ネットバブルの頂点
最後の『Bit Style』が開催されたのは2000年の2月2日の夜になります。会場は東京・六本木の巨大ディスコであるベルファーレ(2007年1月1日「LAST DANCE」正午12時をもって12年間の幕を閉じる)でした。
おそらく、その最後の『Bit Style』に参加したのは、普段ディスコには足を運ばないような人たちだったと思います。服装からして全く華やかさなどはなく、垢抜けているという雰囲気もありません。そんな人たちが、既に開場してからしばらく経っているにもかかわらず長蛇の列を作っていました。
私は、その長い行列に並ぶことなく中に入ることができました。理由は「PRESS」と書かれたカードを持っていたからです。当時の私は「eBookプロジェクト」というビットバレーに関する本の執筆に携わっていました。そして、その執筆のための最後の取材にベルファーレを訪れていたのです。そうでなければ、ベルファーレに来ることなどなかったでしょう。
中へ入ると、ダンスフロアは超満員になっていました。まだ外には大勢の人たちが列を作っていることを考えると、めまいがしそうでした。ところが、私はギュウギュウ詰めのダンスフロアから抜け出すことができたのです。
「PRESS関係の方たちはこちらへどうぞ」
取材班の一行は、ダンスフロアではなく、その1階上のVIPフロアへ通されました。
「なるほど、やっぱり差があるんだなぁ」
もし、取材ではなく一般参加者として来場していたら会えないような社長や人物がVIPフロアを歩いていました。
「うわっ、日銀の速水総裁じゃないか!」
金融関係者から見れば神様のような存在である日銀総裁がソファーに座っていたのです。大和証券に入社したての頃、研修で日銀を訪れたことを思い出しました。
VIPフロアからダンスフロアを見下ろすと、参加者でごった返していました。
「もし、下のフロアにいたら、どれだけ歩き回ったとしても速水総裁と会うことはできなかったんだろうな」
チャンスを求めて訪れた起業家やその予備軍たちに対して、少し哀れみのようなものを感じました。
しばらくすると、スピーカーを通じて松山さん(ビットバレーアソシエーション:VBAのディレクター)の声が会場内に響き渡りました。
「今日はご紹介したいゲストの方がたくさんいらっしゃっています!では・・・」
ネットエイジ(現ngiグループ)の西川社長、オンザエッヂ(現ライブドア)の堀江社長、DeNAの南場社長、マネックス証券の松本社長らがステージの上に登場しました。
当時、ここで社名を挙げた企業は、まだ一社も上場していませんでした。しかし、その後すべての企業が上場を果たすことになります。
この日、一番圧巻だったのがソフトバンクの孫正義社長の登場でした。
「スイスに出張していたのですが、どうしてもこの『Bit Style』に参加させていただきたかったので、3000万円かけて飛行機をチャーターして駆けつけました」
そのセリフに、会場内は割れんばかりの拍手と歓声に沸きました。
「今まさに新たな情報革命が起きています!」
そういって孫社長は情報革命を成功させるために必要な4つの条件を挙げました。
一つ目は「志」。二つ目は「知恵」。そして、三つ目と四つ目は「仲間」と「資金」です。まず、世の中を変えようという大きな志を持たなければなりません。しかし、それだけでは駄目で、変革を実現するためには知恵を絞る必要があるのです。そして、一人では大きなことは決して成し遂げられないことから、「同志」を集めなさいと。最後に、やはりお金が大事であると語っていました。
残念ながら、当時の日本には最後の「お金」の出し手が足りない・・・そこで孫社長は「ナスダック・ジャパン」を創ることにしたといいます。これが、東京証券取引所(東証)を刺激して「東証マザーズ」の創設のきっかけになったとも言われています。孫社長の隣には、ナスダック・ジャパン・プランニングの社長を務める佐伯社長の姿もありました。
この日、VBAの松山さんから驚きの発表がありました。
「約一年間続いた『Bit Style』の定例会は、これを最後に一時休止したいと思います」
私はこのとき、「ここまで会が大きくなってしまったら、次の会場を手配するのも大変だからだろう」と安直に受け止めていました。
「ネット革命はこれからなのに・・・それに、これだけのネットワークを手放すなんてもったいないなぁ」
