起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第84話 2007年7月25日 |
私が常に営業成績で一番だった理由
櫻井信之(現在、大和証券株式会社名古屋支店上席コンサルタント部に勤務。私が大和証券に在職中、改算同期として私と同じ渋谷支店に勤務していた。大和証券のトップセールスマンの一人)
「すごいインテリ風の営業マンがやってきたと思いました。証券会社の営業といえば、スマートというよりは体育会系のノリですから。増永君には、知的なイメージが先行していたので、少し線が細いのかなと思って見ていました。ところがです。しっかりとした信念を持って働いていて感心したことを覚えています。当時、私自身が必死に仕事をやっていて、あまり周りを見る余裕がなかったからかもしれませんが、増永君自身が積極的に自分をアピールするようなことはなかったかもしれません。増永君は、今を生きるというより、自分自身の人生を物凄く先のほうまで考えて生きていたように思います」
朝、出社すると一番に気になって見たくなるのが自分の社内順位です。私が勤めていた頃の大和証券では、一人ひとりに与えられた専用端末で、前日の営業結果を基にした社内順位(私の場合は同期比)を見ることができました。
「うーん、自分はまだまだだな。どうして、彼はこんなに預かり資産が増えたのだろう」
早い人であれば、営業に配属されて3ヶ月もしないうちに、預かり資産が1億円を超える人も出てきます。
「彼は昨日一日だけで、10億円も預かり資産を増やしているのか・・・新宿支店だからかな・・・」
私はあまり同期と交流を持たないようにしていました。ですから、どうして配属から数ヶ月目で10億円も預かり資産が増えるのか見当もつきませんでした。ちなみに、なぜ私が同期とほとんど会わなかったかといいますと、同期たちが愚痴ばかり口にしていたからです。飲み会の席では「支店長が怖い」「先輩が嫌い」と言ってばかりでした。あまりにも後ろ向きな会話が多かったため、同期との飲み会には一切参加するのをやめてしまったのです。おそらく、私がたくさんの同期で集まって開いた飲み会に出席したのは一回だけです。あとは、数少ない前向きな同期の人たちとしか交流しませんでした。
「自分は、自分のやり方でやると決めたんだ。信じてやるしかない」
テレアポ営業、飛び込み営業、ポスティング営業を経てたどり着いた営業スタイルは、私が「IPO営業」と呼ぶものでした。
IPOとは「Initial Public Offering」の略で、未上場企業が、新規に株式を証券取引所に上場し、投資家に株式を取得させることを言います。いわゆる株式公開です。
私の当時の営業戦略は、未上場企業の社長で、株式公開に興味のある人を見つけ、その社長と会社の株式公開を支援することで、上場後の莫大な資産を私が運用して成績を上げようというものでした。
「一件でも株式公開にこぎつければ、他の同期には負けはしないさ」
株式公開を果たす社長や経営者の中には、個人資産が数百億円から数千億円になる人もいました。私は、すでにそのような資産を持っている人を探すのではなくて、まだ資産家になっていない人を自分の手で億万長者にしてから取引しようと考えていました。「まず与えよ」ではないですが、まず恩を売っておくほうがいいと思っていたのです。
「この営業戦略を成功させるためにも、『eBookプロジェクト』を成功させなくてはいけない」
私はそう自分に言い聞かせて、ひたすら経済誌のページをめくっていました。その雑誌で紹介されている若い経営者たちで、IT関連のビジネスに携わっている人たちを書籍『ビットバレーの躍動』(仮題)で取り上げようと思っていました。
「日経関連企業から出版しますので、取材させてください」
このような営業トークを使えば、若い経営者ならばほとんどの人にアポが取れます。そういった人たちとまず会い、取材し、本で紹介し、彼らの知名度を上げ、業績をよくして、株式公開までお手伝いする・・・こういった流れを作って、どんどんお客様を増やしていくつもりでした。
そんな私の営業戦略を支援してくださったのが、先輩である三上さん(大和証券の元先輩、株式公開に携わっていた。現在、マスターピース・グループ株式会社にてマネージャーを勤める)でした。渋谷支店で株式公開を専門的に支援する仕事をされていたのです。
「営業第三課で仕事をしているよりも、三上さんがいる法人課で仕事をしているほうが、eBookプロジェクトやIPO営業に集中できていいのにな」
