起業家物語
『起業家物語』は発行者: 増永 寛之の体験に基づいたストーリーです。26歳で大企業を退職し、ベンチャー経営の世界に飛び込みました。全く経験の無い社長業、インターネットビジネスという異業種への参入などでさまざまな困難に遭遇しました。同世代の若い人たちにも是非、自分のやりたいことに勇気を持って挑戦していただきたいという想いを込めて綴っています。
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| 第58話 2007年2月4日 |
大和証券に内定
小林武彦(現在大和証券SMBC株式会社経営企画部人事課に勤務。これまで主に研修、採用に携わる。リクルーター当時、早稲田大学をターゲットとしていたチームのリーダー)
「採用活動を通じて、何百人もの学生と面接をしました。しかし正直なところ今思い出せるのは数人の学生しかいません。その中でも一番覚えているのは増永です。当時の印象としては『イケメン、大人びた奴、クールな奴、落ち着きのある奴、院生(大学院の人間は当時はめずらしかった)』。採用に至った決め手は、まさに「一緒に働きたい」と思ったから。これまでの大和証券に居そうなタイプじゃなかったですから。大学から大学院に進むにあたり、学校が変わっていること、話した印象から物事をしっかり考えている人だと思いました。2営(新人が研修期間中に配属される部署)後、増永が配属になった渋谷支店に同期の佐野(増永のチューターでもあった)がいたこともあり、所々佐野を通じて活躍ぶりを聞いていました。これまでの院生というのはどちらかというと本部で涼しい仕事をしているイメージがありました。しかし増永にはその殻をぶち破って欲しく、先ずは営業で頑張り、実績を挙げた後、企業相手に大きく成長して欲しいと思っていました。そして増永は期待を『通り越して』会社を自ら興し社長になったと(笑)」
大和証券の人事部長面接の日取りを決める際、リクルーターである入枝さんから「面接の後に時間を作っておいて欲しい。レストランを予約しておくから」といわれ、私は不思議に思っていました。
「どうして、人事部長面接の”あと”なのだろう?人事部長面接で落ちたら食事にいく必要はなくなるはず。ということは、現段階で人事部長面接も通過しているということだろうか。それでは人事部長面接に意味はあるのだろうか・・・」
少し緊張しながら大手町の一等地にある大和証券本社ビルを訪れ、指定されたフロアまでエレベーターで上がりました。開いたエレベーターのドアの前には、入枝さんがさわやかな笑顔で待っていてくれました。
「今日の人事部長面接、がんばってね。その後もよろしく」
既に人事部長面接をしなくても、ここは通過なのではないかと思い始めていた矢先、面接室に入った私は更に戸惑うことになります。
「あれ?一対一ではない??」
そこには、人事部長、そのアシスタント、更に二人の学生が席についていました。大和証券での集団面接はこれが初めてでした。
「もしかして、ほかの二人も一緒に食事に行くのかな・・・」
右隣の男の子は東大生。左隣の女の子は早大生。
「私は英語が得意なのでぜひ海外勤務を希望します」
早大生の女の子は小柄ながら、その言葉から強い意志が伝わってきます。
「この子、頭いいぞ。絶対に内定するだろうな」
私の直感は見事に当たり、その女の子は同期として入社することになります。
「はい、今日はありがとうございました」
人事部長の挨拶が終わり、私たちは席を立ちました。それと同時に待ち構えていたかのように部屋のドアが開きました。
「増永、こっちこっち」
入枝さんが、ドアの向こうから手招きしています。
「お疲れ様。じゃ、行こうか」
他の二人の学生がエレベーターに乗り込んだ後、私と入枝さんの二人は別のエレベーターに乗り込みました。
「入枝さん、他の二人の学生も行くんじゃないんですか?」
「ん?行かないよ」
そのときは、「なぜ一緒に行かないのですか」と質問するほどの余裕はありませんでした。ちなみに、早大生の女の子も内定していましたので「採用の途中でレストランに行った?」と聞いてみました。すると「いってない」というではありませんか。私は「そうですか」と話を流しました。
