【増永】 榊原社長が会社を創られる前は、どのようなことをされていたのでしょうか。
「特にこれがやりたい!」というようなこともなく、普通に育って、普通に大学に入りました。
ただ、入学後は車に乗るようになり、いろいろと出かけていたんですね。
そうすると、車やバイクの運転中にトラブルが発生して、困っている人を見かけるようになったんです。
車のトラブルであれば、JAFさんがいますよね。
しかしバイクでのトラブルに何度か遭遇して手助けしていると、どうやらバイクでのJAFさんのような存在がないということが分かったんです。
自分自身もバイクを利用していたので、「バイクにも何かサービスがあればいいのに」と思っていたんですよ。
大学を卒業後、名古屋にある会社に勤めました。
5年間勤めていたのですが、スクーターで通勤していたんです。
ですからよくパンクしたりとトラブルが起きていたわけです。
自分だけでなく、同じように困っている人を助けたということも数回ありました。
「じゃあ、それを仕事にしてみようかな」、そんな発想から始まりました。
思い立ったらすぐに会社を創れるわけでもなく、それなりに資金が必要になりますよね。
そこで、5年間通えば退職金がいただけるという会社に勤めておりましたので、まずはその1社で5年間働いていたわけです。
退職金は500万円ぐらいいただけるものかと思っていましたが、実際は50万円でしたね(笑)。
実は5年間サラリーマンをしながら、アルバイトもいくつか掛け持ちをしていたのです。
映画館の掃除やカラオケボックス、保険会社、広告代理店・・・合計2,000万円ぐらい貯めましたよ。
そこでようやく起業をしたわけです。
● サラリーマンをしながらも、アルバイトの掛け持ちはすごいですね。
残業続きで、さらにはその後にスクーターで映画館へ移動して掃除。
カラオケボックスでは店長として、朝の5時まで働きました。
また週休2日制を上手く利用して、保険や広告代理店の勉強もしていたんです。
将来的にもこの辺は今から勉強をしておいた方がいいだろうと思いまして。
● ではその5年間というのは、ある意味計画的に起業準備をされていたということでしょうか。
そうですね、金銭的にも計画を立てていましたね。
それから、ある日飲み会の席で「5年で会社を辞める」と宣言してしまったんですよ。
このときのことが、自分にとって大きなプレッシャーとなりました。
● 宣言どおりに会社を辞め、いよいよ会社を起業されたということですが、ある程度軌道に乗るまでにはどのようなことがございましたか。
平成6年に有限会社NOAという会社を起こしたのがスタートなんですが、平成13年まではお給料はほとんどといっていいほどありませんでした。
最近になってですよ、きちんとお給料を手にすることができるようになったのは。
NOAというのは「ノーアクシデント」という言葉の略です。
その後平成9年2月に「日本二輪車ロードサービス株式会社」を設立いたしました。
そして平成11年に現在の「ジャパンベストレスキューシステム株式会社」に社名を変更しました。
NOAというのは、バイクでのお困りごとを解決するということを行なっておりましたが、当のバイク屋さんにはまったく相手にしていただけなかったんです。
ですからこの頃もまだアルバイトを続けておりました。
そうした状況が1年ほど続いていたので、作戦を変更したんです。