起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第63話 2007年2月4日 |
ストーカー事件簿 ファイル5
学生最後の夏休みが終わりました。これからは修士論文を書き上げるために集中して勉強しなければなりません。ところが、私の目の前には大きな障害ともいうべき存在がありました。そう、就職活動を終えてから延々と付きまとってきたストーカー・田淵さん(仮名)の存在です。
「もう2度と私にかかわらないでください」
夏休み前にこう言い渡したにもかかわらず、田淵さんは暑中見舞いを送ってきました。私はその暑中見舞いを見て嫌な予感がしました。そして、その予感は的中してしまうのでした。
★ ★ ★ ★ ★
「あの〜〜」
早速、学校に行くと田淵さんに声をかけられました。もし、このときに同級生の内村さん(仮名)がいなければ、無視するか「声をかけないでください」ということができたかもしれません。
「あの〜〜、私、名刺を作ったのでもらっていただけませんか?」
早稲田大学の生協で作ったのでしょう。大学のロゴが入った名刺を差し出してきました。
「ついでに内村さんもどうぞ〜〜」
半ば強制的に名刺を手渡した後、田淵さんはその場を立ち去りました。
「増永・・・やばいよ。俺まで田淵さんの名刺をもらっちゃったよ・・・」
言うまでもないことでしょうが、私も内村さんも田淵さんの名刺など欲しくはありません。
「これ、ゴミ箱に捨てたいけど、学校で捨てたら田淵さんに見つかるかもしれないよね」
私たちは田淵さんの名刺をどうやって処分するか悩みました。
「学校のゴミ箱もダメだけど、なんだか捨てると呪われそうで捨てにくいな」
内村さんは心の底から「呪い」を恐れているようでした。
「ひとまず、新宿南口の近くにあるファーストフードのお店に行こう」
名刺一枚処分するのにこれほど悩むなんて思いもよりませんでした。
★ ★ ★ ★ ★
お店に着いた私たちは、黄色いトレイの上に置いた2枚の名刺を凝視しながら考え込んでいました。
「見れば見るほど、妖気のようなものを感じる」
「これはヤバイ。本当にヤバイ」
名刺を持ってきた田淵さんの姿を思い出して、ぞっとしました。真っ黒な髪は以前よりボサボサになっていました。カッパのような形状の平べったい顔、しょぼしょぼっとした細い目、梅干を食べたかのようなすぼんだ口・・・43歳であると聞かされても「もっと年をとっているんじゃないか」としか思えませんでした。
「『かいぶちゅ』というよりも、『妖怪』かな」
こうしている間にも、田淵さんは刻一刻と近くまで迫っているかもしれません。
「そうだ、内村さんはタバコを吸っていたよね。これを焼き払ってよ!」
そう言って、私はテーブルの上に置いてあった灰皿を内村さんの手元に滑らせました。
「嫌だよ。俺が呪われるじゃないか」
「だったら、内村さんがこの名刺を引き取ってよ」
「そんなの、もっと嫌だよ」
「じゃ、ゴミ箱に捨ててよ」
「それも呪われるよ」
その時、救いの手が意外なところから差し伸べられました。
「お客様、食事はお済でしょうか。よろしければトレイをお下げいたしますが」
若い女性の店員さんが満面の笑顔で声をかけてきました。私と内村さんは目を合わせました。内村さんの目には明らかに歓喜の色が見えました。おそらく、私も同じだったでしょう。
「ぜひ、お願いします!」
内村さんは勢いよくそうこたえました。
「これって、俺たち悪くないよな」
「内村さん、もちろんだよ。これは彼女がやったことだよ」
「じゃ、呪われるのは彼女ということになるかな?」
「内村さん、もちろんだよ。これは彼女がやったことだから」
田淵さんはこれほどまでに大学院の仲間たちに恐れられていたのでした。
★ ★ ★ ★ ★
「お父さん、久しぶり」
名古屋で単身赴任をしていた父が、出張で東京を訪れました。父の優しさを感じる点のひとつは、上京してくるたびに私と会ってくれるところです。私は父の仕事の話を聞くのが大好きでした。それが大和証券に入ってから、そして起業してから役立つことになります。
「なんや、こんな狭いところに住んでたんか?」
落合のアパートはオシャレではあっても、決して広いとはいえませんでした。おそらく、ロフトがなければ住めたものではなかったでしょう。
「そうだね、ロフトがなければ4.5畳だからね」
入り口を入ると右手に小さなユニットバスがあり、その2、3歩先に内側のドアがありました。台所自体が部屋の中に備え付けられており、フタがついていました。おそらく、あまりに狭いということで、フタをして棚代わりにでもしてくださいということだったのでしょう。私は結局、一度も台所を使うことなく、フタをしたまま棚として使い、いろんなものを置いていました。
「お、この子が涼子さん(仮名:当時の私の彼女)やな?」
父は台所のフタの上に飾ってあった写真立てを手にしていました。
