
広告とPRは両輪の役割を果たす

PR戦略が当たると莫大な広告宣伝費が浮きます。
このPR戦略の分野で活躍されている玉木社長にお話を伺ってきました。
話題になった商品、成功した商品のPR戦略には一体どのような仕掛けがあったのでしょうか。

●2003年9月7日読者数が3万人を超えました。
●Mail Forward Programは終了いたしました。

【増永】 御社の事業概要についてお伺いできますか。
【玉木】 全体的なコンセプトとしては企業や個人の情報発信力を高めることです。
日本の場合、「以心伝心」という言葉に象徴されるように、積極的に相手に伝えることを重視してきませんでした。
ですが、これからの時代、対外的に情報発信していかないと伝わらないことも多いと思います。
特に、マーケティングコストとして、多額の広告費をつかっている会社は多いですが、広報活動に真剣に取り組んでいる会社は意外と少ないのです。
ところが、それだと企業の都合のいい時だけお客さんとコミュニケーションを図ろうとするわけですから、信頼が得られないのです。
本来、PRで信頼性を高め、広告で認知度を上げるべきはず。
つまり、広告とPRは両輪の役割を果たすのです。
そこで、弊社では、欧米で発達しているPRを日本のあらゆる企業に広めていきたいと思っています。
そのために事業は基本的に3つの部門で進めています。
一つ目がPR事業部です。
PR事業部は企業の広報支援を行う部門で、それぞれの企業の商品やサービスにかかわる企業広報の支援を担当します。
その企業の情報をどのようなメッセージでどのように訴求していくべきか。
それを一緒になって考えて、発信していくわけです。
二つ目が出版・映像部です。
雑誌や書籍・映像・Webなど、あらゆるメディアを通じて、独自のコンテンツを発信していきます。
三つ目がマネジメント業務部です。
個人のコンサルタントや芸能人、スポーツ選手などのマネジメントを請け負い、PR活動を通じて世の中に送り出していくわけですね。
● 起業するまでの玉木社長のお話をお願いいたします。
学生時代からずっとマスコミや情報発信に興味があって、大学1年生の頃からライターや映像の仕事を始めました。
その活動の原点として、日本に対する違和感みたいなものが凄くあったのです。
もともと生後すぐにドイツ(ハンブルグ)に移り、1歳から6年ほどイギリス(マンチェスター)で幼少時期を過ごしました。
その後、日本に帰国したのですが、もの凄くカルチャーショックがあったんです。
逆のカルチャーショックですね。
帰国して驚いたのはまず町並みですね。
ヨーロッパとあまりに違う景色に困惑したのを今でも覚えています。
それから、小学校の授業で、全員同じことをやることが結構苦痛でした。
日本語も今一つ身についていなかったので、あっという間に落ちこぼれてしまいました。
そうした経験から、私はみんなと同じことや人から言われることではなく、自分のやりたいことを自由にやりたいという思いが強くありました。
子供ながらに集団主義の社会に違和感を感じていたんです。
世間体など忘れて、もっと個人が自分らしくのびのびできる社会ならいいのにな、と。
|
|
小さな会社でもユニークであれば、『ワールドビジネスサテライト』や『朝日新聞』など、さまざまなマスコミに取り上げてもらうことに成功しました。
|
とはいえ、中学・高校は人並みに受験勉強したりして周りに合わせてきたんです。
大学生になって初めて、自分のやりたいことができる環境があって、新聞や雑誌などを通じていろいろ情報発信をしてきました。
そして、そのままライターの仕事をするようになりました。
その後、ITバブルの絶頂期にベンチャー企業の立ち上げに参画することを誘われました。
ある事業会社から出資を受け、若年層向けのポータルサイトの運営を始めたのです。
ところが、当時8名ほどで資本金が2100万円だったのですが、出資すると言っていたベンチャーキャピタル会社が急遽出資をしなくなりました。
どうもその会社が外資系のベンチャーキャピタルだったため、2000年4月くらいの米国のITバブル崩壊で証券市場がおかしくなってしまったからのようです。
その結果、99年くらいからずっと立ち上げの準備をやってきて会社に出資もしたんですけど、事業資金を全部使い果たしてお金がなくなってしまいました。
そうして、結局サイトは閉鎖するということになりました。
払えなくなった広告費を一部自腹で払ったりしてたいへんなこともありましたが、会社の立ち上げから倒産まで全部見られたということは貴重な経験でしたね。
● その後はいかがでしたか?
とにかく成功する経営者のマインドというか考え方を勉強したいと思いまして、たくさんのベンチャー企業の経営者に取材活動をして、いろんな雑誌に記事を書いたりしてきました。
また、ベンチャーキャピタル会社の投資基準も知りたくて、数ヶ月で30社以上の社長に投資方針などをインタビューしたこともあります。
その一方、学生時代から非常に得意だったプレスリリースや広報活動を本格的な仕事にしようと考え始めました。
たまたまシリコンバレーでベンチャー企業向けのPR会社があるという話を聞いたのがきっかけです。
立ち上げたベンチャー企業でもPR活動はうまくできたので、マスコミでの情報発信スキルというのは結構使えるなというのを前々から気づいていました。
そこで、個人事業主という形でいくつかのベンチャー企業の広報活動を手伝い始めました。
その結果、小さな会社でもユニークであれば、『ワールドビジネスサテライト』や『朝日新聞』など、さまざまなマスコミに取り上げてもらうことに成功しました。
その経験をもとに、まとめたのが『全部無料で宣伝してもらう、対マスコミPR術』という本です。
2002年9月中旬に出版になりましたけれども、幸いにしてこれが多くの中小企業の経営者の方々や広報宣伝担当の方々に読んでいただくことができました。
そして、2002年の年末くらいから会社の立ち上げ準備をしてきて、今年の4月に会社を正式に登記しました。
その本の続編にあたる2冊目、『なぜ、あの商品だけ大ヒットしたのか、全部無料のマスコミ戦略』も今年の3月に発売されました。
【続く:1/4】

