起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第81話 2007年6月22日 |
チャンスの到来
まだ『Bit Valley』(以下、ビットバレー)が本格的なブームになる前の1999年10月、私は偶然にもビットバレーの象徴的な存在である『Bit Style』というパーティーに参加しました。
私は、その『Bit Style』から帰ってくると、寮のお風呂で湯船につかりながら考えました。
「証券営業マンとして社長をターゲットにする戦略は正しい。そして、社長が出席しそうなパーティーに参加する戦術も正しい。でも、今回の『Bit Style』からはもっと別のことに気づかされた」
『Bit Style』は、単に誕生日を祝うパーティー、打ち上げで盛り上がるためのパーティーといった類のパーティーではありませんでした。いわゆる「異業種交流会」と呼ばれるものでした。私は、その時までパーティーと呼ばれるものにはほとんど出席したことがなく、特に「異業種交流会」となると、その言葉さえ知らなかったくらいでした。ですから、異業種交流会に出席するまでは、そこに参加する人たちのニーズについてほとんど理解していませんでした。
「起業家が集まり、金融関係者が集まり、監査法人が集まる・・・『Bit Style』は、なぜ600人近い人たちを惹きつけることができたのだろうか?」
鶴見にある大和証券の寮は、入社直後に住んでいた清瀬寮に比べると遥かに立派でした。特に、共同のお風呂はとても広くて快適でした。そんなお風呂で湯船にしっかり浸かりながら考え事をしていると頭がボーっとしてしまうので、浴槽に腰掛け、足だけをお湯につけながらその日の出来事を整理していました。
「人は誰しも幸せになりたい。そのためにもお金が欲しいし、成功したいし、有名にもなりたいものだ。『Bit Style』には、それらを求める人たちにチャンスを与える場を提供していた」
有名な起業家がパーティーに参加するとなれば、彼らと一緒にビジネスをするチャンスがあります。もし、その場で有名な起業家たちと仲良くなれなかったとしても、彼らのスピーチの中からヒントを得て、自分のビジネスに活かせるかも知れません。
また、その場にたくさんの起業家が集まるのであれば、彼らに対してビジネスをしたいと思っている人たちも集まってきます。まさにそれは大和証券に勤めていた私にもあてはまっていました。
はじめて『Bit Style』に参加したその日の私にはまだ「起業家たちの会社を株式公開させて、大きな顧客に育て上げる」という発想までは至っていませんでした。ところが、そういったビッグディールにつながるのではないかというチャンスは感じていました。
「人と人とが出会うとき、そこには化学反応のようなものが起きる気がする」
石灰石とうすい塩酸を別々に置いておいても何も起りませんが、石灰石にうすい塩酸を加えると化学反応を起こして二酸化炭素が発生します。起業家だけでも株式公開はできず、証券マンだけでも株式公開はできない。株式公開を果たすためには少なくともその両者が必要になる。まさに、全く異質のものが交わるが故に可能になることが存在するわけです。そう考えてみると、何と何と(誰と誰と)が組み合わさるのかがとても重要だなと思いました。なぜならば、組み合わせによって結果が違ってくるからです。
「『Bit Style』の主催者は何を考えていたのだろう?」
なるべく頭の中でシンプルに整理してみようと努めました。
「どうして、インターネットというテーマを選んだのか」
「どうして、参加費を3000円に設定したのか」
「どうして、あの会場を選んだのか」
「どうやって、主催者は有名な起業家にゲストスピーカーを引き受けてもらったのか」
「どうやって、600人という参加者に声をかけることができたのか」
そういったことを考えていると頭がくらくらしてきましたので、お風呂から上がりました。
私は『Bit Style』というものに興味を惹かれました。そして、どういう仕掛けになっているのかを3週間ほど考えていました。そんなときに渋谷支店で親しくなったのが先輩の三上さん(大和証券の元先輩、株式公開に携わっていた。現在、マスターピース・グループ株式会社にてマネージャーを勤める)でした。
「パーティーとか異業種交流会とかに興味があるなら、渋谷支店で毎月開いている勉強会の手伝いでもするか?」
こうして三上さんに誘われた私は、毎月一回大和証券渋谷支店の8階の大会議室で開催されていた経営者向けの勉強会のお手伝いをすることになったのです。そして、そこでも考えさせられることになりました。
