● 山本社長が社長に就任されたのはいつ頃のお話になりますか。
25歳のときに社長になりました。
大学を卒業後、当社に入社したのですが、周りから見れば25歳での交代は「お気の毒でしたな」という感じだったようです(笑)。
父が60歳のときですから1985年、私が25歳。
5月に交代したのですが、同年7月にはアメリカからアンチダンピングの提訴を受けました。
つまり、アメリカ市場での私どものウエットスーツ素材の販売占有率が高すぎるということです。
当時アメリカの商務省が提示してきた資料では、われわれのアメリカ市場での占有率が86.9%ということでした。
90%近くシェアを持っているということで、訴えられたわけです。
結局それから15年間―2001年まで二重課税だったんですよ。
そうしたことがありまして、社長に就任して初めての仕事がアメリカに関わるものでした。
裁判沙汰のことでもあり、まったく訳の分からない状態でした。
同年の7月・8月とワシントンDCへ5回ぐらい行き、向こうの弁護士さんと話し合いました。
日本と違って、弁護士費用が非常に高かったんですよ。
当時は1ドル240円の時代でしたので、おそらく3,300万円ぐらい必要だったと思います。
会社があまり利益を上げていなかったら、それこそ弁護士費用で会社が危なくなるのではないか・・・そんな気さえしましたね。
最終的には私たちのような中小企業へアメリカの商務省から調査団がやってきたんです。
1週間ぐらい調査が入った結果、通常一般の税金に加え、カウンターベーリング・デューティーという、いわゆるアンチダンピング・デューティーという税をかけられました。
これが15年間続いたわけです。
そしてこれが社長としての初仕事。
● 社長としての初仕事が、アメリカとの訴訟沙汰ということでいきなり難事に直面されたわけですが、その後もなにかございましたか。
そうですね、翌年4月のプラザ合意後、日本は円高になり1ドル=240円が120円になりました。
私が社長に就任して11ヶ月目に起きたのが、この出来事です。
それまでは大手の商社さんを通じて輸出を行なっていました。
しかし1ドル=120円というレートになった時点で、大手商社の担当セクションがころっと態度を変えたんです。
わずか1,2ヶ月で変わったんですよ。
昨日までは「輸出第1部」と書かれていた看板が、翌日には「輸入第1部」といった名称に変わったりしたんです。
「輸出しても儲からないから、輸入に転換します」という具合にスタンスが変わり、私たちメーカーが取り残される状態となりました。
それまでの日本は加工貿易国であり、そのなかでも輸出産業は花形産業でした。
海外市場開拓準備金というような税制もあり、海外市場を開拓するための準備金は経費として認めますといった税制的な優遇もあったんです。
しかしプラザ合意以降は、状況が一転しました。
輸出をしている会社はまるで国賊とでもいうような感じになり、それまであった恩恵やら特典がゼロになったのです。
当時、私どもの会社の売上げの85%が輸出に頼っていました。
ということは、同じだけの量を売り上げても、240円が120円ですから全体の売上げも42.5%減となります。
一気に売上げが低下してしまうのが目に見えている。
好む好まざるにかかわらず、直接貿易の道を選びました。
電卓片手に、海上運賃の早見表を見つつ、ヨーロッパからアメリカまで1件ずつまわり、お客さまを開拓しました。
それまでは当然商社経由で行なっていたので、値段の出し直しなんかも初めてのことです。
状況も状況でしたので、非常に厳しい時期でしたね。
● 最終的にすべてを自分たちの手でやることとなり、上手くまわり始めましたか。
なんとか生きながらえて、その後はある程度収益も安定してきました。
それもあり、今度は岡山に工場を建てようということになったのです。
完成したのが平成2年のことでした。
年代的に言えばバブルのさなかでのことなのですが、実際に土地を取得したのがバブル前でしたので、現実的にバブル崩壊での損というのは被りませんでした。
当時は毎日のように都市銀行さんがきて「社長、一棟買いの安いマンションがありますよ、利回りのいいのがありますよ」とか「いくらでもお金は貸しますので、買ってください」そういった話がしょっちゅうありました。
会社としては岡山の工場を建てるため、すでに資金調達や借り入れをしていましたから、逆にそういう話には見向きもしませんでした。
そんな中、1ドル=80円を切ってしまう時代がありました。
もともと輸出をメインとしていたのでダンピングを受けて以来、為替の影響を極力抑えるためにも注意を払っていたんです。
たとえば国内市場の開拓に注力したりね。
しかしなかなか思うようにはいかなくて、その間にも円高が進んでしまうという流れでした。
それまでは日本の円が弱かったから買ってくれていたというお客さまがたくさんいらっしゃったと思うんですよ。
ところが、1ドル120円という時代に突入したことで、私たちだけでなく、どの業界の方も困られていたんじゃないでしょうか。
【続く:1/5】