「とっても美人やないか」
「そうでしょ(笑)。本当は奈良に連れて行きたかったんだけど由佳ちゃん(妹)の関係(13も年が離れた妹、もしかしたら涼子さんに嫉妬するかもしれないということを母は心配していました)で、お母さんに反対されたからね。会わせられなくて残念だよ」
「まぁ、いつか紹介してくれればええよ」
「そうだね」
父が写真立てを元の位置に戻しました。
「お父さん、相談があるんだけど」
私は、ストーカーに付きまとわれていることを父に打ち明けました。
「大変やな。でもな、それはお母さんにはいうたらあかんで」
母はどちらかというと心配性でした。
「そんなことをいうたら、お母さんは毎晩心配で眠れへん。ひろゆき、頼むわ」
当時45歳の母。私を付け狙うストーカーが43歳だと聞いたら、ショックを受けるのは明らかでした。
「わかりました」
私は、この『起業家物語』を書くまで、ストーカーの話を封印し続けることになります。
★ ★ ★ ★ ★
その後も、学校では相変わらず田淵さんに付け狙われていました。ですから、なるべく学校には資料を取りに行くだけにし、家で論文を書くようにしていました。
田淵さんからは毎日のように電話がかかってきました。
当時、携帯にかかってきた場合で相手の番号が表示されていない場合にはすべて無視を決め込んでいました。ところが、自宅の電話はナンバーディスプレイサービスを活用していたとはいえ、誰からかかってきたのか分からないものでも出なくてはなりませんでした。
「あの〜〜」
「田淵さんですね、はい。何でしょうか?」
「増永さん、どうして125号室にいなかったのですか?」
「おっしゃっている意味がわかりません。なぜ私が125号室にいなければならないのですか?」
「だって、図書館に暗号を残していたじゃないですか?」
「暗号って何ですか?」
「普通、図書館の百科事典は1から順に並んでいるじゃないですか?それなのに今日は『1、2、5、3』って並んでいたんですよ。ということは増永さんからの暗号じゃないですか」
「そんなのありえません。もう電話を切りますからね」
またある時は・・・。
「あの〜〜」
「田淵さんですね、はい。何でしょうか?」
「増永さん、どうして222号室にいなかったのですか?」
「おっしゃっている意味がわかりません。なぜ私が222号室にいなければならないのですか?」
「だって、学食にメモを残していたじゃないですか?」
「メモって何ですか?」
「普通、学食に伝言用のノートが置いてあるじゃないですか?そのノートの中に、『222号室に来い』って書いてあったんですよ。ということは増永さんからのメモじゃないですか」
「そんなのありえません。もう電話を切りますからね」
またある時は・・・。
「あの〜〜」
「田淵さんですね、はい。何でしょうか?」
「増永さん、どうしてPCルームにいなかったのですか?」
「おっしゃっている意味がわかりません。なぜ私がPCルームにいなければならないのですか?」
「だって、私が間違えてしまうじゃないですか?」
「間違えるって何ですか?」
「普通、PCルームで修士論文を書くじゃないですか?その修士論文を書いている人たちの中に、増永さんが好きそうなシャツを着ている人がいたんですよ。ということは、私がその人に間違えて声をかけてしまうじゃないですか」
「そんなのありえません。もう電話を切りますからね」
田淵さんの妄想はどんどんエスカレートしていきました。私の同級生の中にも被害が及び始めました。
「そういえば、図書館の前で田淵さんから『増永さん』って声をかけられたよ。もう頭が狂っているんじゃないか」
私の姿を追って、毎日毎日学校の構内を彷徨っている田淵さんの目撃証言がいくつも寄せられました。
「あの〜〜」
「田淵さん、今度は何ですか?」
「ある男の人に言い寄られているんです」
「どこの誰にですか?」
「英会話スクールに通っている人です」
「田淵さんが英会話スクールに通っているなんて意外ですね」
「いえ、そうではないのですが・・・とにかく学歴のない人に言い寄られているんです」
「学歴なんて関係ないじゃないですか」
「ダメです。その人は頭が悪いんです」
「どうしてわかるんですか?」
「彼に『あざみ』という漢字を書けるか試してみたんです。そうしたら、書けなかったんです。馬鹿じゃないですか」
「そんなの私も書けません。もう電話を切りますからね」
私の嫉妬心を煽ろうとでもしたのでしょうか。とにかく、何かしらの話題を見つけては電話をかけてくるのでした。
★ ★ ★ ★ ★
2学期も終わりました。私は修士論文をほとんど書き終えていました。田淵さんの妨害はあったものの、それで人生をふいにしたくはありません。田淵さんは絶対に夜中には電話をかけてきませんでしたので、もっぱら明け方までの時間を利用して書いていました。
1998年12月24日、涼子さんと横浜で夕食を共にすることになっていました。ところが、生活のリズムを崩していた私は、約束の時間ギリギリまで寝ていたのです。