三上さんから誘っていただいたその勉強会は、『Bit Style』に続いての参加となったわけですが、ここでも『Bit Style』と似たような現象が起っていたからです。
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当時、その勉強会は毎月最終木曜日に開かれており、私がはじめて参加したのは1999年10月28日(木)の夜に開かれたものでした。
私が新入りだったこともあり、三上さんの指示に従って渋谷支店の裏口の厚い鉄の扉を開けて待つことになりました。すると主催者の方も含め、続々と人が集まってきました。私は、あくまでお手伝い役でしたので、開始予定時間にぴったり始まったゲストスピーカーの話をはじめから聞くことはできませんでした。とはいえ、30分も経つと誰もこなくなり、役目を終えた私は8階の会議室にエレベーターで上がりました。
その勉強会の主たるテーマは最新の経営手法やビジネスモデルであり、参加費はなんと一万円もとっていました。確かにゲストスピーカーは良い話をしていますが、当時の私の金銭感覚では、一万円の出費となると痛みを感じずにはいられません。もちろん、お手伝い役ということで参加費は免除されていましたが。
そして、信じられないことにこの勉強会には100人も参加していました。ゲストスピーカーは2名が基本で、毎回異なる有名な起業家や先生たちが引き受けていました。それに引き換え、会場はというと、お世辞にも快適とはいえない渋谷支店の会議室・・・『Bit Style』と比べてしまうと大きなギャップを感じてしまいました。
渋谷支店で開かれる勉強会はかなりまじめなものでした。『Bit Style』の華やかさとは対照的に、こちらの勉強会は会場の関係と年齢層が高めだったこともあり、とても地味な印象でした。
「三上さん、渋谷支店はこちらの勉強会に会場を提供しているわけですが、費用は頂いているのですか?」
大和証券渋谷支店が間貸しのようなことをしているのかを確認してみました。
「いや、もらってないよ」
大和証券渋谷支店は、会議室を無料で貸している上に、幹事の一員としてお手伝いをしている三上さんや私の労力も無償で提供していたのでした。
「どうしてそんなことを?」
「だってさ、会場を提供して幹事も手伝っていれば参加者の名簿が手に入るし、人脈もできるじゃないか」
確かに、著名なゲストスピーカーたちとのパイプもできますし、集まった100人の参加者達の名簿は見込み客リストになります。もともと経営やビジネスに対する感度が高く、年齢層も高めであったことから、大和証券のターゲットとしてはぴったりでした。実際、この勉強会を手伝うことで実益があるようでした。
もし、この勉強会を大和証券が主催していたらどうなっていたのかを考えてみました。もしかしたら、営業されるのを嫌がって参加する人が減っていたかもしれません。ですから、むしろ主催者が部外者であったほうが、大和証券にとっても都合が良かったのかもしれません。
「それにしても主催者は相当儲かっているんじゃないですか」
私は主催者の利益を想像すると美味しい商売だなと思いました。
「一回の勉強会での手間隙は、何人参加しようがほぼ一定。だから、会場のキャパシティの制約さえなければ、呼べば呼ぶほど儲かるわけだ。あとは、この勉強会に魅力があって、これを広く告知する仕組みがあれば相当儲かるだろうな」
パーティーや勉強会を主催することで収入を得ることができるなどということを、私はこの頃になって初めて知ったのでした。
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私は、勉強会の合間の休憩時間を使って積極的に名刺交換をしました。もちろん、見込み客の名刺をゲットするためです。ただ、この時点の私にはまだ、「人脈作り」といった感覚はありませんでした。ビジネスにおいて「人脈が重要だ」という発想や感覚がなかったからです。ところが、私はこの直後あたりから急速に「人脈」を広げるようになります。そのきっかけとなったのが、「ビットバレーの書籍づくりを手伝う」というチャンスの到来でした。
お手伝い役だった私は、勉強会が終わるとすぐに、1階の裏口のドアを開けて立っていなければなりませんでした。そこで、急いでエレベーターで1階に降り、勉強会の開始前と同様に手でドアを開け、帰られる参加者たちを待っていました。
すると、50歳過ぎの小柄な男性が降りてきて、裏口を出る間際に私に声をかけてきました。
