起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第86話 2007年8月2日 |
できるというスタンスで臨む
高橋将雄(ライブレボリューション取締役。2000年当時は、大和証券株式会社の営業企画部にて大和証券リテール部門の営業戦略、チャネル開発、広告宣伝などを担当)
「当時の社長のことを『ニュータイプ』だと思いました。その頃は、ノートPCを持ち歩いて活用している支店の営業マンなどほとんど聞いたことがありませんでしたし、ネットベンチャーに当たっている営業マンもほとんどいませんでしたから。彼は新しい潮流の中にいたんだと思います」
日本は、グレゴリオ暦の2000年になるとコンピュータが誤作動する可能性があると騒がれた「2000年問題(Y2K問題)」を無事に乗り切り、私もeBookプロジェクトの取材活動を順調に進めていました。
その取材活動が終わりに近づいた2000年1月20日、渋谷支店に籍を置いていた私のところへ、大和証券の本社から一本の内線電話がかかってきました。
「もしも?増永か?」
それは、本社の営業企画部に勤める筒井(仮名)さん※からの電話でした。ちなみに、大和証券に勤める人たちは、内線電話での挨拶に「もしもし」ではなくて「もしも」という短縮形を使っていました。(※筒井さん:大和証券の先輩。後にライブレボリューションの取締役となる高橋将雄と金子真歩を私と引き合わせてくださった恩人)
「あのさ、今時間あるか?」
「はい、ありますよ」
「明日、大和総研の役員が東京国際フォーラムで毎年恒例の新春講演会をやるんだけど、その際のプレゼンに使うための『パワーポイント』の資料を今から作ってくれないか?」
私はこの電話をもらったとき、「チャンスだ」と思いました。なぜならば、大和証券のグループ会社の一つである大和総研の役員の仕事を手伝えるからです。入社一年目の身としては、役員に会えるだけでも奇跡的でした。にもかかわらず、その大事な仕事を手伝えるのですから、こんなチャンスは滅多にありません。
「じゃ、何時に本社に来れる?」
「15時に本社へ参ります」
「わかった。それじゃ本社の食堂に来てくれ。そこで説明するから」
「かしこまりました」
筒井さんから電話をもらったのが13時です。本当は、14時にでも本店に行くことは可能でした。しかし、わざと一時間のバッファを持たせました。
「確か、このノートPCに『パワーポイント』が入っていたはずだ」
私がいつも家から持参している私物のノートPCを開いてチェックしました。
「おっ、このオレンジ色のアイコンがそうだ。ふーん、これが『パワーポイント』かぁ」
パワーポイントというソフトがプレゼン資料や企画書を作るためのソフトであることは知っていました。しかし、実はそれまで一度も使ったことはありませんでした。
私は、パワーポイントがインストールされていることを確認すると、そのノートPCをカバンに入れて支店を出ました。そして、渋谷駅に向かうのではなく、逆方向に少し進んだところにあった「大盛堂書店(2005年6月30日より休業)」に駆け込みました。
「ふむふむ、なるほどね」
パワーポイントについて書かれていた本を立ち読みし、並べてあった関連書籍から2冊ほどピックアップして、購入しました。
「筒井さんに会うまでに読めば大丈夫だろう」
こうして私は、渋谷支店から本社につくまでの間に、パワーポイントの本を読破しました。私が一時間のバッファを持たせた理由、それは初めて扱うソフトであるパワーポイントを覚えるためでした。
★ ★ ★ ★ ★
「筒井さん、お疲れ様です」
本社の食堂に入ってきた筒井さんは、後ろに男性を一人連れていました。
「いやー、役員から急に『パワーポイントを使って講演したい』って言われちゃってさ。ところで、紹介するよ、営業企画部の高橋。こっちは渋谷支店の増永」
この時に出会ったのが、起業してから一年後にライブレボリューションの取締役として加わってくださった高橋将雄(以下、高橋さん)でした。
「じゃ、後は高橋が説明するからよろしくね」
