起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第60話 2007年2月4日 |
ストーカー事件簿 ファイル2
大学院では毎週木曜日にゼミがありました。修士論文を書いて卒業するためにはゼミへの参加は欠かせません。
私はゼミの担当教授である宮澤先生の話をきくのを楽しみにしていたこともあり、毎回欠かさず出席していました。しかし、あのストーカーとの出会いが、そんな私のゼミへの参加意欲を削ぐことになります。
「なるべくゼミが始まる直前に行こう。そうしないとゼミ室で田淵さん(仮名:ストーカー)と顔を合わせている時間が長くなる。それから、もし私が先に席についたら、あの人は必ず私の近くに座ろうとする。これを防ぐためにはあの人が座っている場所を確認してから、離れたところの席に着くようにしなければならない」
ゼミ室内の席の配置は、全員が黒板のほうに向かって座るようなものではなく、長方形をつくるように四角く並べられていました。細長い部屋の黒板側の席には「本日の発表者」が資料を携えて座り、その隣に宮澤教授が座ります。それ以外の出席者は両サイド前方から順々につめて座っていき、一番遅れてきた人が発表者から一番遠い席(発表者の真正面の席)に座ることになります。
「なに?!」
何度か続けて最後に部屋に入っていた私は「やられた」と思いました。田淵さんは私が最後に入ってくることを見越して、「最後の一席」の隣の席に陣取っていたのです。
「ダメだこりゃ・・・」
こうして、私はゼミのたびに「どの席に座るか」という悩みを抱えることになります。
・ ・ ・ ・ ・
大学院生の「憩いの場」である「商研休憩室」に入る際も、私は同様にびくびくしなければなりませんでした。
「よし、いないよな」
田淵さんがいないことを確かめないと安心して「商研休憩室」に入ることが出来なくなりました。ちなみに、これはどんどんエスカレートしてゆき、大学院の校舎内では階段の上り下りから廊下の角を曲がるときでさえ安心できなくなってゆきます。
「おお、増永君いいところにきましたね」
田淵さんがいないことを確かて「商研休憩室」に入った私に韓国からの留学生であるキムさん(仮名)が声をかけてきました。
「増永君はサッカーできますよね」
おそらく彼は30歳前後でしょう。既に結婚していて4歳になる男の子もいます。早稲田大学大学院に留学するにあたって、ご家族全員で日本に移ってこられました。
「はい、中学校時代は3年間サッカー部に所属していましたから」
「実は今度の日曜日にね、一橋大学の留学生たちとサッカーの試合をするんだよ。でもこちらは留学生だけでは人数が足りないから増永君も出てくれないかな」
「もちろん、いいですよ(笑)。場所はどこになりますか?」
「一橋大学のグラウンド。他のみんなのためにもそこの黒板に書いておいたから見といてね」
そう言ってキムさんは「商研休憩室」の壁にある黒板を指差しました。
「ちゃんと日本語で書いてあって安心しました(笑)。では、日曜日にグラウンドで」
早稲田大学のキャンパスを出て、地下鉄東西線の早稲田駅に向かいました。
「そうだ、涼子さん(仮名:当時の私の彼女)も連れて行ってあげよう!」
久しぶりに彼女にいいところを見せられるチャンスです。なんだかウキウキしてきました。
馬場下町の交差点にある地下鉄の入り口から階段を降り、高田馬場方面のホームの改札を通りました。
「なんだ、あと3分も来ないのか」
少しせっかちなところのある私は、電車が来るまで雑誌を読むことにし、カバンの中に手を入れてごそごそしていました。
「あの〜〜」
恐れていたことが起りました。私のすぐそばにあの田淵さんが立っていたのです。
真っ黒な髪はいつものようにボサボサ。それはやはり真ん中で分かれていて、腰の位置まで伸びています。カッパのような形状の平べったい顔には、しょぼしょぼっとした細い目と梅干を食べたかのようなすぼんだ口・・・。ガリガリに痩せた田淵さんのファッションは、どの年代で流行ったのかわからないようなイケてないものでした。
「こ、こんにちは」
田淵さんは大学院の一つ後輩とはいえ、どう見ても私よりも年上です。もちろん、女性に年齢をきくのは失礼なことなので確かめることはできませんが、20代には到底見えませんでした。
「ま、増永さん。お願いがあるんですけど」
ガサガサの薄っぺらい唇から小さな声が漏れてきました。
内心、「どんなお願いごともきかないぞ」と決めていましたが、大学院の後輩であり、同じゼミということもあって話をきかないわけにはいきません。
「なんでしょうか?」
すると、白いストッキングに赤いローヒールを履いた右足を私の左足のつま先に触れんばかりに踏み出してきました。
「目をつぶっていただけませんか」
背筋が凍りました。
悪寒が走りました。
まさかの光景を想像してしまいました。
「嫌です!」
私はきっぱりと拒絶しました。
するとタイミングよくホームに電車が入ってきました。
開いたドアに飛び込むと続いて田淵さんも電車に乗り込んできました。
「田淵さん、本当に申し訳ありませんがついてこないでいただけますか」
田淵さんがどこに住んでいるのか私にはわかりませんでした。もし帰り道が同じ方向だったとしても、これ以上付きまとわれるのには我慢がなりませんでした。
「次は高田馬場駅です。田淵さんはそこで絶対に降りてください!」
田淵さんはうつむきながら「はい」と答えました。
電車が高田馬場駅につくと、開いたドアから人が一斉に降りてゆきました。流石に厳しい口調で言ったからでしょうか、田淵さんは降りる人たちと一緒にドアから出ていってくれました。
「怖かった〜」
私は電車のドア付近の棒にもたれかかり、ようやく緊張の糸を解きました。
ドアが閉まり、電車は再び走り出しました。私の最寄り駅は早稲田駅から二つ目で、高田馬場駅の次の落合駅でした。
「危ない、危ない。高田馬場駅で降りてくれなかったら次は落合駅だったもんな」
そんなことをぼやいていると右腕の服の袖を引っ張られました。
「誰?」
そう思って振り向いた瞬間です。
「やっぱりついてきちゃいました〜〜」
高田馬場駅で降りたはずの田淵さんがうつむき加減で恥ずかしそうに立っていました。
「ぎゃーーーーー」
私は一目散に先頭の車両を目指して走り出しました。もう逃げるしかありません。とにかく、少しでも距離を開けることしか考えられませんでした。
「そうか、目の前のドアから出た後、ほかの車両のドアから入ってきたのか・・・」
まさか、そこまでは予想していませんでした。
「逃げ切れるだろうか。次の落合駅で奴も降りるんだろうか」
落合駅で電車のドアが開いた瞬間、改札を駆け抜け、自宅のアパートとは反対方向に向かって走りました。
「なんてことだ。これじゃ家にも安心して帰れないよ」
結局、夜遅くまで近くのファミレスで時間を潰し、アパートの前にもドアの前にも田淵さんがいないことを確かめてから部屋に入りました。
つづく


