松涛に住むためには?
大和証券に就職し、渋谷支店に配属された私は、新人営業マンとして成長するべく、熱心に仕事に取り組んでいました。そのモチベーションの源泉は「大和証券の社長になる」という目標でした。
中学校の頃から抱いていた「大企業の社長になる」という私の夢は、大和証券への入社を経て、「大和証券の社長になる」という夢に置き換わっていました。「大企業」から「大和証券」へと表現がより具体的になったとはいえ、基本的な方針は変わっていません。大企業の社長になるために大企業である大和証券に入社しただけのことであり、その夢の実現にはなんら変更はなかったといえます。
「一週間で150枚の名刺を集めることができたら飛び込み営業をやってもよい」
私は先輩から課せられたこのハードルを3日でクリアしました。集めた名刺の数は400枚です。ところが、その発想力と実行力を評価してもらえるものと思いきや、結果は「もうお前の勝手にしろ!」ということだったのです。
そのように言われた帰り道、私は「男に二言はあるまいな」と考え、独自の営業路線を進むことを決意します。とはいえ、そう言い放った佐野さん(私の教育を担当するチューターで、当時のスーパー営業マン。現在、某支店の支店長を経て、大和証券本部の企画セクションに勤務)に対して嫌悪感を抱くことはありませんでした。むしろ、これを自分の力を試すチャンスだと捉え、感謝の念すら抱いていました。
また、佐野さん自身も私に冷たく当たるようなことはありませんでした。その後も変わらず、先輩として、チューターとして、私を温かく支援してくれたのでした。
「佐野さん、おはようございます。本日より、飛び込み営業ではなくポスティング営業(チラシの配布を活用した営業手法)を行いたいと思います」
テレアポ営業、飛び込み営業を経験した私は、次にポスティング営業を試みることにしました。もちろん、「勝手にしろ」といわれたものの、業務上の「ほうれんそう」は欠かしません。結局のところ、大和証券や佐野さんの支援なくして、実力もなにもあったものではありませんし、周りと協力関係を築けなければ本当のプロフェッショナルとはいえないのですから。
「いいですよ。適当なチラシを勝手に巻くと問題になりますから、草案を作って管理部から許可を取ってください」
佐野さんは、一夜明けて、また元の佐野さんに戻っていました。
「ありがとうございます」
私は早速、草案作りに取り掛かり、ポスティング営業に必要な準備に取り掛かりました。
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「高島さん(仮名)※、午後からポスティング営業で外に出ることにしたのですが、渋谷支店の管轄内でお金持ちがたくさん住んでいる街を知りませんか?」
※(5年目の代でトップ営業。渋谷支店営業第三課に所属し、デスクが私の隣だった)
闇雲にチラシを配っても意味がありません。また、このポスティング営業が効果的なのかどうかは、その時点ではわかりませんでした。であるならば、個人向け証券営業マンがメインターゲットとする「お金持ち」が密集して住んでいる街から攻めてみるのが効率的です。もし、これで失敗したのならば、ポスティング営業もまた非効率であるということが明らかになります。それはそれで試してみる価値があると考えていました。
「そりゃ、ショウトウだろ」
高島さんは聞きなれない言葉を発しました。
「ショウトウですか?それが街の名前ですか?」
田園調布と言われれば、奈良県出身の私にもイメージできましたが、「ショウトウ」と言われてもピンと来ませんでした。
「おめぇ、ショウトウも知らねぇのか?」
常識だろうと言わんばかりにあきれられてしまいました。
「申し訳ありません。奈良県出身の私には初耳でした。それはどちらにあるのでしょうか?」
私は、その場所を聞いて驚きました。
「え?ここ(渋谷支店)から歩いて10分くらいの距離じゃないですか!しかも、東急百貨店の渋谷本店(以下、東急本店)のすぐ裏手だなんて!」
実は、涼子さん(仮名:当時の私の彼女)へのこの年の誕生日プレゼントとして購入した腕時計が、東急本店で選んだものでした。
「俺もよぅ、ショウトウにお客がいるんだけれどもよぅ、やっぱり物凄いお金持ちだぞ。なんてったって、ショウトウはあの有名な田園調布を上回るお金持ちの街だからな」
ターゲットとする地域が決まりました。
「ちなみ、漢字はどのように書くのですか?」
「松涛」
この松涛に足を踏み入れたことが、「大和証券の社長になる」と考えていた私の心に変化をもたらすことになろうとは思ってもみませんでした。
★ ★ ★ ★ ★
その日は、9月とはいえ晴れていたこともあり、少し歩いただけでもYシャツが汗で背中に張り付いてしまうような暑さでした。
