起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第80話 2007年6月15日 |
Bit Style(ビットスタイル)
寮の自分の部屋で『Bit Style(ビットスタイル)』のお知らせを読んだ私は、翌朝早速渋谷支店に出社すると佐野さん(私の教育を担当するチューターで、当時のスーパー営業マン。現在、某支店の支店長を経て、大和証券本部の企画セクションに勤務)に『Bit Style』について相談しました。
「今度の木曜日の夜に、渋谷支店の近くで社長が集まるパーティーが開かれるようなんです。出席してみようと思うのですが、佐野さんもご一緒しませんか?」
そう言って、紙に印刷した『Bit Style』のお知らせを佐野さんに手渡しました。
当時、私は佐野さんの営業スタイルを研究したいと思っていました。実は、佐野さんのやり方は他の営業マンとは全然違っていたのです。普通の営業マンであればザラ場(寄付きと引けの間の時間、およびその間の売買方法を総称して指す。「ザラにある普通の場」という意味)は必ず支店にいて、担当するお客様からの電話を待っています。
ところが、佐野さんは日中も出かけることが多く、支店に戻ってくるのは16時頃でした。それを見ていた私は、「佐野さんは上手だな」と思っていました。なぜなら、佐野さんが支店にいない間、佐野さんが担当するお客様からの注文を取り次いでいたのは私や他の営業マンだったからです。別に、株の売買の注文は佐野さん本人がやる必要はありませんでした。
誰かが佐野さんの代理で注文を受ける場合、電話で注文をきいて、伝票を起こし、それを端末に入力して、お客様に確認の電話をして、業務を代理で行った旨を佐野さんの席にメモして置いておくだけです。
これは私の推測ですが、佐野さんは、何を買うべきか、どのタイミングで売るべきかを外出先から携帯電話でお客様に伝えていたのだと思います。そして、あとはお客様から支店に電話をしてもらって、私たちが代理で注文を処理すると。
効率よくやっているから成績が上がり、成績が上がっているから「なんで佐野のために代理でやらなきゃいけないんだ」ともならない(笑)。むしろ、私が所属していた営業第三課では「佐野さんがいるから課のノルマが達成できるんだ。本当にいつもありがとうございます」という雰囲気になっていました。佐野さんは自らこのようなサイクルを作っているんだと勝手に考えていました。
「佐野さんは上手だ。個人戦の様相が強い証券営業マンにあって、上手く周りの人を使っている。これじゃ、成績が一番になるわけだ。さすがだ」
そんな佐野さんから直に教育を受ける身であった私は、大変な幸運に恵まれていたといえます。
私は「名刺集めコンテスト」の達成以来、「もう勝手にしろ!」と言われたこともあり、自ら営業手法を考えるようになっていました。しかし、それは指示を受けずとも自分で考えてやるということであって、仕事をしないなんてことはありえません。また、誰からも学ばないということでもありませんでした。
「佐野さんのいいところは学んでコピーしてしまおう」
学習能力に相当の自信があった私は、それがどんな相手であろうとも、それがどれほどの遅れであろうとも「必ずキャッチアップし、そして追い越す!」と闘志を燃やすタイプでした。
人にはそれぞれよいところがあります。
「その人のよいところだけを取捨選択して自分の中に取り込んでいく。取り込む相手が一人ならば、相手と同等の力を持って終わりかもしれないが、取り込む相手を増やし、それぞれのよいところを組み合わせていけば、オリジナルの人たちを越えることができる」
私は、相手の「よいところ」や「うまくやれるコツ」を調べるのが大好きでした。この性格が高じて、「経営者として卓越するには」という視点から、2003年に社長インタビューメルマガ『プレジデントビジョン』を発行するようになります。多くの成功している社長に会って彼らの経営の秘訣を聞く。そうすれば、その社長の長所や経営の秘訣などを自分に取り入れることができるわけです。もちろん、『プレジデントビジョン』を発行することになった理由はそれだけではありませんが、私のそういった性格が『プレジデントビジョン』の発行につながったことは間違いありませんでした。
そんな私にとって、今回の『Bit Style』はまさに佐野さんの営業スタイルを観察する絶好のチャンスでした。
「へー、ゲストにカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下、CCC)の増田社長が来るんだ。面白そうだね」
増田宗昭氏(増田社長) − 増田氏は東証一部に上場するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)の代表取締役社長。CCCは、DVD・CD等のレンタルと、DVD・CD・雑誌・書籍等の販売を手掛ける複合量販店「TSUTAYA」のフランチャイズ本部。なお、1999年時点では未上場。
私がそういったパーティーに出たことがなかったこともあり、保護者感覚で一緒に参加してくれることになりました。
★ ★ ★ ★ ★
1999年10月7日19時40分頃。
道玄坂を登り「交番前」の信号を右折したあと、暗い路地に入りました。
「佐野さん、僕はこんなところに来たことがありませんよ」
渋谷の繁華街とはまた違った独特の雰囲気がありました。こんな細い路地にもかかわらず、若者たちがたむろしているのです。私にとっては全くといっていいほどなじみのない世界でした。