同じ早大生にも関わらず、彼女はレストランに行っていない・・・その理由は結局わからず仕舞いになってしまいました・・・その6年後に小林武彦さんと再会するまで。
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小林武彦
「当時の自分は7年間の地方支店営業から何とか(支店長が出してくれなかった)UCバークレー(その中のExtensionのFinanceコース)に留学させてもらい、その帰国早々(5月に帰ってきて7月半ばまで)採用活動をすることになりました。留学から帰ってきたという人たちは自分の前までは海外勤務になっていたにもかかわらず(自分はそれを希望していた)、『大阪弁も学べ』とばかりに大阪に異動となってしまいました(正直ショックでした(笑))。あの当時は山一證券が自主廃業、都市銀行も次々と破綻し、金融不安の真っ只中ということもあり仕方がありませんでした」
大和証券本社ビルの玄関を出て左手に歩いていくと首都高(高速道路)があります。その真下には河が流れており、橋を渡ったところのすぐそばのビルに地下へと続く階段がありました。私と入枝さんはその階段を下りたところにある「うすけぼー日本橋店」に入りました。
木目調の一等船室を思わせる落ち着いた雰囲気。家具、椅子、テーブルに至るまで重厚感が漂っています。まだ学生だった私はそのお店の内装に圧倒されていました。
「まさか、こんなところで面接ってこともないですよね」
隣に座っていた入枝さんに、そう聞こうかと迷いましたが言葉を飲み込んで黙っていました。
しばらくすると、アメフトやラグビーをやっていたのではないかというほどがっちりした体に、紺のスーツをビシッと身にまとった男性が勢いよく入ってきました。
「君が噂の増永君か」
肉体的な力強さだけでなく、きびきびとした身のこなし、大きな声、そして強い眼差し・・・それまでに出会ったことのない、まさに「迫力」のある男性が目の前で立ち止まり、私の名前を口にしました。
「大和証券には入枝さんのような方だけでなく、こんなタイプの人もいるのか・・・」
証券マンはタフでなければ務まらないと聞いていましたが、この人こそどんな状況でも活躍できる証券マンのお手本のように感じました。
「こういう人になる必要がある」
席を立ち、私は自分の名前を告げて深く一礼し、背筋を伸ばして席に腰を下ろしました。
「自分は、小林武彦。早稲田大学採用チームのリーダーだ。先週、留学先から帰ってきたばかりなんだが、君のことは入枝から聞いているよ。会ってみたくなったので今日は誘わせていただいた」
いつかはニューヨークでも働いてみたいと思っていた私は、「留学」という言葉に敏感に反応しました。
「この人は、更に知性も兼ね備えているのか・・・」
素直にかっこいいと思いました。
「大和証券は留学もさせてくれるし、なんて懐のデカイ会社なんだろう」
ふと、先ほどの面接で同席していた女の子のことを思い出しました。
「彼女も大和証券に入れば、きっと活躍できるだろう」
学生がどんなに海外勤務を希望していたとしても、海外に支店や取引先がなければなかなか実現できません。しかし、大和証券は日本を代表する証券会社の一つであり、当然ながら海外でも事業を展開しています。そのフィールドの大きさに私も胸が高鳴りました。
「私はM&Aなどの仕事にも挑戦したいんです」
リテール営業(個人向け営業)だけでなく、ホールセール営業(法人向け営業)にも興味があると私は熱く語りました。それを聞いていた小林さんは「大丈夫、今言ったことはすべて大和にある」と強い口ぶりでこたえてくれました。
しかし、私はこのときに一つ重大なことを言いそびれていました。それは「大和証券の社長になる」ということです。
レストラン「うすけぼー」を出たところで「しまった」と思いましたが、「入社してから御礼の電話と共に、それを伝えればいい」と考え直し、ご馳走になったことに御礼を述べて二人と別れました。
後に、私は入社日当日、御礼と「社長になりたい」ということを述べるべく小林さんに内線電話をかけました。この電話で小林さんが口にした一言が、私の人生を大きく変えることになります。