大和証券のロゴが入った手さげの紙袋を二つ用意。その紙袋に満杯になるまでチラシをつめて、東急本店の裏手に向かいました。
「渋谷の繁華街のすぐそばに、こんなに閑静な住宅街があったとは・・・」
私はまず目に入った豪邸に驚きました。その豪邸の塀は奥の角まで延々と続いており、しかも、高さは3メーター近くあるのではないかと思われました。
「一体、誰の家なんだ?塀の上に監視カメラがいくつもついているぞ」
せっかくなので最初の飛び込み「ピンポン」はこの家にしようと決め、門のところまで歩いていきました。すると東京都知事の公館であることがわかりました。
「こんなところに都知事公館があったのか!」
それにしても、あまりにも立派過ぎます。後で調べてみたところ、地上2階地下1階建て、住居部分は4LDK、約260平方メートルもあり、敷地に至っては約2200平方メートルもあるとのこと。ちなみに、この建物は青島幸男元知事時代の96〜97年、約12億円をかけて建て替えられたもので、石原慎太郎知事が就任当初から公館に住むことを拒んだため、誰も住まないまま、維持費だけがかかっているということでした。
「流石に都知事公館でピンポンダッシュ、いや訪問営業もないだろう」
私は手さげの紙袋からチラシを一枚取り出して、グシャグシャにそれを丸めると公館の中をめがけて投げ込みました。
「ひよっとしたらひょっとするもんな。可能性にかける!担当者名と連絡先を書いておいたから電話がかかってくるかも(笑)」
もし、そのときに公館が使われていたとしたら別の電話がかかってくるところでした(汗)。
この日のミッションは持参したチラシをすべてポストに投函すること。そのためには一心不乱に次から次へとチラシを投函する以外にありません。犬が吠えようが防犯装置が作動しようがお構い無しに、チラシを投函しました。
「それにしても次元が違うな。奈良にはこんな立派な家はなかったぞ。どうしたらこんな豪邸に住めるのだろうか」
都心の、しかも高級住宅街にあるにも関わらず、クルマを三台以上とめられる家が何件もありました。また、庭先にプールがあったり、テニスコートがあったり、はたまた玄関からは執事のような人が顔を出したり・・・それまで目にしたことのない世界が広がっていました。
この日、私は初めて「自分がお金持ちになるには」ということを意識しました。「大企業の、大和証券の社長になるには」ということは意識したことがあっても、自分がお金持ちになるかどうかは意識したことがありませんでした。それはすなわち、私の目標はあくまで出世することであって、それがお金に結びつくのか、それとも名誉に結びつくのか・・・出世した後の「結果レベル」のことについては無頓着だったということです。
「大和証券の社長になったら、松涛にこんな立派な豪邸を構えることができるのだろうか」
松涛の半分くらいの地域を回ったところでチラシが尽きてしまい、私は渋谷支店に戻ることにしました。
「高島さん、松涛って凄いですね。私はあんな豪邸をはじめて見ました」
別世界を垣間見た喜びを素直に伝えました。そして、一つ気になっていたことを尋ねました。
「あの、大和証券の社長になったら松涛に住めるものなんですか?」
高島さんは別に驚きもしないで「できるよ」と答えました。
「本当ですか!」
驚いた私に高島さんはこう続けました。
「だって、確か今の社長が松涛のマンションに住んでいるはずだよ」
「え!そ、そうですか・・・」
一瞬、喜んだものの「松涛」という単語の後にくっついていた「マンション」という単語にがっかりしてしまいました。
当時の私にはマンションに億単位の値段がつくことなど想像もしていませんでした。それはせいぜい5000万円くらいの感覚だったのです。また、仮に賃貸だったとして、家賃でいえば月間20万円もしないくらいの相場感しか持ち合わせていませんでした。
「大和証券の社長では高が知れているのではないか」
そんな疑問が湧いてきました。
「厳しい出世競争の果てがマンション住まいなのか・・・」
入社して間もない私は、自分自身の想像を遥かに超える大和証券の給与水準を知る由もありませんでした。そして、翌日もまた松涛に足を運びました。
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松涛二日目。
両手に、チラシを満杯にした手さげの紙袋をぶら下げ、都知事公館の前に再びやってきました。
「これで手の痛みも解消されるだろう」
持参した手さげの紙袋の紐には布をぐるぐる巻きにしてありました。前日、重みの為に細い紐が握った手の平や指に食い込んで痛かったからです。
「今日で、残りの半分の家にポスティングし終えるぞ」