「君、ビットバレーって知ってるか?」
その方は満面の笑みで問いかけてきました。
「もちろんビットバレーを知っていますよ」
私は普通に答えました。
「いや〜、参ったね。この勉強会が噂のビットバレーだと思って参加したのに全然違ったんだからね。渋谷で開かれていたので早とちりして参加しちゃったよ」
私はそれを聞いて、本当に間違える人はいるかもしれないと思いました。
「僕は、日本経済新聞の関連会社の役員をしているんだけど、ビットバレーの本を書こうと思っていてね。もしよかったら、どうやったらビットバレーに参加できるのか教えてくれないかな」
この瞬間、私の頭の中をいろんな考えが駆け巡りました。
「え?これってチャンスの到来じゃないの?あの日経新聞の関連会社の役員?ビットバレーの本を書く?だったらこの人と仲良くなったらどうなる?本を書くのを手伝ってあげたらどうなる?」
私はこの人を手伝うことでさまざまなメリットがあることに気づきました。ですから私は、こう即答しました。
「知ってますとも!私はビットバレーの主催者も知っています。もしよろしければ私がアポをとって差しあげましょうか?それから、ビットバレーに関連するネット系のベンチャー企業の取材もアレンジしますよ。できれば、その本は私と共著にしてくださいませんか?」
実際のところ、私はビットバレーの中心人物の一人である松山太河氏(以下、松山さん)のことを知ってはいたものの「知り合い」ではありませんでした。そして「ビットバレーに関連するネット系のベンチャー企業」の取材のアレンジといっても、『Bit Style』でゲストスピーチをしていたカルチュア・コンビニエンス・クラブの増田社長、サイバーエージェントの藤田社長、eグループの大山社長の3名を知っている(もちろん、知り合いでもなんでもない)に過ぎませんでした。
とはいえ、有名な起業家やネットベンチャーといったものは家に帰ってインターネットで調べれば、簡単に見つけることができます。この頃から「知らないものを知らないといっていたらチャンスは逃げる」という考えを持っていました。知らないなら家に帰って調べればいいだけだと考えていたのです。
そんなハッタリとは別に、さらに極めつけとして、私はずうずうしくも「共著にしてください」と頼んでいました。頼んでみて駄目だったならば、迷惑をかけるべきではありませんので、おとなしく引き下がるつもりでした。しかし、チャンスがあるなら言うだけ言うべきだと思っていました。私の直感は「この場で相手を口説かなければならない」と強く訴えていました。
私の話に先方は驚いてはいたものの「いいねぇ、それは助かるね」と答えました。私は「やった!」と心の中で叫びました。
「よし、これで営業成績が上がるぞ!」
もし「大和証券の増永です」という形でビットバレーにかかわっている起業家たちに電話をかけたならば「社長はただいま留守にして降ります。戻り次第お伝えしますのでご用件をお願いします」と、秘書か事務の方に断られるのがオチでしょう。
しかし、これが「日経の増永です。社長様に取材を申し込みたくてお電話しました」と切り出せばどうでしょうか?おそらく、「大和証券の」と名乗るよりも遥かにたやすく社長にアポが取れるでしょう。
また、その社長を取材し、その本が売れたとしたらどうなるでしょうか。もしかしたら「増永さんのおかげで知名度が上がりました。せめてもの恩返しに増永さんに株の売買をお願いしたい」となるかもしれません。また、『Bit Style』に参加した際には思いもつかなかった「株式公開を手伝えばとんでもない預かり資産ができる」というアイデアを、この本の話をきいたときには心に思い浮かべることができました。大和証券で株式公開のお手伝いをし、その社長の会社を上場企業にすることができたならば、当然、担当者である私の預かり資産は莫大なものに膨れ上がるのではないかと考えたのでした。
「ビットバレーの起業家たちの会社は株式公開予備軍。そこに取材を理由にアプローチすればいい!」
ちまちまテレアポに励むよりも、取材もからめて営業するほうがよほど効率的ではないかと思えたのです。
「もし、本を書くお手伝いをすることになったら、勤務時間中も取材のために外出しなければならないだろう。しかし、それも見込み客への訪問だと考えれば、こんなに効率的な話はないじゃないか。きっと、支店長も賛同してくれるに違いない」