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小林武彦
「増永が就職活動をしていた頃に上から言われていたのは『一緒に働きたいと思う奴を上げろ』ということです。当時の選考プロセスはリクルーター面接(我々)、人事面接、部長面接、そして最終面接でした。採用基準としての人材像や明確な採用戦略などは聞いていませんでした。多分なかったのでしょう(笑)。ちなみに今はあります。そう思うと昔はいい時代でしたね。採用活動に際して、我々は何百人もの学生と会っていましたから、大体この学生は(最終面接に)通る、通らないということがわかっていました。で、『増永であれば絶対に人事部長面接を通過する』という確信がありましたから、事前に食事の時間を空けておくようお願いしました。選考プロセス途上の学生については、会社側が主導権を持っていますが、最終面接を通過した学生については主導権が学生側に移る訳で、後は我々がどう口説くか(最終決定してもらうか)にかかってくるわけです」
1998年5月のゴールデンウィーク明け、私は再び大和証券の本社ビルを訪れました。
当時、大企業の最終面接といえば「意思確認」というのが学生の中で一般的になっていました。もちろん、そうでない大企業もあるのでしょうが大和証券では(おそらく)最終的な意思確認の場となっていたようです。
「増永君、ようこそ」
人事担当役員の部屋の前で、入枝さんが再び迎えてくれました。思えば、常に入枝さんが私の力になってくれていました。入枝さんがそばにいることで、とても心が安らぎました。
「増永君は、大和証券に内定したら他の会社の内定を断ってくれますか」
人事担当の田中役員(仮称)のその言葉に、私は次のように答えました。
「大丈夫です。既にすべてお断りしていますから」
この最終面接で述べた志望動機には、入枝さんと出会ったことに加え、小林さんに出会ったことも加わっていました。
10分程度の談笑の後、田中役員はデスクの内線電話の受話器を手に取り、「入枝君を呼んでくれたまえ」といいました。
すると後ろのドアが静かに開いて、入枝さんが満面の笑顔で入ってきました。
「増永君、いっしょに働きましょう」
そういって田中役員は右手を私の前に差し出しました。
「どうぞよろしくお願いいたします」
私と田中役員は固い握手を交わしました。
「増永君、おめでとう」
続いて入枝さんとも両手を取って握手しました。
役員室の窓から五月のやわらかい日差しが差し込んでいて、私たちをあたたかく包み込んでいました。
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小林武彦
「院生はめずらしかったので、支店営業をこなすイメージはあまり持っていませんでした。結局2営後は本部のどこかに移るんだろうなと思っていました。ただそれでは面白くないなとも感じていました。なぜなら、増永はこれまでに居ないタイプだったので、いろんな意味で何かやってくれるだろうと期待していたからです。こういう奴がどんどん入ってきたら大和はもっと面白くなるなとワクワクしていました。ところが、増永から『会社を辞める』と聞いた時はショックでしたよ。やっとこういう奴が入ってきたと喜んでいただけに、非常にショックでした。また当時ITバブル華やかだったこともあり、『増永、お前もか』と思ったのも事実です。その後、ITバブルが弾けて、時折『増永は今頃何をやっているんだろうか?』と思うこともありました。しかし、自分自身が人事に異動となり、正直なところ業務が忙しく余裕も無くなっていましたので、そのままになっていました」
私は、大和証券に内定したその日だけでなく、入社した日でさえ、まさか自分が後に大和証券を去る日が訪れようとは思ってもみませんでした。
山一證券が倒産するなど、日本の金融不況の真っ只中にいただいた大和証券からの内定。周りの人たちからは「どうして証券会社なんだ」といわれ、祝福されることはありませんでした。