そういって筒井さんは出て行ってしまいました。
「結構、資料がありますね」
私は、高橋さんから手渡されたCDロムの中のデータを確認して驚きました。
「これ、40ページ以上になりますよ」
大和総研の役員の方の仕事を手伝えるということで、未経験の仕事を引き受けてはみたものの、初心者が扱うには大変なボリュームでした。しかし、今更「やったことがない」「できません」とはいえません。特に、パワーポイントを使うのが初めてであるということは、プレゼン資料が完成するまで明かさないと心に誓っていました。
「いつまでにやればいいんですか?」
「明日の朝まででいいよ」
それを聞いて安心しました。徹夜でやれば何とかなると思ったからです。
渋谷支店に戻り、定時に支店を退社して鶴見寮に戻った私は、すぐにプレゼン資料の作成に取り掛かりました。パワーポイントの本を片手に、CDロムに入っていたプレゼン資料の素材をパワーポイントのソフトで加工していきました。
結局、完成したのは朝の8時でした。
「危ない、ぎりぎり完成した。しかし、初心者が作ったとはわからないほどの出来栄えだ。これなら役員も喜んでくれるだろう」
筒井さんの携帯に電話すると、「すぐに東京国際フォーラムまで持ってきてくれ」といわれました。私は一睡もしないまま、スーツに着替えて寮を出ました。
大和証券が主催する2000年の新春講演会は、東京国際フォーラムの「ホールA」で行われました。ここは東京国際フォーラムの中でも最大で、座席数は5000席を超えています。そんな会場を貸し切りで使える大和証券の力を、当時の私は誇らしく感じていました。
私は、舞台の横の待機スペースで筒井さんにプレゼン資料のデータを渡すことになっていました。
「おう、増永。でかした、でかした」
持参した私のノートPCに映し出されたプレゼン資料を見た筒井さんはとても喜んでくれました。
「実は、パワーポイントを使うのは初めてだったんですけどね(笑)。なかなかのものでしょう」
筒井さんは期待通りに驚いてくれました。
「じゃ、私はこれで帰りますから」
私が立ち去ろうとすると、筒井さんから待ったがかかりました。
「いや、お前が作ったんだから、お前が操作しろよ」
「操作って何ですか?」
「お前が役員のスピーチに合わせてスライドを変えるんだよ。このプレゼン資料の中身がわかっているのはお前だけなんだからさ」
私は焦りました。スライドを操作するなんてことは想定していなかったため、その方法までは勉強していなかったのです。
新春講演会に招待されていたお客様は3000人を超えていました。その3000人の前で、役員に恥をかかせるわけにはいきません。果たして、眠くて頭がもうろうとしていた初心者の私が、その大役を務めることができるのか・・・と、そのとき、入り口のところに、何人もの黒いスーツを着た男性に囲まれて竹中平蔵氏(当時、慶應義塾大学教授。翌年小泉内閣において、民間人として経済財政政策担当大臣に就任)が姿を現しました。
「あ、ワールドビジネスサテライトでコメントしている竹中さんだ」
そう私が思った瞬間、筒井さんは立ち上がり、次のセリフをのこして立ち去ってしまいました。
「後はお前に任せる。竹中先生の後が役員の講演だからさ、ちゃんと役員と打ち合わせしておけよ」
その後、しばらくすると大和総研の役員である西役員(仮名)が待機スペースにやってきました。
「君か、私のプレゼン資料を作ってくれた一年生というのは」
西役員はとても気さくな感じで、笑顔で私の労をねぎらってくれました。私は、早速打ち合わせに入りました。
「という感じで、私がスライドを変えます。よろしいでしょうか」
「うん、それでいいよ。後はよろしく頼むよ」
西役員は講演会になれているらしく、特に緊張しているといった印象は受けませんでした。
「これで西役員の出番が回ってくるまで仮眠すれば大丈夫だ」
私がノートPCの電源を切って、奥の控え室に戻ろうとすると、目の前に見覚えのある小柄な男性が立ちはだかりました。
「なんで、てめえがここにいるんだ」
それは、大和証券新宿支店の安部支店長(仮名)でした。