この日もよく晴れてとても暑かったのですが、私は脇目も振らずにチラシを投函しました。そして、時が経ち、陽が落ちてきて鮮やかな夕焼けが目の前に広がり始めた頃、私が手にしていた手さげの紙袋の中のチラシがほとんどなくなりました。
「あと、3枚か」
ゴールはすぐ目の前でした。私は安心したためか、その場に立ち止まり夕焼けを眺めました。
「ポスティング営業も非効率だ」
これがポスティング営業に対する私の結論でした。
「そして、大和証券で勤めることも非効率・・・かもしれない」
その先にある未来に疑問を感じずにはいられなかったのです。
「大和証券の社長になっても松涛のマンション止まりなのであれば、このまま勤めていても松涛で豪邸を構えることなど出来るはずがない」
松涛に住むという目標から遡って考えたとき、当時の私には大和証券で勤めることの意義がわからなくなりました。
「大和証券で成績を上げたからといって社長になれるとは限らない。成績だけが出世の条件とも限らない。現に、同期の中には性格の悪い人間がいるし、先輩の中にもいる。正々堂々と戦って負ける気はしないが、卑怯な手を使ってくる相手に勝てるとは限らない。少なくとも、順位付けがなされている今の同期が私の出世を望むことなどあるまい。私の出世は相対的に彼らの順位が下がることを意味し、報酬も減ることになるのだから」
派閥のようなものを嫌う私は出世争いに不利な性格でした。また、こちらがフェアにやったからといって競争相手もフェアにやってくるとは限りませんでした。相手からルール無用の手を使われるとこちらではどうしようもありません。そこまで考慮すると、このまま大和証券で働き続けることの意義が急速に揺らいでしまいました。
「外資系金融機関に転職したらどうなんだろう?」
安直に、転職という選択肢を思い浮かべました。
「外資系金融機関のファンドマネージャーやトレーダーは給料が高いみたいだし」
大和証券を辞めた際に思いつく選択肢はこれくらいでした。当時の私は「起業」という言葉を知りませんでした。これによく似た言葉で「独立」という言葉は知っていましたが、それは会社を辞めて「お店を開くこと」という感覚でしかありませんでした。つまり、脱サラしてラーメン屋を開くというイメージです。世間知らずの私は「会社」を自分で設立できるものだとは知らなかったのでした。
「とりあえず渋谷支店に戻ろう。今は考えてもわからない。大和証券で力をつけられないようなら、その後のキャリアを考えてみても無駄な話だ」
営業の「え」の字も知らない私に、その「え」の字を理解するチャンスを与えてくれた大和証券に報いることが先決だとも思いました。
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「涼子さん、昨日と今日は松涛という街に行ってきたんだよ」
寮に戻った私は涼子さんの携帯に電話しました。
「涼子さんは、松涛って知ってる?」
もともと横浜に住んでいて、東京の大学に通っていた涼子さんは松涛のことをよく知っていました。
「将来、僕は涼子さんと一緒に松涛に住みたいと思ったんだよ(笑)」
松涛の話をしながら、心の中で「そのためには大和証券を辞めなければならないかもしれない」とつぶやきました。
そんな私に、涼子さんも自分の夢を話し始めました。
「ひろくん、私はブライダルフラワーを習おうと思うんだけど。将来はそれを仕事にしようと思うの」
私は以前から、涼子さんは経理の仕事をやめて、別の仕事をするべきだと考えていました。
「それはぴったりだよ。涼子さんに経理は似合わない。あと、それなら結婚しても趣味として続けられそうだね」
詳しく聞くと、週末は早朝5時からスクールにいって、新鮮なお花を使ってレッスンしなければならないということでした。
「だからますます、ひろくんと会えなくなるかも」
就職した私は「外務員試験が終わるまでは」といい、外務員試験に合格した私は「営業で一人前になるまでは」といいながら、月に一度のペースでしか涼子さんと会わなくなっていました。
「僕は大丈夫だよ。毎朝、涼子さんにモーニングコールをかけているだけで幸せだからね」
寝起きの悪い涼子さんをモーニングコールで起こすのが早朝出勤している私の務めでした。
「それに、夢があるなら追いかけたほうがいいよ。涼子さんみたいに優しい人にはぴったりの夢じゃないか」
自分の中でかすみかけた「大和証券の社長になる」という夢よりも、ブライダルフラワーに挑戦したいという涼子さんの夢のほうが色鮮やかで輝いているように思えました。
「僕は、その夢を応援したいな」
この日が、二人の人生が変わり始めた日であることを理解するのは、その約半年後のことになります。
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「松涛に住みたい。そのためにはお金持ちにならなければならない。だから、大和証券を辞めなければならない」
