起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第62話 2007年2月4日 |
ストーカー事件簿 ファイル4
大学院2年生の7月(1998年)、私はそれまでの約2ヵ月半の出来事に疲れ果てていました。
せっかく念願の大和証券に内定し、「これからは思いっきり修士論文に打ち込めるぞ」と意気込んでいたにもかかわらず、勉強は全くはかどってはいませんでした。ゼミ室、商研休憩室、早稲田大学の図書館、早稲田駅、自宅のアパート・・・どこにいても「田淵さん(仮名:ストーカー)に見られているのではないか」という不安に苛まれ、どこにいても携帯に電話がかかってくる・・・そんな状況では、勉強に集中することなどできるはずがありません。一人の人間によって私の気分はどん底まで落ちていました。
その悪夢のような日々の中で、私はある「ドラマ」のことを思い出していました。「ストーカー・誘う女」―このドラマは1997年1月9日から3月20日まで放送されていたものです。ちなみに、このドラマの「サブタイトル」を見ただけでも、その「異常さ」が伝わってきます。
「ストーカー・誘う女 サブタイトル」
第1話 あなたを奪いたい (97. 1. 9)
第2話 しのび寄る恐怖 (97. 1.16)
第3話 無言電話が鳴る時 (97. 1.23)
第4話 嘘をついて外泊 (97. 1.30)
第5話 のぞきたい彼の家 (97. 2. 6)
第6話 不気味な留守電 (97. 2.13)
第7話 もう我慢できない (97. 2.20)
第8話 天国で結ばれたい (97. 2.27)
第9話 彼を離さない (97. 3. 6)
第10話 もう誰も許さない (97. 3.13)
第11話 愛してるけど殺す (97. 3.20)
ドラマの中で繰り広げられるストーカーの奇行の数々は、単なる作り話だと思っていました。しかし、「ストーカー」というものに自分が遭遇し、その被害を実際に受けてみると「実話をもとにしているのかもしれない」と感じずにはいられませんでした。
「ストーカーといっても雛形あきこ(女優)のような女性だったらまだしも・・・」
私の場合は雛形あきことは似ても似つかぬ田淵さんでした。
大学院の一つ後輩であるはずの田淵さんは見るからに20代とは思えません。
「田淵さんって何歳なんだろうね」
周りの大学院生たちにとっても、田淵さんの年齢は「謎」でした。しかし、「女性に年齢を聞くのは失礼」ということで、誰も田淵さんに本当の年齢を聞くことはできません(あまり、接触したくなかったというのも本音のようでしたが)。田淵さんにはある種の不気味さが漂っていました。
真っ黒な髪はいつものようにボサボサ。真ん中で分かれたその髪は、腰の位置まで伸び、カッパのような形状の平べったい顔には、しょぼしょぼっとした細い目と梅干を食べたかのようなすぼんだ口・・・。160センチくらいでガリガリの体にいつも緑のポロシャツ、真っ赤なスカート、白いストッキング、真っ赤なローヒール・・・。極めつけはガムを噛んでいるかのように口を「クチャクチャ」と音を立てて動かし続けている・・・。
「どうすれば田淵さんから逃れられるのか・・・」
いつしか、そのことばかり考えるようになっていました。
★ ★ ★ ★ ★
それは夏休みに入る間際のことでした。
私は珍しくも23時前に就寝しました。
「うっ、く、苦しい」
私は首の辺りを強く締め付けられるような感覚を覚えました。そして、息ができない状況に陥り、焦りました。
あまりにも苦しいため、真夜中に目を覚ましました。
真っ暗というよりは少し青みがかった部屋の中で目を開いた私は、恐るべき光景を目にしました。
「な、なんで!」
田淵さんがあのガリガリの細い腕で私の首を思いっきり締めていたのです。
黒くてボサボサの長い髪は、上を向いて寝ていた私の肩の辺りにたれています。その髪の合間にみえる田淵さんのしょぼしょぼだった細い目が「カッ」と見開き、力強く締め付けている私の首もとを凝視していました。
「殺・さ・れるっ・・・」
私はあまりの危機的状況に何も考えられなくなっていました。そして、本能的に力を込めて起き上がりました。
ガバッ・・・上半身を起こしたところで田淵さんが目の前から一瞬で消え去りました。
そう、それは夢だったのです。私は田淵さんに殺されそうになる夢を見ていたのです。
普段なら「夢でよかった」で済んだでしょう。しかし、田淵さんに首を絞められる夢には「現実と夢の境界線」がありませんでした。リアルな死の恐怖を感じました。このままでは、これからも何度も同じような死の恐怖を味わい続けなければなりません。私の我慢は限界に達しました。
「今日、学校にいったら決着をつける」
私はそう決心しました。
★ ★ ★ ★ ★
田淵さんの「習性」は手に取るようにわかっています。
既に試験やレポートの期間も終わり、夏休み前の学校は閑散としていました。いつもはにぎわっている「商研休憩室」にも誰もいませんでした。
「ここで待っていれば田淵さんは必ず来る。田淵さんは私を探して学校を彷徨っているはず。そして、私が出没しそうなところを巡回している・・・」
案の定、しばらくすると田淵さんが商研休憩室のドアを開けました。
