルファベットの組み合わせから来ているんじゃないですか?」
「あれは、SONYが今まで培ってきた実績があるからかっこよく見えるだけであって、出来たばかりの会社の社名がどんなアルファベットの組み合わせであったとしても、価値はないと思いますよ」
私は、別に「長い社名」にしたかったわけではありません。短いに越したことはないと思います。ただ、長くなっても「こうすれば大丈夫」という方法をあるブランドに関する本を読んで知っていました。
「社名は長くても大丈夫ですよ。ある本に『ドリームズ・カム・トゥルー』や『サザン・オール・スターズ』といった長いグループ名でも問題ない理由についてこう書かれていました。それは『略称』や『愛称』で呼びやすいかどうかだそうです。『ドリカム』とか『サザン』と呼べばそれとわかるならば、最初に長いグループ名をつけたとしてもなんら問題ないらしいですよ」
「なるほどですね」
「私は少なくとも自分の名前をつけたり、商品名をつけたりっていうのは嫌なんですよ。そういうのではなくて、会社が永く続くようにしたいので、価値観とか想いのようなものを社名につけたいと思っています。あと絶対に日本だけでは終わりたくないので、英語の社名にしたいですね」
こうして私たちは、いくつか単語を出して、それらを組み合わせることにしました。
「”live”とか”life”とかはどうですか」
「”real”を変えたいから”change”も入れたい」
「”change”じゃ弱いから”revolution”にしましょうよ」
すると高木は「これだ!」といってある社名を口にしました。
「”live door”(ライブドア)ってどうですか!人生や生活の入り口ですよ!!」
高木はアメリカから帰国したばかりで、その社名の会社が既に存在していることを知りませんでした。
「高木さん、ライブドア※は既にありますよ。今の渋谷の駅じゅうに広告を出している無料プロバイダーです。確か、ドラクロアの『民衆を導く自由の女神』をモチーフにしていたような・・・」※当時のライブドア(代表は前刀禎明氏)は2002年10月31日に東京地裁に民事再生法を申請した。その後、オン・ザ・エッヂ(代表は堀江貴文氏、その後エッジに社名変更)が同事業の営業権やブランド名等を全面的に譲り受け、2004年2月1日にエッジからライブドアに社名変更された。
「そうなんですか・・・」
「それよりももっとかっこいい名前を思いつきました。ライブレボリューション、人生革命ってどうですか?」
空が白み始めた頃、私は「ライブレボリューション」という社名を提案しました。
「レボリューション(革命)」という言葉には、「主権の移動」という意味があります。「専制君主の下で生活していた国民が革命を起こして、主権を手にする」といった具合です。
当時の私には、自分の人生を主体的に生きているのかどうかに迷いがありました。
「人生の主権を自らの手に取り戻さなければならない」
そう思った私は、「ライブレボリューション」を「人生革命」と定義し、この社名に「私たちとかかわるすべての人たちの人生革命に寄与したい」という想いを込めたのです。
私が社名のつけ方において特にこだわっていたのは、その会社で働くメンバーが、創業時の想いを日々忘れないように、「いつまでも変わらぬ価値観を社名に込める」ということでした。自己紹介の際に、「ライブレボリューションの」と口にするたびに、「私たちとかかわるすべての人たちの人生革命に寄与したい」という想いを思い出せるようにしたかったのです。
よく「社名=会社のサービス」という会社を見かけます。おそらく、会社やサービスの立ち上げ時のブランディングコストを重視すれば、このほうがよいでしょう。ですが、私は人生をかけて会社を経営していこうと考えていましたから、「社名=会社のサービス」といった安易なネーミングは絶対にしないと心に決めていました。なぜなら、長期的に見ると、別のサービスも同時に手がけたり、全く別のサービスに転換したり、手掛けたサービスの評判が下がったりしたときに困ることになるからです。
レコードがCDに置き換わったように、製品やサービスには寿命があります。そんな「プロダクト・ライフサイクル理論」の観点から見ても、社名にサービス名をつけてしまうことは考えられませんでした。同様な観点から、社名に「事業名」や「産業名」をつけることもありえないことでした。私は、自ら創業した会社がいつまでも永続することを前提に社名をつけようと思っていたのです。
結局、それから約7年の間に何度か事業転換を経験しました。しかし、社名に込めた思いは息づいています。
ライブレボリューションは「人生革命」を意味するということで、自分の生き方を積極的に変えていこうとする姿勢を大切にしています。もっといえば、そうするべきだと考えています。なぜならば、それが成長につながるからです。
「世の中の変化に適応するだけでなく、自ら変化を生み出さなければならない」
自分たちの意思とはかかわりなく、世の中は常に変化しています。
刻一刻と変化する環境に対して、私たちは常に適応してゆかなければなりません。しかし、ビジネスの世界でトップに立つには、一歩先行くサービスを提供する必要があります。そのためには、世の中の変化に適応するだけでなく、自ら変化を生み出さなければならないのです。
高木誠司
「出会ったその日に、僕から『会社をつくりましょう!』と持ちかけていました。その日、明け方近くまで一緒に会社名を考えていたのですが、その会話のやりとりは、妙に鮮明に覚えています。『ライブドアってどうですか?』『その名前の会社はもうありますよ!』結局、社長の案が採用されたわけですが、ライブレボリューション以上にかっこいい社名はないと思いますね (笑)」
「高木さん、ライブレボリューション(Live Revolution)にしましょう。これだったら、将来『LR(エル・アール)』とか『ライレボ』といった具合に略せるから大丈夫だと思いますよ」
私たちは、会社を創る5ヶ月も前からこんな風にして社名を決めていました。私にとっても高木にとっても愛着のある大好きな社名です。また、「社名がかっこいいから面接に来ました」という人もいますし、外国の方からも「クールだね」とよく言っていただきます。
「一緒に会社を創りましょう」
高木はそういいました。
私も、この高木誠司という男とやるのならば、大和証券を辞めることは構わないと思いました。頭の回転の速さ、勢い、度胸は申し分ありませんでした。あとは、ミーハー過ぎるところを矯正し、礼儀作法さえ身につけてもらえばとんでもなく凄い経営者に成長するだろうと思いました。
ところが、正直に言えば、私はこの日に起業を決意できたわけではありませんでした。
私には、どうしても起業するということを決断し難い理由がありました。それは、当時付き合っていた涼子さん(仮名)のことがあったからです・・・。