受付で参加費の3000円を支払い、ドクタージーカンズというビルのパーティールームに入りました。そこはクラブ仕様の大きな部屋になっていて、暗い中にスポットライトのような照明が色とりどりに輝いていました。
「とんでもない数の人が参加していますね。そしてこの熱気・・・」
収容人数300名のところに、600名近くも参加しているのではないかという大盛況振りでした。
私はすぐに「営業モード」に頭を切り替えました。遊びに来たのではないからです。
「大和証券の増永と申します」
近くにいる人たちに名刺交換を求めました。相手は快くそれに応じてくれました。
「やはり。名刺集めコンテストのときは、なかなか名刺交換してもらえなかったが、パーティーでは簡単にできる。相手も人脈を広げるために参加しているようなものだからだ」
驚いたのは、そこに参加している人たちの年齢層でした。おそらく、20代が大半だったと思います。しかも、名刺の肩書きを見ると「代表取締役社長」となっています。
「なんでこんなに若い人たちが『代表取締役社長』なんだ?」
私は、それまで自分と同じくらいの年齢で「社長」という肩書きを持っている人と会ったことがありませんでした。
「待てよ、明らかに35歳を超えている人たちは金融機関、会計士といった人間が多い。なのに、20代の人たちは社長だ。何かが違う。どこか違和感がある・・・」
こういったパーティーに参加したことがなかったこともあり、そこにどんな違いがあるのかすぐに気づくことができませんでした。しかし、私のこの違和感を、その後にステージに登場した人たちのスピーチが晴らしてくれました。
「みなさん、こんばんは。『Bit Valley Association(ビットバレーアソシエーション)』の松山太河です」
松山太河氏 − 「Bit Valley Association(以下、BVA)」のディレクター。BVAはネット関連のビジネスを手掛ける人達が相互に交流するために1999年春頃に組織した非営利団体(NPO)。米国で先行していたディジタル・コミュニティに学んで組織したもの。当時、BVAが管理するメーリングリスト(以下、ML)で約3000人もの人たちが盛んに情報交流を行っていた。松山氏(以下、松山さん)はこのMLの管理人を務めていた。
マイクを手にしてステージに上がったその人物が社会現象にまでなった『Bit Valley(ビットバレー)』の中心人物の一人であり、私が参加したパーティー『Bit Style』の主催者でした。
「あの人も若いぞ、きっと25、26歳くらいだ」
そして、松山さんに続いてCCCの増田社長、サイバーエージェントの藤田社長、eグループの大山社長がステージに上がりました。
藤田晋氏(藤田社長) − 株式会社サイバーエージェントの代表取締役社長。サイバーエージェントはインターネット広告代理店事業を中心に急成長し、2000年3月に東証マザーズに上場。藤田社長は当時の史上最年少記録26歳で上場を果たした。
大山彰久氏(大山社長) − eグループ株式会社の代表取締役社長。eグループ株式会社は米国で無料のメーリングリストを提供するeグループの日本法人。2000年1月時点でワールドワイドのメールの配信数は月間20億通にも達し、世界でトップを走っていた。その後、2000年6月28日に、米国Yahoo!が米国eグループを株式4億2800万ドル相当で買収すると発表。eグループの日本法人もYahoo! Japanのサービスに統合されることとなった。
『Bit Style』に参加していた人たちが一斉にステージに注目し、熱い視線を彼らに向けました。私も彼らの視線の先に目を向けました。
「僕は、ソニーやホンダのような偉大な会社、21世紀を代表する会社を作ります」
ステージの上でマイクを握り締めながら藤田社長は自信を持って宣言していました。その宣言に続いて、再びマイクを手にした松山さんが、大山社長の紹介を始めました。
「次は、eグループの大山社長です。大山社長は、米国にあるeグループの日本法人の代表をされています。僕も日本のeグループに顧問として参画しています。米国のeグループは世界で爆発的にユーザーを増やしている無料メーリングリストを提供している会社で・・・」
私は、松山さんと大山社長の話を聞いてしびれました。
「なに!一日に一億通のメールを配信しているだって?しかも、一通につき一円で広告を掲載すれば、一億円も儲かるんだって!?」
松山さんは「今は利益を出してはだめだ。『投資』が評価される時だ」と言っていました。「まだeグループは赤字だけれども、ユーザーを増やして広告主が現れれば黒字化できる」ともいっていました。そして、これからはインターネットがビジネスになる時代であり、日本でも起業家が活躍する時代なのだといっていました。
また、こんな興味深い話もしていました。「アメリカでは株式公開によって億万長者がたくさん生まれている」というのです。ストックオプションというものを持っていると、それを発行している会社が株式公開することで何億円分もの価値になるということなど私は全く知りませんでした。そして、日本のeグループは3LDKのアパートの一室にあり、働いているのもわずか4人くらいだけれども、彼らもそのストックオプションを持っているのだと話していました。