「あ、安部支店長。おはようございます」
渋谷支店と新宿支店はライバル支店であり、犬猿の仲でもありました。当時の渋谷支店は大和証券の中でも先進的な取り組みをしていたため、よく新宿支店の安部支店長も見学に来ていました。その際に、私は顔を覚えられていたのです。
「一年坊主がなんでこんなところにいるんだよ」
半分ヤクザのような口調でした。当然、みんなからも恐れられていた支店長の一人です。
「いやー、『お手伝い』っていうんですかね(笑)」
「てめえはいつもお手伝いばかりじゃねぇか」
「おっしゃるとおりでございます」
思わぬところで苦手な安部支店長に出くわし、一気に眠気が吹っ飛んでしまいました。
★ ★ ★ ★ ★
「・・・というわけで、今年はNTTデータの株が狙い目かもしれません。それでは、ご静聴ありがとうございました」
西役員の講演に対して、会場内からは大きな拍手が沸き起こりました。大成功でした。私のパワーポイントの操作も完璧でした。
「西役員、お疲れさまでした」
「うん、こちらこそありがとう。増永君だったね、いい仕事をしてくれてありがとう。また一緒に仕事をしような」
そんなお褒めの言葉をいただき、私は安堵感から眠気に襲われました。
当時の私は「できる」というスタンスで何事にも臨もうと決めていました。それはすなわち、すぐに「できない」とこたえるのではなく、まず「できる」ということを前提に、何とかならないかを考えてから結論を出そうという考え方です。
世の中には、頼まれごとをされた際、すぐに「できない」とこたえてしまう人が大勢います。何も考えず、反射的に「できない」と間髪いれずにこたえる人もいます。
確かに、「今はできない」ということはあると思います。しかし、時間をかければできるようになることもあります。
たとえば、営業でお客様と面談しているとき、「これはできますか?」といわれて「できない」とすぐにこたえるタイプの人は成長しませんし、出世もしないでしょう。
逆に、私ならばこうこたえます。
「わかりました。明日までの宿題にしてくださいませんか」
そのときはできないこと、そのときは知らないことであっても、会社に帰ってからであるとか、時間を置いてからであれば状況を変えられます。
私のこの新春講演会のプレゼン資料を作成する件がまさにそうです。電話をもらった時点ではできなくとも、翌日の本番までにできるようになっていればよいのです。これが、チャンスを掴める人と、チャンスを逃す人との大きな差だと思います。
もし、筒井さんに頼まれた際に、できないからといって「できません」とこたえていたら、「あっ、そう。じゃほかの人に頼むからいいよ」といわれて終わっていました。それでは、次回からも同じ仕事は頼まれませんし、パワーポイントを覚える機会はありませんでしたし、さらには、高橋さんや西役員にも会うことはできなかったでしょう。大事な経営メンバーの一人と出会えただけでも、このときの「できるというスタンスで臨む」の心構えが、その後の運命を変えたといっても過言ではありません。
相手に何かを頼む際に、いつも快く「何とかしてみます」といってくれる人と、「いや、無理ですね」とそっけなくいう人では、どちらに仕事が集まるでしょうか。私は前者だと思います。そして、どちらが成長を続けるか、それも前者でしょう。常に自分のできないことでも挑戦する人は、最後はできるようになり、成長してゆきます。私は、この一件のおかげで一夜にしてパワーポイントを使いこなすことができるようになりました。とても大きな財産になりました。
帰り際、筒井さんと高橋さんにもお礼をいって東京国際フォーラムを後にしました。
「あの高橋さんは、きっとできる人だろう」
大先輩で、私よりも6つも年上の高橋さんが、ライブレボリューションの経営陣に加わってくださることになろうとは、そのときは思いもよりませんでした。
さらにこのとき、将来ライブレボリューションの経営陣に加わることになるもう一人の人物が東京国際フォーラム内に居合わせ、私がパワーポイントのスライドを操作しているのを眺めていたとは、全く想像もつきませんでした。