「トゥルルルルル〜」
携帯の電話が鳴りました。
「ヤバイ、寝過ごした!」
私は急いで枕元に置いてあった携帯に手を伸ばしました。
「あの〜〜」
聖なる夜に私は大きな過ちを犯しました。事もあろうに私は田淵さんからの電話に出てしまったのです。
「どうしてお店にいらっしゃらないのですか?」
「何のことでしょうか?」
「もしかして、これから出るのですか?」
「はい、私は横浜に行くところです」
「何ですって!私と会うんじゃなかったんですか!」
「そんなのありえません。もう電話を切りますからね。あと、今後一切電話をかけてこないでください!」
私は横浜に向かう電車の中でこう祈り続けました。
「どうか、田淵さんと横浜で遭遇しませんように」
★ ★ ★ ★ ★
1999年1月9日、明日に修士論文の提出締切日を控え、同級生の内村さんが私のアパートに押しかけてきました。
「増永、ごめんな。論文手伝わせて」
「全然、もう書き終わっているからね(笑)。いくらでも手伝うから心配無用だよ」
私のPCは完全に内村さんに占領されていました。
「ここはどう書いたらいいと思う?」
内村さんが書こうとしていた論文に関する参考文献を私も一緒になって調べていました。
「トゥルルルルル〜」
私の携帯が鳴りました。
「げ!田淵さんからだ」
携帯電話のディスプレーには、メモリー登録してあった「ストーカー」の文字が表示されていました。
「無視しろ!」
内村さんは怯えながら叫びました。
ところが、2度3度無視したものの、修士論文を書いているところにひっきりなしに電話がかかってきます。
「電源を切れ!」
内村さんの声には怒気が混じっていました。それも仕方がないでしょう。このままでは明日の締切りに間に合わないかもしれないのですから。
「了解!」
私は携帯電話の電源を切りました。
「トゥルルルルル〜」
今度は自宅の電話が鳴り響きました。
「増永、すまんが取ってくれ」
私は覚悟を決めて受話器をあげました。
「あの〜〜。どうして、どうして電話に出てくれないんですか」
「田淵さん、いい加減にしてくれませんか」
「も、もしかして、そこに、そこに誰かいるのですか?」
私は内村さんのほうに視線を移しました。
「ここには誰もいません!それでは切りますからね!」
ガシャンと大きな音を立てて受話器を置きました。
「ここに誰かいるんじゃないかって勘ぐられたよ」
「増永、ありがとう。ざまぁ見ろだな」
すると突然、自宅の呼び鈴がなりました。
「ピーン、ポーン」
心臓が止まるかと思いました。
内村さんは反射的に窓際のカーテンに包まりました。そして「こ、殺される・・・」と口にしていました。
「新聞の集金で〜す」
田淵さんの来訪ではなかったものの、内村さんは急いで荷物をまとめて出て行きました。
★ ★ ★ ★ ★
その翌朝、私は商学研究科(以下、商研)の事務所が受付を開始する9時30分に学校を訪れました。田淵さんと遭遇する確率を下げるためには、朝一で提出してすぐに家に帰るのが一番だと考えたからです。
事務所は商研が入っている9号館の1Fにありました。かつて、涼子さんと合格発表を見に来た際、ここの掲示板に張り出されていたのを思い出しました。
9号館の入り口に足を踏み入れ、一旦右に曲がると、その少し先に事務所のドアがあります。私は、その角を右に曲がった瞬間、凍りつきました。
「何でいるんだよ・・・」
目の前が真っ白になりました。そして、現実の景色がビデオのフェードイン効果のようにゆっくりと見え始めるといった感覚に陥りました。確かに田淵さんはそこにいました。
「どうしよう」
幸いにも視力が著しく低い田淵さんは、まだこちらに気付いていないようでした。
「突入しよう!」
私は躊躇することなく、猛烈なスピードでドアに向かって駆け寄りました。そして、ドアを開き、急いでドアを閉めて内側から鍵をかけました。
「す、すみません。修士論文の受付をお願いします!」
対応してくれた女性は私が鍵をかけたことには気付いておらず、「本当にお疲れ様でした」と心から修士論文の提出の労をねぎらってくれました。
「で、では、これにして失礼いたします!」
私はかけていた鍵を開けて、思いっきりドアを開き、あたりには目もくれずに校門まで走り抜けました。
全力で逃走したあの日以来、私はストーカーに出会うことはありませんでした。恐れていた卒業式での遭遇もありませんでした。
悲しいことに、ゼミのOB名簿と大学院の卒業名簿から私の連絡先を削除してもらいました。就職後に付け狙われるのを恐れたからです。また、携帯電話も番号から変えました。そのおかげで、電話がかかってくることもありませんでした。完全に逃げ切ることに成功したのです。
こうして私の恐怖の日々も終わりを迎え、その9ヶ月の間に起った悪夢の一部を綴ったストーカー事件簿もこれにて結びとなります。