「ネットベンチャーは少人数でもはじめられる。だから3LDKのアパートでもよいのです。小さなマンションの一室で、自分の努力と知恵で何とかなることを証明したい」
この大山社長の話を聞いて、時代が大きく変わってきたのだと感じました。大手町や丸の内の大きなオフィスではなくても、今までに想像もしたことのないような大きなチャンスが訪れているのだと感じました。
私は中学生の頃から「大企業の社長になる。その為に出世する。では出世するためには?」というように考えて生きてきました。即ち「大企業の社長になるための生き方」を続けてきたのです。
ところが同じくらいの年齢であろう藤田社長は「年齢は関係ない」と口にし、松山さんは「これからはネットの時代だ」と口にしています。また、そういえばステージの下にいる他の若い社長たちも同じようなことを興奮気味に話していました。私がそれまで知らなかったこと、気づかなかったことが津波のように押し寄せてきたのでした。
「こんなに若くて社長なの?」
「え、起業家って何?アントレプレナーって何?ベンチャーって何?」
「会社って自分で作れるの?」
私はこのとき「大企業で出世して社長になれるのは早くても40代後半。でも、自分でやればもっと早く大企業の社長になれるかもしれない。少なくとも、自分で始めれば、その瞬間から社長にはなれる。若くても夢を持って挑戦している人たちがいる。彼らにできるのならば、自分にできないはずはない」と思いました。
しかし、だからといってその日のうちに「起業家になる」「社長になる」と決めたわけではありません。自分で会社を作ればすぐにでも社長になれることはわかりましたが、証券マンとしての立場からもこの出来事を考えてみたのです。そして、「これから変わっていくであろう日本経済を証券マンの立場からでも応援できる」という考えに至りました。私は、起業家の立場にせよ証券マンの立場にせよ、いずれにしてもこれは大きな社会変化、チャンスに直面しているのだと確信しました。
スピーチを終えステージから降りてきた社長たちに、参加者たちが待ってましたとばかり詰め寄りました。私はスピーカーの一人である増田社長と名刺交換しようと長蛇の列に並びました。
「まるで、スターだ。こんな光景をはじめてみた」
社長というものは「お金持ちで偉い人」だとは思っていましたが、スターのように持てはやされるものだとは知りませんでした。
増田社長との名刺交換を終えた私は、『Bit Style』に参加している人たちと次々に名刺交換してゆきました。その最中、「会社を作るには」「インターネットをビジネスとして成り立たせるには」という質問をぶつけました。20億通のメールが一日で20億円に化けてしまうという仕組みを何としても知りたいと思っていました。30歳以上の人たちは金融機関や会計士の人たちだとわかっていたので、とにかく若者たちに声をかけてゆきました。
「よし、20人以上は話が聞けたぞ。みんな凄いなぁ」
夢中になって名刺交換し、情報交換をしていた私は、ふと佐野さんのことを思い出しました。
「そうだ、佐野さんの営業スタイルを観察しようと思っていたのを忘れてた!」
メインイベントであるゲストによるスピーチが終わったにもかかわらず、会場は人の減る気配がありません。そんな中、会場の片隅で3人の男性たちを前に語っている佐野さんを見つけました。急いで、佐野さんのところへ向かう途中、3人の男性たちの顔ぶれを見てがっかりしました。
「佐野さんは、何やってんだ!!」
佐野さんが話をしている相手は、いずれも老けた顔をしていました。どうみても、情熱を持ってこれからネットビジネスを手掛けようとしている起業家たちだとは思えませんでした。
「こんな時に、おじさんたちと話をしていても仕方がないだろう!」
証券マンとしての行動としては佐野さんのほうが正しかったと思います。夢と情熱しかないような若者たちよりも、お金を持っている年配の方たちのほうがいいに決まっていますから。しかし、ただのパーティーならともかく、これからの時代を先取りしたような機会で、いつもと同じように営業をしていてもよいのだろうかと私は感じました。
案の定、佐野さんは彼らとインターネットの話をするのではなく、株の話をしていました。それが仕事ですから、これも正しい行動です。しかし・・・。
「佐野さん、もう帰りましょう」
私と佐野さんは会場をあとにしました。
★ ★ ★ ★ ★
来るときは道玄坂を上がってきましたが、帰るときは文化村通りのほうから坂を下りました。夜空を見上げても、星など全く見えるはずなどありません。それでも私は、遠い未来を見つめるかのように視線をずっと空に向けていました。
「佐野さん、これから凄いことになりそうですね」
興奮していた私は佐野さんにその日の出来事と、将来について感じたことを話しました。
「なんだか、『Bit Style』は毎月あるみたいですから私はこれからも参加してみようと思います」
いつもどおり落ち着いている佐野さんは「君なら彼らと話が合いそうだから参加しなさい」といいました。そして、こう一言添えたのでした。
「あの松山太河さんと仲良くなったほうがいいぞ」
その理由を佐野さんは語りませんでしたが、私は「なるほど」と思いました。そして、一度は佐野さんにがっかりしたものの「やはり偉大な人だな」と思い直しました。
私も佐野さんも渋谷駅で山手線に乗って帰宅するのですが、私は品川方面、佐野さんは池袋方面でした。私は改札を通り抜けると佐野さんに丁寧なお辞儀をし「お疲れ様でした」と元気な声で挨拶をしてから家路につきました。



