【増永】 ユニークな展開をされたニューヨーク時代から始まり、テレビを使ったファッションショーを開催するなど、ここまでのお話を聞いているかぎり非常に順調に進まれているように感じます。なにか特に苦労されたことはございますか。
そうですね、ナルミヤでの話になりますが、ニューヨークコレクションを機にあまりにもKファクトリーが有名となり、担当だったチーフデザイナーの名前が世界的に売れたんですね。そして最終的に、ヘッドハンティングされてしまったんです。20年前の話ですが、当時の金額で1億円のオファーでした。
今まで育ててきた人材を1億円で引き抜かれてしまった・・・私もがっくりきまして、これを機に個人デザイナーの名前に頼ってやっていたら、良いことはないな、と痛感したんです。
あまりカリスマ性の高いデザイナーにおんぶにだっこ状態であったら、ろくなことはない―当時こんな教訓を得まして、その後はあまりカリスマ性の強いデザイナー育成はしていません。平凡な人間とやっていったほうが将来長続きするであろうということで、すべてそちらにシフトしました。
そのほかにも、何人かナルミヤで経験を積んで有名になっていったデザイナーがいるのですが、やはりある程度力をつけてしまうと、みんな独立したり引き抜かれてしまうものなんですよ。私が5,000万円出す、と言っても1億円の提案があればそちらに行ってしまいます。そうなると、もうなんの意味もないんです。
● そのデザイナーの方が引き抜かれてしまってからは、どのような状態だったのですか。
最初はもう止めようと思ったこともあるのですが、せっかくミニKというブランドの調子も上がっていたので、捨てきれない・・・そこでチーフデザイナーが不在でも継続可能であると判断して、まったく違う人を呼んでミニK―Kファクトリーの世界の小型バージョンを作っていったのです。それがその後のヒットにつながっていきました。
際立って突出したようなデザイナーでなくてもやっていける、そんな仕組みを作り始めて今日まで続いています。私たちが長続きしている理由の一つでもありますね。
世間には多くのブランドがあり、なかにはデザイナー本人が社長であるブランドもありますよね。それは当人が亡くならないかぎり、ずっとブランドは続いていきます。でももし当人がいなくなってしまったら、継続は難しいです。
そういう意味で、私たちは一般的な普通の企業のようにやっていきたいということで、現在に至っています。