この単純な論理展開が、大和証券を辞めるまでの私の心の奥底のほうにありました。その後、起業し、「人生はお金じゃない」と気づいてみて初めて、一般の大企業で働いている人たちが抱えている問題点が見えてきました。あのまま大和証券で勤めていたら、その問題点に気づくとはなかったでしょう。
今であれば、はっきりと「松涛に住むこと」も「お金持ちになること」も人生の目的とはなりえないことがわかります。
しかし、大和証券に勤めていた頃の私にはほかに目標といえるようなものや、もっと大切にしなければならないものが見えませんでした。
一般の大企業に勤めていることの大きな問題点は、働いている人たちが組織や仲間に対して愛着が持てなくなってきたことです。逆も真なりで、大企業もそこで働いている人たちに対して愛着を持たなくなってしまいました。
社会人となり、プロフェッショナルとして働き始めた私に、大和証券に執着しなければならない理由があったとすれば、「営業の『え』の字も知らない私に、その『え』の字を理解するチャンスを与えてくれた」ということです。
給料は、世間一般の企業よりも高いとしても、外資系金融機関よりは低いと思っていました。先輩は、いい人が多かったですが、辞めてからも付き合えると思っていました。同期は、むしろ仲良くなれないと思っていました。後輩は、まだいなかったこともあり想像できませんでした。
しかし、社会人として働くチャンスを与えてくれた大和証券に恩返しをしなければならないと感じていました。いえ、もっといえば採用してくださった方たちに恩返しをしなければならないと考えていました。残念だったのは、よくしてくれた人たちからは愛情を感じたものの、大和証券という会社やその職場からは愛情を感じなかったことでした。
その後、大和証券という会社を辞める際に未練はありませんでした。かけらほどもありませんでした。これは、大和証券という会社だけが抱えている問題ではなくて、ほとんどの「会社」が抱えている問題です。
大企業の社長は、自社の社員一人ひとりに愛情を注ごうとは考えていません。会ったこともなければ見たこともない社員に愛情を注ぐことなど出来ません。彼ら大企業の社長にとっては、あくまで「社員」なのであって、「増永寛之」ではありませんでした。
今やお客様は10人10色どころか1人10色です。お客様一人ひとりの顔を見て、さらにその会った瞬間の状態を考慮して対応しなければなりません。「今、この人はお腹が空いているのかな?それとも満腹なのかな?」。どんなに最高級の食材を使っていたとしても、どんなに相手の大好物だったとしても、大目の量を出して、目の前にいる人が今満腹だったとしたら最高の料理を提供できたことにはなりません。ましてや、目の前にいるお客様を見ようとせず、「市場」と一緒くたにくくってしまった時点で、お客様一人ひとりの顔など思い浮かぶはずがありません。
従って、「どうせ人数が多くて社員なんて覚えられないんだから」となってしまった大企業の社長が見ているのは、「増永寛之」ではなくて、一緒くたにした「社員」であり、そんな社長が率いている会社であれば、当時の私が感じていた「愛のない職場」という問題を抱えている可能性が高いといえます。M&Aで買収したり、売却したりすることができるのは、会社や社員をものとして扱い、投資効率を見ているからかもしれません。会社や社員を買って売って、その差額がプラスであれば、世の中から経営者が評価される時代になったのです。
「愛のない職場で、仕事と割り切る。給料を稼ぐと割り切るならば大和証券にとどまる理由はない」
このような結論をくだすことに、ためらいを感じさせないほど社会は変化していました。私達の世代が就職した時代というのは「人員削減」「給与カット」「部門売却」「工場閉鎖」「成果主義」「合併・分社」「サービス残業」「チームワークの欠如」「アウトソーシング」・・・会社に愛情を持てというほうが無理な話なのです。
どんなに一生懸命に働いても、仲間とその喜びを分かち合うどころか、一瞬ですべてを奪いさられてしまうのではないか・・・そんな危機感すら感じられました。
「大和証券の人間として、仲間の一員として、共通の何を成し遂げようとしているのかわからない。これではまるで、ただ専門性を追求し、ただ専門性をお金に換金しているに過ぎない。であるならば、給料の高いほうに移った方がマシだ」
私はこの日、ポスティング営業にかわる別の営業手法を考えなければならないと同時に、大和証券ではたらく人生にかわる別の人生を考えなければならないと思い始めたのでした。
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