見ようとする者だけが見える
江戸期のバブルであった元禄時代。
元禄時代で一番の大富豪に河村瑞賢(かわむらずいけん)がいる。
彼は航路を開拓することで、日本の海運に大きな影響を与え、大阪の治水事業を行うことで、大阪の繁栄に大きく寄与した。
しかも、驚くべきことに、彼は徒手空拳で、ここまで登りつめたのである。
そんな河村瑞賢が成功するきっかけとなったのは、ある老人が彼に語ったアドバイスであった。
今回はそれを紹介しようと思う。
河村瑞賢は三重県で農民の子として生まれた。
彼は幼少の頃から才能が溢れていたという。
瑞賢は長男であったので、本来であれば家業を継ぐべきであったが、その才能を見込んだ父親は、弟に家業を継がせ、13歳の瑞賢を江戸へ送りだした。
父としては優秀な我が子に、日本の首都で立身出世をしてもらいたかったのであろう。
こうして大きな期待を受けて、江戸に来た瑞賢少年だが、江戸ではあまりパッとしなかったようだ。
幾度も事業にチャレンジしたが、ことごとく失敗してしまう。
結局、雇われ労働者として、細々と暮らすことになる。
時は流れ、少年は青年となった。
約10年も江戸にいながら、全く芽の出ない自分に嫌気がさしたのであろうか、20歳を超えた瑞賢は、自分が江戸にいる意義を見失ってしまう。
彼は江戸での立身出世をあきらめた。
そして、彼は全財産を処分し、その金で大阪へ行き、大阪で立身出世することを決意するのである。
大阪へ向かった瑞賢は東海道を下り、途中、小田原の宿屋で宿泊した。
そして、ここで彼は運命の出会いをするのである。
宿屋でくつろいでいた瑞賢に、一人の老人が話しかけた。
瑞賢は江戸で失敗したこと、しかし、立身出世のためこれから大阪へ行くことなどを老人に話したようである。
老人はそれを聞くと笑い出した。
そして、こう言ったのである。
「江戸へ帰りなさい。
」
たった今、大阪での立身出世を夢見て、江戸を発ってきたばかりの瑞賢である。
この言葉には当惑したであろう。
老人は続ける。
「日本の中心地である江戸を去って、大阪へ行くのは間違っている。
江戸はまるで宝の山だ。
宝の山を捨てて逃げるヤツがいるか。
お前の顔相を見ると大いに成功する相があるから、再度、江戸へ帰って努力せよ。
」
しかし、瑞賢は納得がいかない。
「あなたは江戸が宝の山とおっしゃいますが、資本もない田舎者が江戸に出たところで、宝など、どこにも見えませんでした。
」
すると、老人はこう言ったのである。
「宝が見えないのは、その宝を見ようとしないからだ。
宝は見ようとする者だけが、見ることができるのだ。
もう一度、江戸へ帰りなさい。
」
瑞賢は老人の言葉を信じて、そのまま江戸へ戻ることにした。
そして品川まで帰って来た時、そこで彼は見たのである。
それは海岸に漂っている大量の瓜とナスであった。
当時、盂蘭盆の季節であり、そなえられた後の瓜やナスが川に流され、そのまま品川の海岸に大量に漂流していたのである。
瑞賢はこれを宝と見た。
彼は貧しい人たちにわずかな銭を与えて、これらを拾い集めさせ、塩漬けにした。
当時、江戸はまだまだ未開発な都市であり、あらゆる場所で建設が行われていた。
瑞賢はそこに目をつけ、建設現場の人夫たちをターゲットにし、その漬物を格安で販売したのである。
この事業は大成功を収めた。
格安の漬物は人夫たちのニーズに合致していたし、材料費も無料であったため、彼はかなりの利益を得たのである。
しかし、彼はこの程度では満足しなかった。
このビジネスを通して、建設現場の役人に取り入り、自らも建設事業に参入したのである。
こうして彼は大富豪へのステップを登り始めたのだ。
瑞賢が小田原の宿屋で出会った老人の言葉。
「宝は見ようとする者だけが、見ることができる。
」
確かに、目の前にあるものをただ見ているだけでは宝物かどうかわからないであろう。
常に、目に映るものが「宝になるかどうか」と考える人はあまりにも少ない。
私自身、経営者になるまでは、世の中にあるビジネスの利益構造について考えようともしなかったし、飲食店に入って座席数を数えるということもしなかった。
瑞賢は老人の言葉どおり、宝を見つけることができたが、それは彼が宝を見ようと努力したからに他ならない。
若き瑞賢と同じく、「宝が見つからない」と嘆いているあなた。
まずは「宝を見よう」としているだろうか?
これは大富豪が教える教訓である。
【PV TODAY 増永】