本を書こうとしている日経の関連会社の役員、取材を受ける側のビットバレーの起業家たち、公開予備軍を早期に囲い込みたい大和証券、預かり資産を他の支店よりも増やしたいと思っている支店長、そして株式公開前の起業家を顧客にし、彼らの会社を上場企業させることで莫大な預かり資産を築いて伝説的な営業成績を残したいと考えていた私・・・。関係する全員が「WIN」になることがわかりきっていました。
名刺交換を済ませた私は、彼の名刺にメールアドレスが書いてあるかどうかを確認しました。
「よし、メルアドが書いてある。これで連絡がとれるから大丈夫だ」
当時の青井さん(仮名)は、日本経済新聞社のグループ企業の専務取締役でした。その後、私たちで書籍化した『ビットバレーの躍動(仮題)』で成功をおさると、同社の副社長にまで出世したのでした。
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翌朝、私は出社してきた先輩の高島さん(仮名:5年目の代でトップ営業。渋谷支店営業第三課に所属し、デスクが私の隣だった)に尋ねました。
「ビットバレーって知っていますか」
すると高島さんは「そんなの知らねぇよ」と答えました。
そのとき私は、「そうか、同じ質問をされても知っている人と知らない人では大きな差が生まれるんだな」と思いました。
「高島さんはどうして渋谷支店で開かれている勉強会のお手伝いをしないのですか」
これまた興味本位で尋ねてみました。
「面倒だからな」
同期のトップをひた走っていた高島さんにとっては、確かに面倒なものに違いありませんでした。
「ちなみに、高島さんはこの先どんなキャリアプランを持っているのですか」
すると高島さんは「異動して、為替のディーラーをやりてぇんだよ」と答えました。
「え?高島さんはディーラーをやりたかったんですか?だったらどうして営業の仕事を頑張っているんですか?」
「だってよぉ、成績でトップを取らないと誰も注目してくれないだろう。だからだよ」
私は驚きました。それは違うのではないかと。
もし、本当に為替のディーラーになりたいのであれば、為替の勉強をするなり、現役の先輩ディーラーに話をきくなり、ディーラーの部署の部長に会ってそこに異動したい旨を伝えるなりして、その道に進むための努力をすることが大事なのではないかと思ったのです。
入社して4年目でトップ営業マンである高島さんを、どうして支店長が手放すでしょうか。努力する方向が間違っているのではないかと思いました。
「高島さん、それではチャンスは訪れませんよ。見ている方向が違うと思います」
こう心の中でつぶやいたものの、私はその言葉を高島さんに伝えることができませんでした。
「誰かが認めてくれるのではないか、誰かが注目してくれるのではないか、誰かが昇進させてくれるのではないか・・・」
こうやってただ待っているだけでは、起ることは一つしかありません。それは年を取るということです。
私にも、高島さんにもある意味で同じチャンスが訪れていました。渋谷支店に勤めていた同じ時期にビットバレーのブームが到来したり、渋谷支店の大会議室で有益な勉強会が開かれていたり・・・。しかし、興味の対象が違っていました。
存在するものだけを見て「なぜそうなのか」と考える人もいるが、私は存在しないものを夢見て、「なぜそうでないのか」と考える。チャンスがなかったという人は、おそらく一度もチャンスをつかまなかったのだ。(ジョージ・バーナード・ショー)
何になりたいか、何をやりたいかは人それぞれだと思います。ですから、高島さんが起業家に興味がなければ、ビットバレーにかかわる必要など微塵もありませんでした。ただ、高島さんの取り組みは、営業でトップを取るというとても前向きな努力が、自分自身を己の目標から遠ざけているように、私の目には映りました。
おそらく私の場合、心のどこかで「起業家」というものに憧れ始めていたのでしょう。そして、株式市場にかかわる仕事よりもインターネットにかかわる仕事に興味を持ち始めていたのです。高島さんの考え方を聴いた私は、「訪れたチャンスは絶対につかんで逃さない。そして、チャンスが訪れることをただ待つようなことはしない。むしろ、積極的にチャンスを創りだすんだ」と心に誓ったのでした。
私は、カバンから取り出したノートPCを自分の席の上に置くと、電話線をつないでインターネットに接続しました。
「青井さんに私のアイデアを伝えなきゃ」
早速、一晩で考えたアイデアをメールに書いて送りました。
「次のビットバレーの飲み会である『Bit Style』は11月4日に開催されます。それから私にいいアイデアがあるのですが・・・」
やりたいことに積極的に向かっていった私に、次々と思いがけないチャンスが訪れることになります。