そんなことを考えていました。ところが、営業の仕事で優秀な成績をおさめながら、私が考えていたIPO営業に近い仕事もこなしている先輩がいたのです。私と改算同期※である櫻井さんでした。(※大和証券では、大学院卒の給与テーブルは学部卒(二つ上)の先輩と同じになっており、1999年に入社した私は、給与テーブルにおいて1997年の先輩達と同期であるとみなされていました)
「今度、東証マザーズに上場する予定のネットベンチャーの副幹事の仕事を取ってきたんや」
関西出身らしい豪快な雰囲気のある櫻井さんは、私が目指す営業スタイルに近いことを実践していました。櫻井さんは後に、トップ営業となり、どんどん出世してゆきます。
「櫻井さん、それはどんな会社なのですか?」
「渋谷に本社があってな、インターネットの技術インフラをやっている会社や」
私はそれを聴いた瞬間、「ぜひ、『ビットバレーの躍動』の取材対象にしたい」と思いました。
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この頃の私の毎日は、5時30分起床、7時出社、20時退社、21時鶴見寮到着、22時勉強及びeBookプロジェクト、25時就寝といった感じでした。
特に、eBookプロジェクトが始まってからは資格試験の勉強もあいまって、ほとんど時間のゆとりがなくなってしまいました。
「もう24時だけど、メールだったら大丈夫か」
私はそう思って、『ビットバレーの躍動』の取材候補であるサイバーエージェントの藤田社長に、取材申し込みのメールを送りました。するとわずか1分足らずで返事が戻ってきたのです。
「どうぞよろしくお願いいたします。藤田」
藤田社長が夜遅くまで働いていて、メールもすぐに返してくださるということは、噂には聞いていたものの、本当にこんなに早いんだと驚かされました。
こうして私は、どんどん取材候補の社長さんたちにメールを出していきました。その数は30名にも上っていました。
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通常の営業をしながら、eBookプロジェクト、IPO営業をこなすという毎日を過ごしていると、やはり体力的な限界を感じることがありました。
特に、午後の2時くらいになってくると眠くて仕方がなくなるのです。
そういうときには、仮眠を取ったほうが効率はよくなるはずなのですが、証券会社で真昼間からの仮眠など許されるわけがありません。
困った挙句に私が考え付いたのが「山手線の電車で寝る」ということでした。
幸いにも、支店から渋谷駅が近かったため、私は「外交営業に行ってきます」といって渋谷駅から山手線に飛び乗り、仮眠しながら山手線を何周かしていました。
ちなみに、自分で会社を設立してからは、どうどうと自分の席で仮眠をとってもよいとしています。隠れてマンガ喫茶やカラオケに行って仮眠を取ってもらうよりは、よほどいいからです。ましてや山手線で何周もして帰ってこないよりはマシです。
「こんな風に山手線で寝なきゃいけないような仕事のやり方ってどうなのかなぁ。普通にやるよりももっと大きな成果を上げる為に仕事をしているのに、自分の首を絞めているような気がしてならない・・・」
伝説的な営業成績を上げて、会社に大きな貢献をしようとして努力し、工夫を重ねているのに、見つかったら絞られてしまうようなことをしていては報われない気がしてきました。
「普通の営業のやり方のほうが非効率だと思っているから、今のIPO営業に取り組んでいる。ということは、私は普通の営業をやめてしまったほうがよいのではないか・・・」
同じ営業職でも、もっと成績を出せる営業手法を実践したいという意欲がわいてきました。そして、一番大事なことに集中するべきだという結論に至り、とうとう支店長に直談判することにしました。
櫻井信之
「当時の渋谷支店は、まさに黄金期だったなと思います。『栄光の渋谷支店』はちょっといいすぎかもしれませんが、まじめな人が本当に多かったですね。そういえば、あの頃のメンバーから支店長を3人も輩出していますね。私が増永君のことで一番驚かされたのは、名刺集めの件でしょう。普通『一ヶ月で名刺を100枚集めろ』といわれたら、とりあえず100件訪問しようと考えます。そして、私の同期たちはそれができなくて脱落していきました(笑)。それにひきかえ、増永君は『展示会』に参加してわずか1日で集めてきました。その発想の違いに、かなりショックを受けたことを痛烈に覚えています。あと、渋谷支店の大会議室で開かれていた異業種交流会のような勉強会への参加のスタンス。私は参加者の中からお客様になってくれる人がいないかなと思って手伝っていました。ところが、増永君は、『人脈』が欲しいから、そして自分の将来のために参加していました。今から考えるとすごい差でしたね。私もリテール営業を極めながら、法人課の三上さんと絡んで投資銀行業務もやろうと思っていましたが、増永君は途中でリテール営業を極めることに意味を感じなくなって投資銀行業務に特化しましたね。並みの人ならレールから外れるようなことは怖くて絶対にできないですけどね」