【編集後記】
社長になって、あらゆるビジネスの利益構造について目が向くようになりました。
「なぜ利益が出るのか」ということに非常に関心が出てきたのです。
しかし、プレビを書くようになって少し変わったことがあります。
それは「読者の皆さんに伝えたら喜ばれるような利益を出すコツ・ノウハウはないかな?」と思いながら物事を見るようになったことでしょうか(笑)。
この意識の変化のおかげで、今まで見えなかったものが見えるようになりました。
【目標】
2003年11月末までにデザイン・システムのリニューアル。
【ミッション】
プレジデントビジョンのミッションは、一人でも多くの起業家や優れた経営者を生み出すことに貢献し、社会をよりよくしていくことです。


プレジデントビジョンに登場した社長へのご質問があれば下記から投稿してください。
発行者が読者の皆様にかわって登場社長に質問いたします。
なお、非常にお忙しい方々だと思いますのでご質問に対しての回答は保障しかねます。
ご了承ください。
なお、質問に対する応えは、メルマガ上か「ご意見・ご感想」による紹介という形でさせていただきます。
(社長への質問とご意見・ご感想を下記から投稿できます)

PRESIDENT VISION [ プレジデントビジョン ]
無断転載を禁じます。
Live Revolution Co.,Ltd. Copyright 2003
プレジデントビジョンは自由にリンクしていただけます。
サイト内のどのページを直接リンクしてもかまいません。
また、リンクする際のご連絡も必要ありません。
とってもお得なポイントプログラムもご利用いただけます。
|