起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
第76話『飛び込み営業』へ戻る 第74話『初めてのお客様』へ
| 第75話 2007年6月7日 |
「名刺集め」の洗礼
代々木上原から渋谷支店に戻りました。
「今日は、早く仕事を終わらせてください」
佐野さんが近くの席に座っている営業マンに声をかけていました。その理由は、仕事をすべて終わらせた後に、渋谷支店の営業マンの数名で飲みに行くことになったからです。私に初めてお客様が出来たことを祝ってくれるとのことでした。
「では、増永君の初の顧客開拓を祝して、乾杯!!」
私たちは19時にはすべての仕事を終わらせ、渋谷駅から歩いて約3分、明治通り沿いにある焼き魚の専門店に入って、早速、生ビールで乾杯しました。
このお祝いに参加してくれたのは、チューターである佐野さん、6つ上の先輩である宝塚さん(仮名)、そして私と改算同期※である池田さんのご三方です。(※大和証券では、大学院卒の給与テーブルは学部卒(二つ上)の先輩と同じになっており、1999年に入社した私は、給与テーブルにおいて1997年の先輩達と同期であるとみなされていました)
「新規開拓を始めて1週間で口座を作ったのは、なかなか早いよ」
そう褒めてくれたのは池田さん(大和証券渋谷支店の改算同期。私の在職中、池田さんが同期比トップから落ちたところを見たことがありませんでした。現在は、大和証券本店営業部の次長として在籍し活躍されています)でした。
改算同期ということで営業成績の勝負となると、相手は二つ上の池田さん達の代になります。実は、この池田さんは私が大和証券に在籍していた期間で毎月同期比トップを取り続け、毎月表彰され続けていた人物です。いわば、エリート中のエリートといってよいでしょう。競争の激しい大和証券の営業の世界で、一年以上に渡ってトップを守り続けていたのは驚異的でした。大企業におけるデキる営業マン、着実に数字をたたき出せる営業マンの鏡のような人物でした。
「池田さんとの勝負になるのか・・・」
当時の私は非常に不利な環境にありました。なぜならば、池田さんたちは営業マンとして既に2年分のアドバンテージがあったからです。営業経験、金融知識、顧客数・・・どれをとっても2年というアドバンテージは大きく、既に大きな実績を上げています。それに引き換え私といえば「可能性」はあっても、まさにただの可能性があるに過ぎませんでした。
「この人はデキるな・・・」
たとえ初対面であっても、感覚的に相手の力量がわかることがあります。デキる人とデキない人ではオーラが違います。その内側に秘められた自信が、知らず知らずのうちに外側にオーラとなって放出されています。
私は池田さんを見ながら、これからの競争について考えていました。
「池田さん達は既に何十億円という単位の預かり資産があるのに、私には何もない。本当に、この調子で営業を続けていて追いつくことができるのだろうか・・・」
「魚」と大きく書かれた青い暖簾を眺めながら、努力だけでは2年分の差を埋めるのに無理があるなと感じていました。
「もっと別の戦略を立てて実行しなければならない。それなのに私はテレアポに終始している・・・テレアポをやっている限りは勝てるわけがない。そのためにはテレアポ自体をやめるしかないんだ」
考えれば考えるほど、今のテレアポをやっている自分では駄目だと感じるのでした。
★ ★ ★ ★ ★
宝塚さんがジョッキを高々と上げながら「ただの頭でっかちではなかったんだね(笑)」
と私をからかいました。
「何百件も電話をかけてやっと一件ですよ。しかも、口座を作ってもらっただけで、まだ取引はしていません。早く稼がないといけないのに」
お祝いの席でも私はまじめに仕事で成果を出すことについて考えていました。この現状を何とか打開したいと焦っていたのかもしれません。
「君は一人で渋谷支店に配属されたから、周りの新人の成長スピードが感じられなくて可愛そうだな」
本来は、1週間で口座を開けただけでも十分な成果だったのでしょう。ところが、チューターである佐野さんの思いやりのあるコメントも、当時の私にはただの慰めにしか聞こえませんでした。
「このままでは駄目だと思います」
私は、代々木上原駅の改札で決心していたこと、つまりそれまで内に秘めていた考えを打ち明けるということを実行に移すことにしました。
「佐野さん、私は1週間テレアポをしてみて、実に非効率だと感じていました。いくら電話を掛けてもガチャ切りされてしまったのでは実力も何もあったものではありません。やはり、お客様により確実に会えるやり方に変えたほうがよいのではないかと思っています。申し訳ありませんが、テレアポをやめて飛び込み営業をやらせてくれませんか」
テレアポという仕事も、佐野さんには佐野さんの考えがあってやらせていたことだったでしょう。私の発言が、渋谷支店のトップ営業マンである佐野さんの指導を頭から否定するような内容であったことは百も承知でした。しかし、たとえ一週間という短いテレアポ経験であったとしても、当時の私には「見切った」という驕りにも似た感覚が芽生えていました。そして、これを365日も繰り返す気にはなれませんでした。
「決して飛び込み営業をやりたいわけではありません。しかし、今のままでは数百件電話をして、取引が出来るか出来ないかわからない口座を一つ作るのが精一杯です。であれば、別のやり方も試してみなければ本当に効率的なやり方が何なのかわからないと思うんです」
宝塚さんはあからさまに「こいつは生意気だ」という顔をしていました。いつもクールな佐野さんも苦い顔をしていました。
「佐野さん、お願いします。私に飛び込み営業をやらせてください」
私は、流れるような木目が美しい机の上に両手をついて頭を下げました。