私は支店長との面会の約束の時間に、支店長室のドアをノックしました。
「失礼します。増永です」
「よ、増永。相談だって。どうした?」
当時の渋谷支店は大和証券の中で一番の成績をあげている支店といわれていました。そんな支店を率いているにもかかわらず、沢田支店長(仮名)は大和証券の中でも3本の指に入るのではないかというくらい優しいことで有名でした。
支店長は、いつものように笑顔で私を迎え入れてくれました。
「実は、IPO営業に特化したいと思っています。そのほうが莫大な預かり資産を築くことができますし、渋谷支店のステータスも上がると思うからです」
私は支店長に対して、自分が通常の営業業務をこなすよりも、IPO営業に取り組んだほうが大和証券のためにも渋谷支店のためにもなるんだということを説明しました。
「支店長、そのためには現在取り組んでいる出版プロジェクトに注力しなければなりません。業務時間中でなければ、未来のIPO候補である若い社長たちに会えません。それから、私の席は出入り口の付近なので人が通るたびに持参したノートPCを覗き込まれて業務に集中できません。そこで、通常の営業からはずしていただき、私を奥の壁際の席(窓際ではありません、笑)に移動させていただけないでしょうか」
さすがに、そこまでは駄目だろうと思いつつも、なぜそうしてもらわなければならないのかを交えて丁寧に説明しました。
すると、支店長はニコニコしながら「トップだからいいよ」とあっさり了承してくださいました。
「増永、私は君に期待しているんだよ。大学院卒でもここまでできるものなのかといつも驚かされている。まさか、渋谷支店に来てから一日も、一度もトップから落ちたことがないんだからね。君ならきっと、いま自分が口にしたことを実現してくれるだろう」
私は驚きました。「一度もトップから落ちたことがない」とはどういうことなのだろうかと。しかし、少し考えてみると、そのカラクリに気付きました。
「そうか、支店長はあの画面を見ているんだな」
当然、支店長も出社すると毎朝必ず支店の営業マンの順位をチェックしています。ところが、私と支店長では見ている画面が違っていたのです。
私の場合は、同期比で一覧になっている画面。支店長の場合は、支店の営業マンが一覧になっている画面。
支店長が見ている画面は、支店の営業マンの順位だけが載っている画面で、預かり資産や収益までは表示されていません。しかも、私の順位は「同期比」ではなくて、「改算同期比」のものだったのです。
本来、私は改算同期ということで2つ上の先輩と同じテーブルで競争しなければなりませんでした。ところが、いきなり二つ上の先輩たちと同じテーブルには入れられません。2年分の差があるからです。そこで、「改算同期」として別の新しいテーブルに登録されていました。
同期入社の大学院生で営業に配属されたのは私だけでした。つまり、そのテーブルには私しかいなかったのです。
そのテーブルの順位だけが、支店長が毎日チェックしている画面に反映されていました。
「いえいえ、たいしたことはありません。それでは、私はIPO営業に特化させていただきます。それから、席も早速移動させていただきます。ありがとうございました」
私は笑顔でお礼を述べました。
「いつまでバレないかわからないけれども、自分でバラしても意味がないから」
私のこの「チャッカリ感」は父譲りです(笑)。私の父なら絶対にここで自分からバラしたりはしないだろうなと思って、その通りに行動しました。
結局、翌年の7月末に退職するまで、支店長にこのことがバレることはありませんでした。おかげで、支店長に怒られることもなく、いつものびのびと仕事をさせてもらいました。
「よし、これでeBookプロジェクトとIPO営業に専念できるぞ!」
こうして、ストレスになるような環境を自ら改善し、どんどん楽しく仕事ができるようになってゆきます。
櫻井信之
「増永君にとっては当たり前のことでも、僕ら凡人には十分びっくりさせていただいています。そして、もっともっと強烈な発想とアイディアで、さらに驚かせてくれることを期待しています。ということで、あとは君に任せる!」
P.S.・・・支店長、大和証券時代にはありがとうございました。支店長のおかげで、私は毎日が楽しく素晴らしいダイワライフを送ることができました。心より感謝申し上げます。(増永)



