● 疑問を抱きつつ、その後どう過ごされたのですか。
当時は就職するにも非常に恵まれていた時期でしたので、文学部の学生でもあらゆる有名企業に入社できる時代でした。そんな選択肢があったにもかかわらず、私はそれとは異なる道を選んだんです。
大企業への道を選んだのであればそれは楽しいでしょうし、素晴らしい先輩方にも恵まれるでしょう。そうなると仕事も面白くなり、面白すぎて辞められない状況になってしまう。ですから、この道をまず断たなければならないと考えました。
要するに、先ほど申し上げたとおり親の会社を継ぐ・・・親孝行をしようと思い直したわけです。ジャーナリストを目指すよりも、中小企業の経営が自分のやるべきことではないか、と。
当時、親の会社は30名程度の小さな会社でした。しかし規模は小さいとはいえ、覚悟を決めたからには相当の修業を積まないと、私には社長業は務まらない―そう思ったんです。
社員は自分よりもずっと年上の人ばかり。当時の自分では、そういった人たちと渡り合っていくのは非常に難しいであろうことは想像に難くありません。
そこで、どうすればそれを実現可能にすることができるのだろうか・・・と考えたところ、要するに苦労をしなければならないと悟ったのです。
これまでの人生、私自身は特別な苦労もなくぬくぬくと育ってきていました。だから厳しい環境に自分の身を置き、困難を乗り越える経験を積む必要があるのではないか。そうした経験なくしては、会社経営なんてできない・・・そんな結論を出したんです。
● その後、須田社長はどうされたのですか。
大学に退学届を出しました。まずは苦労せざるを得ないようなレッテルを、自分にはってしまおうと思ったのです。
今考えれば、若気の至りともいえますが・・・当時の私が真剣に考え出した結論でした。
退学届を提出したその足で実家に戻り、親に「すみません、修業の旅に出たいので本日で家を出ます。宜しくお願いします」と正座をして頭を下げたんです。それからは10年ほど、実家に顔を出すこともほとんどありませんでした。
そのやりとりはたった数秒でしたから、親もあまりに突然のことで呆気にとられ何も言えなかったのではないかと思います。
【続く:1/6】