【増永】 青野社長がサイボウズの代表になられるまでに、どのようなことをされてきたのか教えてください。
パソコン少年であったというのがベースにあり、大学も情報システム工学科に進みました。けれど大学卒業後の進路はコンピュータ関係の会社ではなく、当時の松下電工に入社したのです。
なぜ違う道へ進んだのかというと、プログラミング技術に自分の限界を感じてしまったからです(笑)。
1994年に入社しましたが、ちょうど日本はバブル崩壊後の時期でした。入社の際には「研究職」を希望していたものの、そんな時期ですから希望通りにもいかず、結局「営業企画部」へ配属されたんですね。
理系一本だったのに、気付けば営業企画部・・・その頃販売していたものは、野球場のスコアボードでした。そんなものを売るだなんて、想像もしませんでしたよ。
大阪の西宮球場に行って、設備担当者に「スコアボード、入れ替えませんか」って。しかもボードは2億円近くするんです。
どこかに野球場が新設されるとか、改修工事が入るといった情報を営業担当が聞きつけたら、私のような営業企画部の人間が現場に行って、「こんなのができますよ」と図面を見せるのです。これが入社当時の私の仕事でした。
そして転機がやってきたんです。会社にパソコンの導入が進められ、「どうやら青野はコンピュータについて詳しいらしい」と私に声がかかったのです。しかも、新人でしたから暇だったんですね(笑)。だから「あいつにやらせろ」といった具合で、営業企画部の仕事のかたわら、システム担当を任されることになりました。なんだか部内の「パソコンのお兄さん」みたいなイメージです。
きっかけはどうあれ・・・やってみると面白いもので、このときのことが現在のサイボウズ創業につながっているんですよ。