「田淵さん、こんにちは。今日はあなたを待っていたのですよ」
私はそう言って、向かい合うように置いてある黒いソファーを指差し、そこに座るよう促しました。
「はっきりさせなければならないことがあります」
声の調子から私が話そうとしている内容を察したのかもしれません。田淵さんは神妙な面持ちでうつむいて座っていました。
「正直、あなたの行為は迷惑です」
田淵さんはうつむいたまま黙っていました。私はこの際ということで腹いせに「気になっていたこと」を質問することにしました。
「一体、田淵さんは何歳なんですか?」
すると田淵さんは怒りを込めた声でこう口にしました。
「あなたは女性に年齢を聞くのですか?」
この田淵さんのこたえに私も完全に吹っ切れました。
「何が『女性に』ですか!あなたがこれまでやってきた行為がわかっているんですか!」
私は田淵さんをにらみつけたまま続けました。
「あなたは一橋大学まで来た。そして、自宅にまで来て黄色いバラを置いていった。私には彼女がいることも知っているのに。更に言えば、毎日毎日、携帯と自宅に電話をかけてきて・・・これが常識のある大人のやることですか?これだけ被害を被っているんですよ。年齢くらい聞く権利があるでしょう!」
田淵さんがうつむいたままでしたので、更に強く促しました。
「言えないような年齢なんですか!」
ようやく口にした年齢に耳を疑いました。
「43歳です」
当時の私は24歳。私の母で45歳です。今、目の前に座っている人は親子ほどに年が離れていました。
はじめ、「43歳」と聞いて私が驚いたのは言うまでもないことでしょう。なにせ、大学院の後輩ですから「いくらなんでも20代だろう」という先入観がありました。しかし、「20代」という「縛り」を取り払ったとき、私の目の前にいる人は40代にも見えませんでした。60代後半といっても一向に差し支えありません。もっといえば、年齢になおすほうが間違っています。60代後半の人でも田淵さんのような人はいないのですから。とにかく異様なのです。なにせ、4歳の男の子に「かいぶちゅ」と言われたほどでしたから。
「田淵さん、私の年齢は知っていたでしょ。あり得ないですよ!結婚したことはあるんですか!」
怒りのあまり、相手が年上であるとか女性であるとかいったことを意識できる状況にはありませんでした。
「結婚は〜〜、したことはないです」
「彼氏はいつまでいたんですか!」
「一人も〜〜、いたことはありません」
話をきいているとだんだん田淵さんのことが哀れに思えてきました。
「なんで・・・いえ、どうして早稲田に来たのですか?」
私は厳しい口調では話せなくなっていました。
「父が〜〜、広島で税理士事務所を経営しているんです。その事務所を継ぐためには私も税理士資格をとらなければなりません。私の力では税理士試験を受けても合格しませんから、大学院に通って、修士論文を書くことで試験を免除してもらえる制度を活用することにしたんです」
私はなるほどと思いました。当時、税理士試験は税法3科目、会計2科目の試験がありました。そして、この税理士試験には「抜け道」がありました。その「抜け道」とは、「法学部系大学院を終了すると税法3科目の試験を免除する」というものと「商学部系大学院を終了すると会計2科目を免除する」というものでした。つまり、法学部系大学院と商学部系大学院の両方を卒業すれば、試験を受ける必要がなくなるのです。
それにしても、なぜ田淵さんが早稲田大学大学院に入学できたのかは謎のままでした。他の大学院も手当たり次第受けていたようですが・・・。
「わかりました。でも、あなたがどういう方であれ、私には彼女がいます。この上なく迷惑しています。私があなたに恋愛感情を持つことは永遠にありません。お願いです。もう2度と私にかかわらないでください。電話をしてこないでください。家にも来ないでください。ゼミでも話かけないでください。そして、挨拶もしないでください」
田淵さんはうつむいたままうなずきました。
★ ★ ★ ★ ★
夏休みに入り、私は大学時代の同級生たち(彼らは大学で留年し、6回生になっていました)と西日本一周旅行をするべく、まずは新幹線で岡山まで行きました。実家が中古車屋さんであるカゲさんのところで「タウンエース(バン)」を借りるためです。
クルマで広島県を横断している際、「そういえば、田淵さんの実家は広島だったな」と思い出しました。しかし、流石に遭遇するわけもなく、また、もう金輪際かかわらないという約束もしていましたので、それ以上田淵さんのことを思い出すことはありませんでした。
10日ほどの旅を満喫し、私は東京に戻ってきました。郵便受けを見ると案の定、近所のお店のものと思われるチラシであふれかえっています。
面倒だなと思いつつも私は郵便受けを開けました。すると一通の暑中見舞いに目が留まりました。
「増永さん、私は今、実家の広島に帰っています。そして、広島の空の下であなたのことを想っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします」
それは田淵さんからのものでした。
「あの人、何もわかってないじゃないか!!!」
束の間の夏休みの終わりと共に、再びストーカーの奇行が繰り返されることになります。
つづく