あまりこの発表を真剣には受け止めていませんでした。しかし、この日を境とするかのように、その後ネット関連の株価が下落していくのです。もしかしたら、ビットバレーの関係者たちは米国の株価の動き等から、近々に日本のネットバブルがはじけてしまうことを予測していたのかもしれません。いずれにせよ、彼らの先見性は相当なものだったのだと思います。
最後の『Bit Style』の参加人数は2000人を超えていたようです。全国の人たちが注目する一大イベントだったともいえます。当時の私の中には「ネット革命は本物だ」という確信めいたものがありました。もしそれがなければ、ネットバブル崩壊後に起業することなどできなかったのかもしれません。
VIPフロアでしばらくの間、「これは」という人たちと名刺交換をしていました。証券営業マンとしては、これだけの人たちと一気に名刺交換することはなかなかできません。そんな中、名刺交換のための長い列が目に入りました。
「誰だろう?」
そう思って、列の先頭付近に目を向けました。
「え!あれは孫さんじゃないか!」
ベルファーレを最も湧かせた男、孫社長の姿が目に入ったのです。
「3年先まで予定が埋まっているといわれているあの孫さんと名刺交換できるチャンスだ!」
私は急いで列の最後尾に並びました。
「はじめまして、大和証券の増永と申します」
名刺交換の順番が回ってきて、私の目の前には本物の孫社長が笑顔で立っていました。
「想像以上に小柄なんだ・・・でも、このオーラは一体なんだ!?」
芸能人は、テレビで見るより実際は小柄な人が多いとよく言われますが、孫社長もまさにそんな感じでした。私から見れば並みの芸能人以上の存在でした。そんな小柄な孫社長からは、温かくも大きな存在感のあるオーラが感じられたのです。頂いた名刺は、まるで貴重な記念切手のように見えました。
「孫さんがいなかったら、日本は絶対に変わってないよな」
一体、そんなパワーはどこから出てくるのでしょうか。常にリスクと隣り合わせにありながら、叩かれても必ず勝ち上がってくる孫社長の姿勢を見習わなければならないと思いました。
最後に孫社長と固い握手を交わすと、それだけで私の強運に磨きがかかったような気がしたのでした。
★ ★ ★ ★ ★
2000年3月9日、ついに私が出版に携わっていた書籍『ビットバレーの躍動(仮題)』が日経グループの企業から出ました。しかし、それはすべてがバラ色のプロジェクトだったとは言いがたいものになりました。
実は、同著の完成間近になって、著者である青井さん(仮名:日本経済新聞社のグループ企業の専務取締役)から次のように言われたのです。
「増永君、出版間際になってこんなことを言うのも申し訳ないんだが、君との共著ではなく、僕単独の執筆ということにしてくれないか」
ショックでした。せっかく一緒に出版まで漕ぎ着けたというのに、ここで共著でなくなってしまうとは想像だにしていませんでした。
「理由はなんですか?」
「この本は僕の出世作になると思う。だからだ」
実際、青井さんはこの本の成功で同社の副社長に昇格することになります。
「それから、これも言いづらいことなのだが、共著じゃなくなるので印税は出せないし、取材のさなかで購入したデジカメ(当時、約15万円)も、君に買い取ってもらいたいんだ」
私は黙って、それらを受け入れることにしました。
共著だと思っていたものが、共著ではなくなってしまい、その点に関しては残念な結果となってしまいました。しかし、この出版活動に携わったことで得たものはとても大きかったと思います。
後に、私は社長インタヴューメールマガジン『プレジデントビジョン』を発行することになりますが、それはこの出版活動から得た経験を活かしたものです。「読み物」となるコンテンツの生み出し方、儲け方は当時の経験によるものです。
また、私が起業家になる直接のきっかけとなった人物との出会いは、この本が世に出たことで生まれました。その人物とは、後にライブレボリューションの創業メンバーの一人となる高木誠司です。
「青井さんには感謝だ。出版の経験をさせてくれただけでも有り難い」
私には、出版活動を通じて多くの素晴らしい方々との出会いがありました。出版の工程も学ぶことができました。そして、未来の経営のパートナーとなる高木さんとの出会いにもつながりました。更に、こうやってプレジデントビジョンの発行にもつながっています。
手がけた本が共著ではなくなったものの、当時の私は青井さんへの感謝を忘れることはありませんでした。
●毎週金曜日に連載する増永寛之著『起業家物語』のバックナンバーはこちら
|