【増永】 最初に遠藤社長がどのような学生時代を送られていたのかを教えてください。
当時の就職活動は現在とは違って、企業へのハガキを書くことからスタートしていました。
先輩たちを見ていると100枚近いハガキを書き、同じようなスーツを着て、行きたくもない会社に「入社したい」と言っていて、自分はあまりやりたくないな・・・と大学2年生の頃に思ったんです。
大学生活4年間のうち、だいたい1年間は就職活動に費やしますよね。
私の場合、単位的にも余裕がありそうでしたので、その1年間を就職活動ではなく、なにか違うことにかけてみようと思いました。
そこで留学しようと考えました。
元々、大学1年の頃から体育会のダイビング部に所属していました。
そこで海外の海に潜りに行ったりもしていたのですが・・・そのとき、あまりにも自分の英語が通じなくてすごくショックを受けたんです。
たとえばファーストフードでオレンジジュースを2個頼もうと「Orange Juice,two」と言ったのですが、ニュアンスは伝わりそうですが、言葉としてはまったく通じないんですね。
「Two ,Orange Juice」と言わないと、なにも通じない。
そこでの経験がきっかけとなり、4年生のときにアメリカ留学を希望しました。
当然、周りの友人たちは就職活動を始めていますし、「就職先がなくなる」と先生や同級生からかなり心配されたのですが、「私はなんとか生きていきます」とゼミの教授にお願いして留学の許しをもらったんです。
● アメリカではどのような生活をされていたのですか。
向こうに行ったからといって、すぐに英語が話せるわけでもありません(笑)。
最初の頃は全然思うように英語が通じなくて、大変でした。
それでもどうにか友達ができないかな、と思いいろいろと探していたんです。
考えた挙句、もともと日本を好きな人たちであれば、仲良くなれる可能性があるんじゃないかと思い立ちました。
そこで探し当てたのが「ジャパニーズ・アニメーションクラブ」。
私自身、アニメーションはさほど興味があったわけではないのですが、ここには「日本のアニメ、大好き」という方たちばかりが集まっていました。
そこに「私は日本人なんだけど、仲間に入れてもらえませんか」といって入っていったんです。
そうしたらもう、想像以上に“Welcome”状態でした(笑)。
というのも、みんな日本のレーザーディスクを、字幕もないのに頑張って見ているんですよ。
それを翻訳してくれるのであれば、自分たちはすごく嬉しい―そんな感じだったんです。