しかし、私はたとえ誰になんと言われようと、自分の選択は間違っていないと確信を持っていました。そして、それは今でも変わっていません。あの選択は最高の選択でした。大和証券に入社したことは私の人生の最大級の幸運だったと思います。
私は、大和証券では人と出会うために入社したんだと思っています。素晴らしい人たちと出会うために入社したのだと。
結局、仕事であるとか技術であるとかいったことは、同じ業界であればどこでも学べるのです。その本人にやる気があるかどうかであり、「環境」を与えられるかどうかではありません。
けれども、「人」については決して同じだとはいえないと思います。
本来、ビジネスマンというのは「お客様に喜んでいただく」というのが目的であって、仕事はそのための「手段」であり、お金はその行為の「結果」でしかないと思うのです。にもかかわらず、世の中では「結果(すなわちお金)」しか見ようとしなくなっています。
「結果がすべて、お金がすべて・・・」
人生の目的を「お金」から「人とのふれあい」に変えたとき、人生はもっと豊かになるのではないでしょうか。そして、幸せになれるのではないでしょうか。
私は大和証券に入り、素晴らしい人たちと出会いました。中でも、大和証券で一緒に働いていた人たちとのふれあいは格別でした。
「会社は株主のもの、会社はただの仕組みに過ぎない」
そのように言われることもありますが、やはり私は「会社はそこで働く社員そのもの」だと考えています。
証券会社の仕事というのは確かに厳しく、大変なこともたくさんあります。そんな中でも笑顔を絶やさない先輩達、親切にしてくれる先輩達に恵まれて、私はのびのびと仕事をさせていただきました。
入社してから約1年4ヶ月後の2000年7月末日に退職するまで、あたかもジェットコースターに乗っているかのような日々を過ごしました。
もし大和証券に入社していなければ、そのような素晴らしい人たちに出会うこともなく、刺激的な日々を送ることもなかったでしょう。
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「増永?来月1日に内定者パーティーがあるんだけど」
それは、入枝さんからの電話でした。
「今度はパーティーだから私服で来てね」
私は「それはできない」とこたえました。
「証券会社ですよ。私服なんてことはありえないでしょう(笑)」
すると入枝さんは「ホントだって、小林もそういっているからさ」といって電話を小林さんに代わりました。
「増永、お前、私服で来いよ。カジュアルにやるんだからな」
「あははは、わかりました」
流石に小林さんまで言うのだから私服で出席するべきパーティーなんだろうなと安心しました。
実際、東京駅のそばのパーティー会場で周りを見渡すと、私服で来ていたのは私一人だけでした。
「これは小林さんにハメられたんだ!」
そう思ったのも束の間、「はい、あそこに一人だけ私服の変わった奴が居まーす」という声が聞こえてきました。演壇のあるほうに眼を向けると、そこにはマイクを握り締めた小林さんが笑いながら立っていました。
「やばい、内定を取り消されるかも・・・」
あの時、内定を取り消しにされなくて本当によかったと思います。
小林武彦
「人事に移ってからは、研修の担当となりました。その後、再び採用の担当になったのですが、その採用活動の中で“ライブレボリューション”という会社を知りました。通常、大和証券と採用でぶつかる会社というのは”野村證券”や”ゴールドマンサックス”なんです。そこにライブレボリューションという聞いたことのない会社の名前が飛び込んできました。社名に興味を持った自分はネットで検索し、その会社の社長が増永であることを知ってびっくりしました。そして増永との再会を果たした訳ですが、これまでの経緯を見ると何か運命的なものを感じます。ぜひとも宇宙一の会社を目指すべく初志を貫徹して頂きたい。現在のリーディングカンパニーと呼ばれるような会社も何度か挫折を味わい、危機的な状況を乗り越えて今の位置があるわけで、今後ライブレボリューションも成長に伴って紆余曲折があるかと思いますが、是非その夢を実現して頂きたい。こちらも楽しみに拝見させて頂きます。Bon voyage!」


