退職する者の心構え
米国から帰ってきた後、新会社(これから設立する会社)に加わって欲しいと思っていた人を誘った結果、4人の参加が決まりました。
一人は、慶応義塾大学を卒業し、野村證券に一年勤め、その後米国公認会計士の資格を採って米国から帰ってきた高木誠司。二人目は、大和証券の先輩で本社の戦略企画を担当していた金子真歩、あとの二人は大学時代の同級生である飯野光彦(経理担当)と景山知一(社会人見習い)。
金融の仕事をするというのならばともかく、全く畑違いであるインターネットの分野で起業するには、問題のあるメンバー構成であることは承知していました。
しかし、当時、インターネットは新しい分野であり、経験者と呼べる人間がほとんど周りにはいなかったのです。「絶対に起業する」ということを前提に考えれば、腹を決めて手持ちのリソース(資源)でなんとかするしかありませんでした。
当時の私は、「全員、素頭はいいから大丈夫だろう」といった感じで楽観的でした。
これは、短期的にはよろしくありませんでしたが、長期的には正解でした。結局、インターネットの世界では技術の進歩が早く、トレンドも移りやすかったため、状況・状況で考えたり、学んだり、成長できる人材が大事だったからです。
「一つのことしかやりたくない」「自分の興味のあることしかやりたくない」といった感覚の持ち主や、更に高度な技術を要するとなったときに新しいこと学べない人材は、少なくとも創業間もないインターネットベンチャーには向いていないかもしれません。
このような限られた経営資源(人的資源も含め)の中で、変化の激しい時代を切り抜けるためには、「人選」が非常に大事であることを、後に学ぶことになります。
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私はまず2000年7月7日会社を創れるかどうか検討しました。理由は単純で、ラッキーセブンの「7」がいいかもしれないと思ったからです。ところが、これでは十分な準備が出来そうにないという結論に至り、2000年8月8日に起業することを決めました。
「せっかくだから、8月8日にしよう。『八』は末広がりだし、横にすると無限だし(笑)」
六本木のベルファーレ(2007年1月1日「LAST DANCE」正午12時をもって12年間の幕を閉じる)で開かれたビットバレーの交流会『Bit Style』に参加したソフトバンクの孫社長は情報革命を成功させるためには、次の四つが必要だとおっしゃっていました。
「志」
「知恵」
「仲間」
「資金」
そのうちの二つ目「知恵」の話をされていたときに、「ネット社会では新しいビジネスモデルで会社を興せば、決定的に有利に立てる。そのためには、『0(ゼロ)』と『∞(無限)』というインターネットの本質を知ることが大事だ」と口にされていました。
従来のビジネスでは「時間差」や「在庫」の問題がありました。ところが、インターネットを使うと、これらを「0」にすることができ、「∞」という切り口で言うと、「無限の情報」、「無限の在庫(バーチャルな在庫)」、「無限のコミュニティ」ということも可能だということなのです。
私はこのお話を非常に興味深く聴いていましたので、少なくともこの4つのポイントを押さえ、中でもインターネットの本質である「0」と「∞」を意識したいと考えていました。
ところが、概念は「記憶」していたものの、本質は全く「理解」できていませんでした。そのために、創業からかなりの期間、インターネットの本質とはかけ離れたやり方で、苦労を続けることになります。
この孫社長の話に加え、もう一つ「8月8日」にしようと思った理由があります。それは、私の苗字が「増永」だからです。
「増永」という苗字は「永遠に増える」という意味(と私は勝手に解釈しています)で、非常に縁起がよいと思っていました。ですから、自分自身の未来について悲観的に考えたことはありません。
「永遠に増える・・・」
まぁ、お金が永遠に増え続けるなら経営者としてこんなに楽なことはありませんが・・・実際は増えたり減ったりです。とはいえ、「なんだかんだいって、最後は増える」と思っています。お金は投資にも回さないと増えませんから、減った際には「先行投資だ」と自分に言いきかせています(笑)。
2000年の4月から8月までの約4ヶ月間、私は大和証券に勤めつつも、万全の起業準備をするつもりでした。
「自分は、インターネットについて、(当時の)一般人よりは研究してきた。ビットバレーの本を書くためにたくさんの経営者にインタビューしたことで、起業についてもよくわかった。さらに、私は本業でも、いろんなベンチャー企業から持ち込まれる事業計画書をたくさん見てきた。絶対に大丈夫だ!」
そんな裏づけに乏しい自信を持っていたことで、勝手に自分は成功するものだと信じ込んでいました。それが大きな失敗につながっていくわけですが、もし、この根拠のない自信がなければ、少なくとも起業はできなかったでしょう。
私はいつも「未来からさかのぼって考える」というポリシーを持っていました。そこで、まず起業する日を「2000年8月8日」としたのです。そして、ここから逆算して、大和証券の退職日を「2000年7月末日」としました。
「そうすると、退職届を出すのは6月の下旬がいいだろうな」
もし、6月末日に退職届を出すと、引止めにあって退職日がずれてしまうこともあるため、これを計算に入れて早めに退職届を出すことにしました。