佐野さんは目を閉じて腕を組んだままうつむいていました。
すると宝塚さんが、パチンと指を鳴らして次のように言いました。
「じゃあさ、こうしましょう。増永君は『名刺集めコンテスト』をやったことがないんだから、それをクリアできたらお望みどおりに飛び込み営業でも何でもやれるってことにしましょうよ」
宝塚さんの顔は「面白くなってきたぞ〜」といった感じでした。
大和証券には、古より続く毎年恒例の新人研修がありました。それが「名刺集めコンテスト」と呼ばれるものです。厳しいことで有名な証券業界の営業マンとしてやっていけるのか、その資質を試すための最初の試練であり、洗礼のようなものでした。
本来の伝統に従えば、私も集合研修でやるはずだったのです。ところが、なぜか私の代では配属先でやることになり、チューターによってはやらせない人もいました。ちなみに、私のチューターであった佐野さんはこれをやらせない方針でした。
「佐野さん、増永君にもやらせてみましょうよ」
宝塚さんはノリノリでした。私もそんなことで飛び込み営業に切り替えることが出来るのならとやる気になっていました。
「彼にやらせても意味がないと思うけどなぁ」
佐野さんは渋っていました。しかし、私はチャンスということでぜひやりたいと懇願しました。
「宝塚さん、その『名刺集めコンテスト』のルールについて教えていただけませんか」
他の年代の新人がやってきたのであれば、私にも出来ないレベルの話ではないと考えていました。ですから、予想を超えるような課題は出ないだろうと高をくくっていました。
「一週間で名刺を150枚集めること、以上!」
私は拍子抜けしました。予想を超えるどころか、私が考えていたよりも遥かに簡単そうに思えたからです。
「そんな簡単な課題でよろしいのでしょうか?」
私は念を押しました。すると宝塚さんは次のようにいいました。
「簡単かどうかはやってみればわかるさ。名刺は誰の名刺でもどんな名刺でも構わない。飲み屋のお姉ちゃんの丸い形をした名刺でも構わないよ※。もし、この課題がクリアできたら、望みのお店に連れて行って、いくらでもご馳走してやるよ」(※ただし、単に名刺を印刷すること、大和証券の社員からもらうこと、同じ人から名刺を何枚ももらうこと、すでに何百枚も名刺を持っているようなビジネスマンからもらうことといった集め方は禁止)
宝塚さんからあまりにも自信をもって言われたので、最後にもう一度念を押しました。
「本当によいのですね?この課題がクリアできたらテレアポをやめて飛び込み営業をやらせてくれるんですね?さらに、どんなお店にでも連れて行ってくれて、なんでもご馳走してくれるんですね?」
これに対しても宝塚さんはきっぱり、「構わない」といいました。
「佐野さん、増永君はやる気満々です。僕も約束してしまいましたし、やらせてみましょうよ」
宝塚さんにここまでいわれた佐野さんは、渋々ながら了承してくれました。
私は内心大喜びしていました。既に一週間で150枚の名刺を集める方法を思いついていたからです。宝塚さんが「一週間で名刺を150枚集めること、以上!」と口にした瞬間、それまで、人生において一度も「名刺集め」について考えたことはありませんでしたがぱっとそのアイデアが浮かんでいました。あとは実践するのみです。
「来週の月曜日から金曜日までの5日間だからな。期限を守れよ」
今度は宝塚さんから念を押されました。
「大丈夫ですよ(笑)。そんなのは絶対に達成しますから」
結果の見えた勝負です。何の不安も感じませんでした。
★ ★ ★ ★ ★
お店を出て渋谷駅に向かう途中で池田さんから声をかけられました。
「増永君、今回の課題は僕達の代よりも厳しい条件だって知ってたの?」
私は意外に思って「知らなかった」と答えました。
「僕らの代では、”1ヶ月”で”100枚”の名刺を集めるのが条件だったんだ。200人の同期の中で、達成できたのは100人だよ。半分もの人たちが脱落したんだ。そして、脱落した半分の人たちの中でも2ヶ月かかってようやく集めた人もいれば、結局集められなかった人もいた。宝塚さんは、何も知らない増永君に対してとても厳しい条件を突きつけてきたんだよ」
期間が4分の一に短縮された上に、名刺の数が1.5倍に増量されていたわけです。しかし、私は全く意に介しませんでした。
「そんなにハードルが上がっていたのですか(笑)。でも大丈夫ですよ。宝塚さんから条件を聞いた時点で出来ると思ったわけですから、例年より難しくなっていたとしても関係ありません。ぜひ見ていてください」
私は池田さんが心配してくれたことに感謝しつつ、品川方面に向かう山手線の電車に乗り込みました。
★ ★ ★ ★ ★
鶴見寮についた私は早速ノートパソコンを開いてインターネットに接続しました。
「お、予想通りだ。これなら月曜日にでも達成できちゃうな」
インターネットのサイトで、私が思いついたアイデアを実行に移せることが確認できてしまいました。この時点で勝負がついたも同然でした。
「初日に達成してしまうのも申し訳ないので、このアイデアは3日目の水曜日に決行しよう。それまでの2日間は『飛び込み営業』も兼ねてまじめに名刺集めをやってみよう」
営業を重視する会社の多くが新人営業マンへの洗礼として「名刺集め」をやらせます。こういった研修を通して、度胸をつけさせたり、辛い経験をさせたりするわけです。人によってやり方は様々でしょうが、パーティーで名刺交換をするもよし、駅の改札で名刺交換をするもよし。こういったエピソードは「○○会社でNo.1営業をとった」といわれる人たちが書いた本にも武勇伝として紹介されています。
私はそれらを読んで驚いたことは一度もありません。なぜならば、私の名刺の集め方は、彼らのやり方よりもずっと効率がよかったからです。