当時、これはあくまで噂ですが、支店長は辞める人に対して必ず「引止め」をしなければならないといわれていました。理由は、「社員が簡単に辞めてしまうような支店経営をしているようでは駄目だ」というもので、もし一年に二人以上辞めてしまうと支店長の人事考課が著しく下がるとのことでした。そこで、支店長はどんなに使えない人間でも必死に引き止めるというわけです。
また、このような噂もありました。「支店長の必死の引止めに応じてしまった人間は、本社か子会社の閑職に配属される」というのです。
よくよく考えてみれば、その理由もわかる気がします。一度会社を辞めようと思った人間には会社に対するロイヤリティがありません。また、厳しい仕事には耐えられない人間であると同時に、支店長の引止めに屈してしまうようでは意志が弱いとみなされます。これでは、使い物にならないというわけです。ですから、少なくとも私は支店長からの引止めには絶対に屈しないと決めていました。
ちなみに当社(ライブレボリューション)では、創業以来一度も「引き止め」をしたことはありません。大和証券での噂も一理あるということで、それは「絶対にしない」と創業前から決めていました。
どんな人でも希望にあふれて会社に入ると思います。ところが、どうしても合わないことも出てくるでしょう。数多とある企業の中から選んで入った会社を「辞める」と決めるには、昔に比べて精神的な壁は下がったとはいえ、覚悟が必要でしょう。
ですから、それを口にした時点で、こちらはあきらめるよりほかはないと考えています。もちろん、引き止めて待遇をよくするのもよいのでしょうが、長く続くかどうかはわかりません。
また、そもそも当人の人生です。自分で決めたこと、自分で決めた道を貫いていただいたほうがよいと思っています。また、本来会社のあるべき姿は、誰かが辞めてもきちんと存続できなければなりません。誰か一人が辞めたことで、会社全体が成り立たなくなるのであれば、それは経営に問題があるということでしょう。
私は経営者として、そういったことを前提に仕事をしています。このほうが緊張感もあって、問題点を早め早めに解決できるように行動する習慣がつきます。
大和証券を辞めると決めた私は、「如何に大和証券に迷惑をかけないようにするか」「如何に起業後もよい関係を保てるようにするか」ということに腐心しました。
例えば、私は証券会社とは無関係の業界を選んでいます。インターネット業界で起業し、且つ証券会社の仕事(インターネット証券のような仕事)はやらないと決めていました。
もし、私が証券業界で起業すれば、大和証券と競合することになります。多くの企業では、就業規則等で同業他社に転職したり、起業したりすることを制限していると思います。また、たとえそれがなかったとしても、恩を仇で返すような行為ではないでしょうか。
それから、起業の準備は休日(土日)に行いました。就業時間中の起業準備は、従業員の職務専念義務・誠実勤務義務(私用メールや遊び・不要サイトの閲覧など、仕事以外のことをしてはならず、まじめに仕事をする義務)に反するからです。
大和証券は何の実績もない新卒の私を採用してくれました。そんな大和証券に私は感謝していました。ですから、同社を裏切るような行為はできるだけしたくはありませんでした。
もちろん、「大和証券を辞めること」が最大の裏切り行為であったと思います。ですから、せめてそれ以上の迷惑をかけないようにしたいと思っていました。平日に起業準備をすることなく、本来の仕事に集中することで、少しでもご恩に報いるようにつとめたのです。
ここで、経営者を経験した方や現在も経営に携わっている方には、「辞められる側」の気持ちがわかると思います。とても大切に育ててきた社員が辞めていくのはつらいはずです。信頼していた部下に裏切られたと心を痛める方も多いのではないでしょうか。
残念ながら、私も当社を辞めていくメンバーがいるため、辛い想いをしています。いつも「こんな気持ちは二度と味わいたくない」と思うのですが、その頻度は限りなく下がってきたとはいえ、まだゼロになるとは言える状態ではありません。どうすればゼロにできるのかを探求し続けています。
「辞めるのはともかくとして、せめて引き際に嫌がらせや迷惑をかけて退職するのはやめてほしい」
きっと、そう思っている経営者は多いはずです。
「社内の顧客名簿をコピーして持ち出す」「残る仲間に仕事の引継ぎをまともにしない」「最後のほうは仕事をサボったり規律を乱す」「同業他社に転職したり、競合起業を設立したりする」「優秀な人材を引き抜いて連れて行く」・・・
もしかしたら、まともに辞めていく人のほうが少ないくらいでしょう。
このような辞め方をすると、それまでお世話になった人たちに多大なる迷惑をかけ、退職後に良好な関係が維持できません。
私自身は、そのような辞め方をしたくありませんでした。
「辞めるから、今まで勤めていた会社のことなんてどうでもいいや」
そんな気持ちの人はほとんどいないと思いますが、無意識のうちに迷惑をかけている人は相当いると思います。これまで育ててくれた会社への配慮、これまで親しくして支えてくれた仲間への配慮ができない人に、真の成功は訪れないと思いますね。
考えうることを可能な限り配慮したおかげで、私は退職後も大和証券やお世話になった方々と良好な関係を続けることが出来ました。
この心構えのもと、私は約4ヶ月間で起業の準備を進めていくことになります。
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